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腐肉の王  作者: 坂田京介
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1-5 脱出(下)


 暗い。

 灯りを焚いて視界を良くしているが、迷宮内ではそれも大した効果は見込めない。寧ろ灯りによって視線の先の暗さが強調されているようにすら見える。


 ……いやになるな、全く。


 バレイ・ロンベルトは視線の先にある暗闇を見ながら溜め息を吐いた。傍には部下である武装した男達が控えている。その装備の種類はばらばらだが使い込まれており、遠距離から近距離まで万遍なくカバーしていた。

 バレイはシュールバニパルと呼ばれる組織の下っ端だ。ガイベルク大陸全土に根を張っている巨大組織であるシュールバニパルは、基本的に魔導を探求し知識を収集する事を目的としている。そしてその為ならば違法な実験を行うことも、遺跡から物を盗むことも、無辜の人間の殺戮もやってのける。


 バレイは上からの指示によりそんな裏の仕事を命令通りに実行する事が求められる、そんな働き蟻のような立場だ。危険性も高く後味も悪く報われる事も無い。正に三重苦ともいえる仕事場だ。バレイがそんな立場にいるのには当然理由がある。とはいっても複雑で珍しい何かがあった訳でもない。

 単純でよくある話。――浚われたのだ。人買いに幼い頃。

 そして人体実験の被験者となり、常人より少しだけ上の身体能力と定期的に組織のメンテナンスを受けないと死亡すると云うリスク、そして常人より遥かに短い寿命を手に入れた。


 悲惨といえば悲惨な立場だ。その程度にはバレイも自らの事を客観的に判断できる。

 だが同期の仲間がみな死んで、後から入ってきた人間もどんどんと死んでいく。そんな中で周りの仲間を世話していけばそこには自然としがらみが出来る。判っている。そんな感情も利用されていると。だが判っていても、バレイはそれを無視できるようなタイプではなかった。あるいはもう他に何も無かったせいかもしれない。バレイは忠実にシュールバニパルという組織のために働き続け、気が付けば三十という限界耐用年数近くまで生き残っていた。


 既にその外見は老人そのものだ。まだ体付きこそがっしりしているものの、顔には皺が目立ち、髪も白くなっている。身体能力自体も随分と落ちた。そんな中、よく判らない今回の依頼。捨て駒となる事を期待されているのか、それとも他に思惑があるのか。


 ……まあどちらでも同じ事か。


 バレイは内心で嘆息した。意外なことだがバレイの知る限りシュールバニパルという組織は誠実だ。少なくとも何の意味もなく裏切りや虚言を用いる事はない。ならば作戦前にバレイが願ったとおり、バレイの心残りであった後輩達はもう少しマシな環境に置かれるだろう。後は自分が役割を果たせばよい。それが成功するか失敗するかは重要な事ではない。シュールバニパルは最善の努力を尽くしての失敗によって契約を反故にするような組織ではない。バレイはその程度には組織を理解していたし信用もしていた。


「しっかし奇妙な依頼ですよねー。捕らえろとか殺せとかなら判りますけど、それもせず単に迷宮に追い込めなんて」


 隣にいたバレイの部下が微妙にやる気の感じられない声で口を開いた。名前は忘れた。今回の仕事の前に補充で送られてきた人間だ。入れ替わりが激しい部隊ではこのように顔しか憶えていない同僚というのも随分といる。逆に言ってしまえばその程度の練度なのだ、バレイの隊は。


「ターゲットはヤイウェンの姫らしいからな。なんかあんだろうよ。――それより警戒は密にしとけよ。何があるのか判らんのだからな」

「へーい」


 男に注意を出しながらもバレイは思考をもてあそび続ける。

 シュールバニパルというのは巨大な組織だ。一説にはこのガイベルク大陸と同じほどの歴史があるとまで言われている。ならばその気になればもっと練度の高い部隊も回せたはずだ。


 ……どうも腰が引けている。いや、それとも迷っている?


