番外編 ザール
あれはまだ私が十五やそこら……まだ子供を卒業しきっていない頃の話だ。
「あっ……」
「よし、また一本。さあ立て、ザール」
ブライアンが得意気に私の落とした練習用の木剣を拾った。馬鹿を言うな、お前みたいな体力馬鹿とは違うんだ。
「やっぱり自分は剣は向いていない」
「あきらめるなよ」
「神殿で回復魔法の素養があると言われた。自分はそっちを研鑽しようと思う」
「そうか……」
「結局、自分が何をしようと父様には興味はないだろうさ」
私がそう言うと、ブライアンはまるで自分が言われたかのように悲しげな顔をした。
「そんな事言うなよ……」
そう、ブライアンは気のいいやつなのだ。自分としては父から無理矢理に貴族の血を引く者として素養を身につけておけ、と言われた剣術に過ぎないからいっそ清々としているくらいなのに。
私の母は西方の国の出の使用人だった。その母との間に生まれた私はかつては父の愛情をひたすら求めた時期もあったが、その頃にはもう諦めていた。
「自分は庶子の身の上だから、いつ父様の援助が無くなるかわからない。回復魔法を学べば食べる事には困らないだろうし……いずれお前の役に立つかもしれないだろ」
「俺の……?」
「ああ、ブライアンは騎士団に入るんだろう? そうしたら自分は回復術師としてお前の部隊を助けるよ」
「そっか……それもいいかもな」
私がそう言うと、ブライアンはやっと笑顔を取り戻した。
それから十年。ブライアンは騎士団の大隊長となり、私は救護棟専属の回復術師として働いていた。
「この薬草辞典、魔法の本なんです」
「魔法の本……?」
そんな折り、一緒に救護棟で働くようになった女性、真白。彼女は不思議な本を持っていた。それは手間のかかるポーション作りを一瞬でやってのけてしまう。そしてその効果は凄まじいものだった。
「それにしてもこんな薬草見た事ない……」
「そうですか、私の居た世界では一般的で料理にも使うんですけど」
私はその言葉に驚いた。隣にいたフレデリック殿下も同様だったようだ。殿下は真白に問いかけた。
「『私の居た世界』とはなんだ? それはどういう意味だ?」
「……あっ」
なんと真白はこの世界とは別の世界からやってきたのだという。別の世界……母が生まれた西方の国よりもっと遠い、そんな世界があるとは。しかも帰り方が分からないという。
「ザール、この事は内密に。できるか」
「はっ、もちろんです。この事を触れて回ったら騒ぎになりそうですから」
特に研究棟のやつらに知られたら面倒だ。彼らは自分達の回復魔法こそ至高で最上のものだと信じてやまない。良い生まれと育ちのエリート達だ。私のいる救護棟の事も馬鹿にしている。それにしても……
「ザールさん。ザールさんにも気苦労かけます」
「いいんですよ。それより……」
「ん?」
「その本、もっと調べましょう!!」
私は探求心を刺激されて、その本を調べまくった。
真白は身寄りも無くこの王城にいるというのに、明るく前向きだ。自分の魔法の本で騎士団がより快適に遠征できるようにとか、怪我疲労が残らないようにとかひたすら自分の出来る事を探して騎士団に貢献しようとしている。
「私も見習わなければ……」
私は彼女に感心しきりだ。しかも食事をぬかしがちな自分の分まで昼食を用意してくれるし……とても優しい。ただ、その優しさが少しあやうい時もある。
魔物が出現して、騎士団が派遣され待機を命じられた時、思い詰めた顔をずっとしていた。だからこそ家で休んでいて欲しかったのだが、彼女は自分と一緒に救護棟に詰めるという。
「これは私の自己満足ですよ」
「いいです、それでも……お茶を淹れましょう」
彼女の淹れてくれたお茶はちょっと妙な味がしたが、ぼんやりとした頭がすっきりした。二人で静かな救護室にいる時間。何か話さないと、と思ってしまう。
「いつまでも慣れません、こういう時間は」
そしてつい本音を漏らしてしまう。自分は……どうしたっていうんだろう。
「慣れなくても……いいんじゃないですか。その……ザールさんはみんなが心配なんですよね。そんなの、慣れなくていいと思います」
真白は真面目な顔でそう言ってくれた。自分だって今はつらい気持ちだろうに。
「少しお腹が空きませんか?」
「あ、じゃあ何か作ります」
「いえ、私にやらせて下さい。……昼間のお礼です。今度は私の故郷の味を真白にご馳走します」
私は立ち上がって軽食でも振る舞うことにした。私が作れる料理はたったひとつ。まだ父に愛され、幸福だった頃の思い出の味。私は小ぶりのパンのようなものを作った。
「私の母は西方からの移民でして。行った事はありませんがよく作ってくれたのでこれがふるさとの味なんです」
これを人に振る舞ったのははじめてだ。自分の生まれを揶揄する人間も少なくない。でも彼女に作るのは何故か抵抗がなかった。別の世界から来ただろうか。
「美味しいです。とってもほっとする味がします」
そう言って微笑む真白。私は彼女の生み出すポーションやハーブティーよりなによりその笑顔に癒されていた。




