番外編 フレデリック
目の前に見知らぬ女性が立っている。黒い髪に黒い瞳。風変わりな灰色のだぶだぶの服を着て、本を一冊持っただけ。
「あ、あの……」
その女性は真白、と名乗った。変わった名前だ。外国人かもしれない。
「き、記憶が抜けていて名前くらいしか分からないんです……」
「それは大変だ!」
俺は思わず椅子から立ち上がった。邪竜が討伐されたとはいえここは荒れ野だ。どこをどうやってここまで来たのか分からないがよく無事だったと思う。
「で、あれば私に付いて王城まで来るといい。客人としてもてなそう。いくらでも逗留するといい」
「いえっ、そこまでお世話になる訳には……しばらく泊めていただけるのは助かりますけど、何か仕事を探さなくてはいけないし」
彼女は固辞するが、かよわい女性一人を置いていくなんて出来ない。騎士団を率いる者として、いや一人の男として。ただ世話になるのが心苦しいという真白の為に俺は王城内になにか仕事を用意する約束をした。
そして王都へ。今回も賑やかに国民達が大歓迎で出迎えてくれる。無事に帰った喜びを胸に、騎士団は王城へと帰還した。
「いやはや、目まぐるしいな。帰ったばかりだというのに」
「殿下、王城で無事を祈っていた皆ははやく殿下のお姿を見たいのです」
「ははは、分かっているよ」
血と埃を風呂で流した後、従僕が俺を礼服で飾り立てる。戦場から帰還したばかりだが、すぐに凱旋祝賀パーティーがあるのだ。
「ふう……では行くか」
俺が大広間に顔を出すと貴族達がやってきてやたらと俺を褒めそやす。
「このような勇ましいお世継ぎを持って王もお喜びでしょう!」
「公務を兄上が担っていて下さるからこそ、私は魔物討伐に精を出せるのです」
ただ褒めて感心してくれるだけならいい。だけど第二王子である俺が目立つ弊害もあるのだ。俺にその気はないのに国民の人気をあてにしてすり寄ってくる者も多い……。
「フレデリック殿下~」
その次は黄色い声が飛んでくる。本気で寄ってきているのか親にけしかけられてか分からないが……色々な香水とひらりひらりとしたドレスの色の洪水にもみくしゃにされる。
「マーガレット、なんとかしてくれ」
俺はたまらなくなって幼馴染みでもあるマーガレットの所に逃げ出した。社交界で地位のある彼女の側にいれば並の貴族令嬢は近づいてこない。
「あらあら……レモネードはいかが?」
「ああ。丁度喉が渇いていた」
マーガレットから飲み物を貰って一気に飲み干す。
「では、また戻って来るから」
「はい。あちらの子猫ちゃん達はわたくしがあしらっておきますわ」
「ありがたい」
俺は平民を含む騎士団の兵士達の宴会場へと向かった。
「はー、やれやれほっとした」
「殿下、お疲れ様でした。殿下を見ていると騎士爵程度の身分でよかったな……と」
「言うなブライアン」
俺は苦笑いしながらブライアンの肩を小突いた。会場を見渡すと一カ所に人だかりが出来ている。真白だ。この戦で皆の命を助けた彼女は、沢山の兵士に囲まれていた。
「ははは、真白が困ってるではないか」
俺がそう言いながら人垣に向かうと皆一歩引いた。彼女は昼間のだぶだぶの服から地味な色味ではあるが上質の絹のドレスを身に纏っていた。少し緊張しているように見えたのでまずはその装いを褒めた。
「ああ……綺麗だね。ここには王宮の腕利き料理人の料理を運ばせてある。存分に楽しんでくれ」
思わずそう口にすると、真白の頬が赤く染まった。それを気付かなかったふりをしながら、俺は彼女に話しかけた。
「どうだ? あの部屋は。離れだから静かだし日当たりも良いはずなんだが」
「え、ええ……! とても素敵なお部屋をありがとうございます」
「人気も少ないからな、俺の隠れ場所のひとつだったんだ。あはは」
彼女にあてがった部屋は先王の寵姫が使っていた離れだ。設備もしっかりしているし、人気も少なくて落ち着く所だ。王城内の煩わしさに彼女を触れさせたくなくて俺はそこを選んだ。
「殿下、殿下は王族なのにあんな危険な任務についていいんですか?」
真白はそう俺に聞いて来た。もっともな疑問だと思う。
「ああ……止める者も居るがな。しかし私は第二王子だ。今後、国政を担うのは兄上。俺は体を張って国民を守りたいんだ」
「まぁ……」
彼女は黒くつぶらな目が驚きのためか大きく開かれる。そんな素直な反応に俺はついこう答えてしまった。
「俺が先陣を切る事で、兵士も国民も安心する。それが俺の役目だと思ってる」
「見習いたいです」
宮廷の貴族令嬢達はそれよりもダンスをとすぐにせがむのに、真白はとても感心したような口調で微笑んだ。
「そうだな。真白は真白の役目を……。ああそうだ。君の仕事を見つけておいたんだった」
「あ、そうなんですか?」
先程、従僕から報告を受けた彼女の勤め先を俺は告げた。
「ああ。騎士団所属の救護棟に勤めてくれ。訓練でも怪我人が出るから」
「わかりました。何もかもありがとうございます」
彼女はさらに嬉しそうににこにこ微笑んだ。こんなことがそんなに嬉しいのだろうか。変わった女性だ……。
「でも、まずは今夜は祝杯だ。さ、真白」
俺は彼女にワインを手渡して、乾杯をする。そしてまだ緊張している風な真白に片眼をつむってみせた。
身を寄せるところのない彼女がどうか、記憶をとりもどして元の生活に戻るまで……どうか穏やかに楽しく暮らせますように。