「隊長っ!」


 緊張を含んだ叫び声が益体もないバレイの思考を打ち切った。それなりの付き合いの副官の声だ。その声に他のバレイの部下たちもみな各々の武器を構える。バレイも手に持ったショートソードを構え、薄暗い迷宮の通路の奥へと目をこらす。まるで塗り込められたような漆黒。そこには何の異常も見えない。少なくとも暗視のスキルのないバレイには判らなかった。

 バレイが感じたのはむしろ音だった。力強く踏み鳴らされている音ではない。隠そうと工夫している忍び足でもない。何の緊張も感じられないごく自然な足音。革靴が石畳とこすれる、じゃり、じゃり、と云う音がバレイの鋭敏な聴覚にまるで割れ鐘のように不吉に響いていた。


 やがて暗闇の中から足音の主が姿を現す。

 中肉中背のまだ若い男だ。仕立ての良いローブを着ている。整った眉目をしたその顔には、場違いにも穏やかな笑みが浮かんでいた。これが街中であれば多分気にもとめないような男だろう。だがこの状況では異常と云えた。この場にいるバレイの配下は約二十人。それだけの数の人間が武器を持って殺気立っているのに眉一つ動かさない。それはすなわち男が尋常でないレベルで修羅場慣れしている事を示していた。


「お前さん……何者だ?」


 バレイが尋ねる。

 バレイが監視していた通路の先。そこにいるのは魔物を除けばターゲットの三人だけだった筈だ。他の出入り口も仲間が封鎖している筈だし、そもそもバレイが監視しているこの場所を通してしか三人のいる区画と外とは行き来が出来ないはず。だからこそ魔物に襲われるリスクを受け入れバレイ達はここに陣取ったのだ。


「何者かと問われれば……まあ迷子ですかね」


 人を食ったような返答。バレイは部下達がざわりと殺気立つのが判った。だがバレイはそんな部下を強引に手で制し、再び男へ話しかける。


「そうかい、だったらこの先に出口があるぜ。なんなら案内をつけてやってもいい」


 バレイの言葉に男は少し意外そうな表情を見せた。だがそれより反応が顕著だったのはバレイの部下達だ。


「なっ……隊長!」

「お前らは黙ってろ!」


 詰め寄る部下をバレイは怒鳴りつける事で抑える。


「で、どうだい?」


 どこか挑むようなバレイの問い掛け。男――タリス・マンチェスは軽く肩を竦めて答えた。


「残念なことに案内役には先約がありまして」

「へえ。だがうちの奴は表通りから裏通りまで何でもござれの凄腕の案内人だ。先約がどういう奴だが知らないがキャンセルしても損はさせないと思うぜ」

「それはとても魅力的ですが、やはり遠慮させてもらいます」

「……理由を聞いても?」

「だってむさい男よりも可愛い女の子に案内してもらった方が楽しいじゃないですか」

「なんだい、唾でもつけてるのか?」


 ははっ、とバレイが冗談めかして笑う。


「いえいえ。そんな下心はちょびっとしかありませんとも」


 答えるタリスの顔にも穏やかな笑み。だが両者の緊張は確かに高まっていた。それに応じてバレイの部下達の殺気も高まっていく。指示が出れば一斉に動き出すだろう。


「正直に答えろや……なぜそこまでしてあの嬢ちゃん達に味方する?」


 バレイが顔から笑みを消し、剣を構え尋ねる。バレイの部下達は弓を持っている者は弓をつがえ狙いを定め、魔導を使える者は魔力を練って攻撃の準備をしている。そんな中でもタリスの様子は常とは変わらなかった。そしてそんなタリスの態度に、バレイはいよいよその嫌な予感を強くする。

 タリスはバレイの問いに、その態度と同様あっさりとした声音で答える。


「妻との約束でして。女子供には優しくしろと」


 その言葉が合図になった。

 不意打ち気味に弓矢が一斉に放たれ、攻撃用の魔導が炸裂する。轟音が鳴り響き、砂煙が視界を遮る。だが――。


「ふむ……」


 その一言であっさりと煙が払われる。その中から現れたタリスの姿には傷一つ付いていなかった。しかし先程と違う点が一つ。

 タリスの両手の袖から複数の木が生えていた。どこか不気味な色合いをした木だ。葉は殆ど見えない。所々に酷く鋭い枝があり、それがまるで獣の牙のようにも死神の鎌のようにも見えた。

 そんな木が複数、まるでタリスを守るように周囲に展開していた。


「ちっ、第二射急げっ!」


 バレイの指示で弓矢と魔導の二回目の掃射が行われる。だが今度はタリスもそれを黙って見ていなかった。タリスの周囲に展開した木。それらがまるで獲物を定めた蛇のように鋭い動きでバレイ達に突き刺さる。火球などの攻撃用の魔導はあっさりと薙ぎ払われ、弓矢もその木の幹を貫通する事は出来なかった。


 まるで百舌の速贄だ。

 尖った木の枝に喉や胴体、それに顔を突き刺され、そのまま中空でぶらりぶらりと揺られている死体が次々と量産されていく。酸鼻を極めた光景。裏仕事に慣れたバレイの部下達が恐怖でその動きを鈍らせるほどには。

