サイコメトリー・高遠ことは④
部屋を出れば、ラットロードがいた。
「疲れた。もう無理だ。帰る」
「お疲れ様でやんす」
疲れた体に、やんす口調が染みわたる。
考えすぎて疲れることは多々あれど、考えないようにして疲れるのは未知の体験だった。
思考を制限しようとするのは、回りのいい脳みそをもっていると難しい。
家で練習しようかな。
座禅とか組んで頭を空っぽにする訓練でもするか。
「なんちゃってオレです祈さーん!!」
「おう、面影。どした」
目の前のラットロードは姿を変え、中華服を着た面影へと姿を変えた。
驚く元気もなかったので、何事もなかったかのように会話を続けてしまった。
この部屋まで案内してくれたあのときから面影だったのかどうかくらいは聞いておくべきか?
面影は両頬を膨らませた。
おっと不機嫌アピールだ。
まさか俺が見破れなかったからとか言わねえよな。
無理だ。とあるイタリアンレストランの間違い探しより難しい。
なにしろ外見に関しては、面影のコピー能力に不備はない。
「どしたじゃないアルよーッ! 来てるなら教えてくださいよーッ! 水臭いじゃないアルかァーッ!」
俺が面影に報告することなく公安管轄の建物へやってきたことに怒ってんの?
どゆこと? なぜ言わなきゃいけないのだ。
どこへ行くか全部報告してほしい束縛系恋人か?
「なにが水くせえんだよ。別にいいだろ? お前とは公安じゃなくとも会えんだから」
「それはそうアルけど♡」
ちょれ〜。
公安でちょろまかされて、いいようにこき使われていないか心配だ。
俺の全肯定botだから、他の人に対してはもうちょい毅然とした態度をとっていることを期待する。
ことはちゃんの言った「面影さんはきましたよ」というのは、過去ではなく現在の話だったのかもしれない。
俺が部屋の中にいる間、外にいたのか?
ストーカーじみたことを言ってはいるが、面影は公安内部へ入れない澪の代わりに護衛をやってくれてんのかね。俺って愛されてるかも。
面影は自分の口元に、グーにした両手を添えた。
あざとい。俯きがちで、上目遣いに俺を見てくる。
「ついに公安を乗っ取ることに決めたんスか?」
「人聞きが悪いこと言うなや。なにがついにだ。考えたことねえから」
「えーっ! 祈さんが上司になってくれるなら、オレめちゃくちゃ頑張れるのにーっ!」
疲れているから、黙っておこう。
ここで俺が下手なことを言うと、面影が暴走する可能性がある。
公安乗っ取りてえなら自分でやれ、とか言ったが最後、本気でやり始めるような男だ。
こういうとこはまだ、すだまのがやりやすいな。
「同僚でもいいアルよ?」
「や〜だ」
「は? かわいい」
「かわいいと思ってんならキレんなよ」
「キュートアグレッションっス」
……怖い。
キュートアグレッションという言葉は知っている。
かわいいものを見た際に生じる攻撃的な衝動だ。
俺自身感じたことのない感覚なので、未知だ。
ぬいぐるみをぎゅーっと力強く抱きしめたくなる、程度の感情なら俺にも理解できる。
しかし、面影のそれがどういう方向性に向いているのか想像できなくて、怖い。
この俺を怖がらせるとはなかなかやるじゃねえか。
「俺がかわいいからってナイフで刺すなよ」
「わあーっ! やめてくださいよ! 悪いと思ってるんですからね!?」
「ほーん」
「なんか信用してなさそう! 本当に反省してますよ!?」
面影はいつも軽いノリに見える。
だがこの言葉は真実と捉えて良いだろう。
「公安ではどうなんだ? うまくやってんのか?」
言った瞬間、実家の父親か? と己へツッコミをいれたくなった。
発言がおっさんすぎたかもしれねえ。
正直俺は、面影のことを手のかかるガキだと思っている。
赤いサングラスのレンズ越しに、面影は目を輝かせた。
「祈さんがオレを心配してくれている……!?」
「ああ? ずっとしてんだろ。気にかけてやってるつもりだったが、足りなかったか?」
「これ以上惚れさせないでほしいアル」
「どうすりゃいいんだよ」
「そのままでいて♡」
面影は両手でハートをつくった。
こいつの情緒の揺らぎについていけねえ。
ついていく気もねえ。
面影は俺が先にした、公安ではどうなんだという質問に答えた。
「薄墨さんとはそこそこ仲良くなったと思うっすよ! 推しの話で盛り上がれるんで!」
「あー、どっちの推し? お前の? 薄墨の?」
「どっちもアル!」
「あー……そうか……ほどほどにな……」
どういった会話が行われているのか、想像できない。
想像したくない、というほうが正確だな。