 バレイ自身も果たして自分が冷静なのか判らなくなっていた。だが責任者としての意地がある。殆ど何の役にも立っていなくとも指示を出し抵抗を続ける。

 そんな中、こんな光景を何でもない事のように平静な目で見続けているタリスの双眸。それがやけに印象に残った。





 豪奢な部屋だ。

 中央に巨大なテーブルが置かれ、その上にはこれも巨大な地図が置いてある。部屋の壁は殆どが本棚に埋め尽くされており、そこには分厚い本と怪しげな薬品や触媒。そんな物が所狭しと並べられていた。


 そんな部屋の奥にある執務机。それに備え付けられた椅子に男が一人座っている。大柄な男だ。並の椅子ならば窮屈そうにも見えたのかも知れないが、男が座っているのはそんな男のサイズに合わせたものだ。結果としてその椅子は、男の持つある種の雰囲気を助長していた。

 男――イシュケ・ペルヘムリアは薄っぺらい書類を見遣りながら、葉巻の紫煙をくゆらしている。


 そんなイシュケが座っている執務机の前にはイシュケの部下であるリーマイ・ウェンポーが立っていた。中肉中背の、どこか軽く洒脱な雰囲気を漂わせた中年男だ。だが異様な迫力を持つイシュケの前でまるで緊張する素振りも見せていない。


「んで、その後どうしたんだ?」


 イシュケが尋ねる。太く濁ったその声音は、知らない人間が聞けば不機嫌そうにも聞こえるかも知れない。だがイシュケは常日頃からこんな感じだと知っているリーマイは気にもとめなかった。


「別にどうもしませんよ。連中を皆殺しにして死体を焼き払ってそのまま姫様たち三人連れて悠々と街へと帰還。いやぁ結構なお手前で」

「……ふむ」


 イシュケはリーマイの言葉に何事かを考え込むように沈黙した。そして暫しの沈黙の後、再び口を開く。その視線は真っ直ぐにリーマイを捉えていた。その視線の強さにリーマイも僅かにたじろぐ。


「……お前の見立てでは『外』からの客人。腕前はどうだ?」


 イシュケの問いはある意味リーマイの予想通りとも云えるものだ。だからこそ答えはすぐに口をついて出た。


「規格外もよいとこですね」

「……やはりそうか」

「ええ」


 頷くリーマイの表情からは珍しく諧謔の色が抜けていた。


「報告書によると直接的な死霊術は使わなかったとあるが?」

「そうですね。俺が見られたのは木を使った百舌の速贄劇場だけです」

「監視に気付いたか」

「どうなんでしょう? 監視がいるかもぐらいは思っていたでしょうけど……。俺も自惚れる訳でもありませんがこれで飯食ってますから。魔導師相手に隠密が破られたなんて事態は勘弁して欲しいですね」

「……だったら温存か」

「その可能性が大きいんじゃないですか? 死霊術が嫌われるのって制御が難しいってのも大きな理由ですしね。ある程度のセーフティは必要でしょ、どんなに狂ったレベルの死霊術士だって」


 その言葉を聞くとイシュケは自らの背を椅子に深く預けた。そして暫し黙考する。


「……やはり直接に接触する必要があるか」


 暫くの黙考の後、イシュケの口から出たのはそんな言葉だった。その言葉にリーマイが露骨に嫌そうな顔をする。


「本気ですか? ボスが万が一やられたら俺ら終わるんですけど」

「なに、俺が生き残っていたところで、何もしなければ終わるさ。この大陸がな。ならば賭けられる内に賭けるべきだろう」

「せっぱ詰まってからじゃ賭ける事も出来ない。まあ理屈は判りますがね」

「安心しろ。多分死なない」


 何の保証もないイシュケの言葉。リーマイは肩を落として嘆息した。だがイシュケを止める気は湧いてこなかった。イシュケの言葉の正しさを認めたのもある。だがそれ以上にリーマイはイシュケの言葉を信じていた。


 ――イシュケ・ペルヘムリア


 彼はリーマイが知る限りガイベルク大陸で最も優れた占術士だ。そんなイシュケの言葉だ。ならば準備さえ調えれば死なずに済むのだろう。リーマイはイシュケの護衛や接触相手の情報収集など、やるべき事を頭の中でリストアップしていく。


「さてと、じゃあ準備をととのえたら会いに行きますかね。外からのお客人。英雄にして世界の敵。一つの国を滅ぼし六つの国を救った死霊術士――腐肉の王に」


 そう言うイシュケの口振りはどこか愉しそうだった。イシュケは卓越した占術士であるのに、あるいはだからこそか、先の見えない賭け事を好むところがある。リーマイはそんなイシュケを見遣ると、呆れたように小さく肩を竦めた。



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