面影と、公安に聞かれても問題ない会話をしながら――本当に問題なかったかちょっと自信がないが――建物の外に出た。
少し離れた場所で、澪が人間の姿で俺を待っていた。
面影は「ちわっす!」と、澪へ元気よく挨拶をし、お手本のようなお辞儀をした。
薄墨の影響だろうか。
「無事でよかったわ。……無事よね?」
「無事だよ。疲れた、帰ろうぜ」
そう言っても尚、澪は懐疑的な視線を向けてきた。
俺の言葉が信用できないなら聞くなよ、と思ったが、隣の面影が両手でグーサインを出していた。
澪は俺じゃなくて面影に聞いていたらしい。
澪はようやく納得したように頷いた。
おい、俺は、こんな適当に生きてる面影よりも、信用ないのかよ。
ちょっと、いや結構、ショックだぞ。
「次来るときは絶対事前に教えてくださいよ祈さん! 絶対絶対ですよ!」
「わーったわーった」
絶対ですよー! と最後まで念を押し続けた面影の声を背に、俺と澪は帰路についた。
玄関を開け、リビングに向かう。
「ただいまー。うおっ、どうした仁、めちゃくちゃ不機嫌じゃねえか。外で喧嘩でもして負けたんか?」
「殺す」
「いや悪ィ、俺のせいか。換気すんの忘れた」
仁の深すぎる眉間の皺は、自分の留守中にヘイズフォグが訪ねてきたことを知っての不機嫌だろう。
外から帰って来たことでわかったが、家の中は少々煙い。
嗅覚ってすぐ慣れちまうから、ずっと同じ場所にいると匂いがわかんなくなるんだよな。
俺は薄井ちゃんが提案を持ってきたその日に、こうして公安へ向かった。
んじゃ行こうぜと薄井ちゃんに言ったら「今!?」と驚かれた。
俺の好きな言葉の一つは、思い立ったが吉日だ。
薄井ちゃんは用事があるとのことだったので、俺がひとり公安へ向かったのである。
まさか即日でお偉いさんと会えると思ってなかったので、正直驚いた。
突然行ったらお偉いさんの中でも2番手あたりが出てきて、交渉を有利に進められるかと思ったんだがな。
やっぱ一筋縄にはいかねえぜ、公安ってやつは。
仁の機嫌をとってやる元気もなかったので、俺はすぐにシャワーを浴び、すごすごと自分の布団へ滑り込んだ。
精神的に疲れていたので、眠りにつくまではすぐだった。
体をゆすぶられ、目が覚める。
瞼を開ければ、フラックス姿の澪が真剣な表情で俺を覗きこんでいた。
「起こしてごめんなさい。きっとすぐ知らせた方がいいだろうと思って」
「……良い知らせじゃねえんだろうなあ」
澪には法律関係の倫理観が欠けているが、人への気遣いという意味ならば人並み以上に持っている。
俺が寝ていない時でさえ、俺の布団に近づいたことはない。
だから今は緊急事態なのが明らかだ。俺は体を起こし、頭を振ってなんとか眠気を吹き飛ばす。
「公安の支部――危機対策センターが襲撃されたわ」
「……おい、嘘だろ?」
澪は時折、俺の質問に口を閉ざす。
公安関係の事柄については、特にだ。
言いたくないのか、言うことができないのか、いつもいちいち確かめることはしない。
そのどちらだろうが、俺は澪の口を割らせるようなことをしたくないからだ。
だから、俺は質問をしなかった。
澪が言えることだけを、今この場で教えてもらう。
「あの人……トメ婆さんなら、必ず生きているでしょう。でも、高遠ことは……彼女は死亡が確認されたわ」
俺は目を閉じた。
そうしても、再び眠ることはないと確信したからだ。
心臓が重くなったような心地がした。
「犯人は不明。原因も不明。でも推論ならあるわ。聞く?」
頷けば、澪は淡々とこう言った。
「公安に拘束されている異能者が、次々公安へ協力的になった場合――戦局は相当変わるでしょう」
不思議と、己の口角が上がった。
面白がるような気持ちはない。
澪の言葉がまっすぐだったのが、心地よかったのかもしれない。
お前のせいだ、と。
「それだけデルタが、祈を脅威に思っているということかもしれないわね」
すべてのヴィランを懐柔できるわけじゃない。
俺は再三、いろんな人間にそう言ってきたはずだ。
まさかデルタさえも、それを信じてくれないとはな。
「祈の責任じゃないって、頭のいい祈なら、わかるわよね?」
「……そうだな」
俺は布団の上に倒れ込んだ。
そうだ。澪に「お前のせいだ」と言われたわけじゃない。
俺のせいだと思ったのは、俺自身だ。
ぼんやり天井を見上げながら、呟く。
「俺のせいだろうが、そうでなかろうが。友達を喪ったことを悲しむくらいの時間は、あってもいいだろ?」
「……ええ。おやすみ、祈」
「おやすみ」




