サイコメトリー・高遠ことは①
部屋を出たら目の前にラットロードがいたんで、親指で背中のドアを指しながらそのまま話しかけた。
「普通に協力してくれそうなんだけど?」
「これほどお嬢を恐ろしいと思ったこともねえですよ」
「ラットロード、挨拶もなしに随分なこと言うじゃねえか」
ラットロードはチュウ、とか細く鳴いた。
しかたねえなあ、これ以上は何も言うまい。
「でもあれだろ? ぜひとも仲間になってほしい優秀な人材から俺に紹介しただけで、難易度順ではねえんだろ?」
「……」
「む、無言」
糸絡さんは「是非に仲良くなっていただきたい順番でご案内」すると言った。
わりと懐柔できそうなヴィランを優先してくれたのか、意外に手心くわえてくれたんか、糸絡さんへの印象が上がりかけていたのはナシにしておこう。
「きっかけを与えたのはあっしでやんすが――ほどほどで引くのをすすめますよ」
「ああ。面倒になったらやめるわ」
元々、公安に対して良い印象を持っているわけではない。
そりゃあ、異能者を数多処分してきたとあれば、まともな感性を持ったやつは公安大好き♡ とか言うことはないだろう。
俺だって公安のことが好きではない。
だが、その能力は認めている。
世界で最も死者が少なく、治安のよい国として日本の地位を確立してきたのは、間違いなく公安の力あってこそだ。
ラットロードはため息をついた。
「お嬢が使い捨てされるのを恐れとりやしたが、お嬢があっさり上層部まで上り詰めて、あっしが使い捨てされるのにびびっといた方がいいんでやんすかね」
公安に所属する気はない。
これだけ協力体制しいといて何言ってんだと思われるかもしれないが、月島教授という前例もいるらしいしな。
外部協力者、という便利なポジションのままでいたいところだ。
「なんだラットロード、俺とお前の仲だろ? そんなことになりそうなら、公安ってシステムごとぶっ壊してやるから安心しろ」
俺がそう言えば、ラットロードは頭の上の耳を動かした。
「お嬢、よくここでそんなこと言えますな……」
「あ、これ宣戦布告になるか?」
公安内部での会話は、公安にすべて聞かれていると考えた方が良いだろう。
少なくとも、トメさんは全部聞いている。あの人なら今頃笑っていそうな気もするな。
「でもほら、お婆ちゃんも言ってただろ。相手が足元見るようになったらわからせてやるって」
「そうですかい……」
ラットロードは口の中で「お婆ちゃん……」と復唱した。
そう呼ぶことを、恐れ多いと思っているような感じだ。
彼女は相当恐れられているらしい。
俺もお婆ちゃんの人生とか能力の詳細聞いたら態度変わんのかな。
大量に人を殺しているようなので、それだけで恐怖を感じる理由にはなるだろう。
「つねに足元を這って生きてきたあっしには、わからん領分の話でやんすな」
「その生き方が気に入らないのなら、一緒に変えてやるよ」
ラットロードはチチチと鳴いた。
こいつ、困ったらネズミ語に逃げやがる。イエスかノーかわからねえからやめろ。
白黒決めたくねえってだけなら、何も言わなくてもいいんだがな。
俺にネズミ語を覚えて欲しいのかと思って、ついつい鳴き声を記憶しちまうだろうが。
話を切り替える。
「さて、俺もそれほど暇じゃねえ。大学生っつーのは暇の代名詞みてえに言われているが、皆が皆そういうわけじゃない。特に奨学金を借りてるようなのは、人生の時間を前借しているだけだ。短針を踏み倒す気でやってても、時の流れにゃ勝てる気がしねえ」
「……するってーと?」
「もう一人とくらい喋ってから帰ってやるよってハナシ」
「そうでやんすか。あまり無理しねぇでくださいよ」
ラットロードは俺へ忠告しながら、次の部屋へ案内してくれた。
ヂヂヂと鳴いて、入室を促されたため、ノックして部屋に入る。
部屋の中は殺風景だった。
ほとんどなにも置かれていなかったビットヴァインの部屋ほどではない。
ドラマの撮影に使われていそうなおしゃれ部屋みたいだったトメさんの部屋のようでもない。
部屋の主は、柔らかく大きなクッション――これは一部で人をだめにするクッションと呼ばれているのを俺は知っている――に体を預けた、小柄な女性だった。
口角がわずかに上がっているため笑顔に見えるが、普通にしていても笑顔に見えるタイプの顔つきのような気がする。
つまり、大変に親しみを覚えやすい女性であった。
挨拶しようと口を開く前に、女性がくるくると目を回した。
「うぇぁあう~……」
「おい、大丈夫か!?」
ふにゃふにゃとした柔らかい声――いわゆるアニメ声のようで可愛らしい――だが、これは嗚咽、あるいはうめき声だ。
口を押さえている。気持ち悪いのかもしれない。
「人を呼んできていいか?」
「あぇ、まっへくらはい……」
「ああ、いくらでも待ってやるが、お前がそのまま死ぬってんなら見殺しにはできねえぞ」
「しにましぇん」
そう言われては、俺も彼女が死なないことを信じることしかできない。
少し後方へ下がり、すぐに部屋から出ていけるようにする。
もちろん、公安はこの部屋の様子を監視し、本当にやばいときは向こうから踏み込んでくれるはずとは思っている。
だが、公安が約束したのは、可能な限り俺の身を守るということだけだ。
相手の身を守るとは言っていない。
一応、俺がすぐドアを開けられるように、立ち位置を変えた。
しばらく観察していると、女性は徐々に呼吸を整えていった。
深呼吸を繰り返し、両頬をぺちぺちと叩いて、可愛らしく正気を取り戻している。
なんだか、すべての動作がアニメみたいに映える人だ。
ギャルゲーか萌えアニメから飛び出してきたんか?
いや、どちらかと言えばほのぼの日常系ゆるギャグ漫画。四コマが似合いそうだ。
ふう、と一息ついて、彼女は俺へ頭を下げた。
「お騒がせしました……」
「気にするな。むしろ俺が突然訪ねてきたのが悪かったな。アポが入用だったか」
「いえいえ……」
アポ取りは公安がやっといてくれよと思うが、人権意識が限りなく低いこの組織はそんなことしなさそう。
「わたし、高遠ことは、と申します」
「ご丁寧にどうも。俺は片桐祈だ」
「フェアじゃないので、わたしの能力をご説明しますね」
「あ?」
俺の能力は既に知っているということか。
だからといって、わざわざ説明してもらわんでもいい。
俺だって公安に聞けば、彼女の能力を知ることができるのだ。
誰かは教えてくれるだろう。少なくとも面影なら絶対教えてくれる。
ならば彼女の異能は、この場で知っておかなければ、俺が不利になるような――
「心が読めます。あなたが、何を考えているか」
それを聞いた瞬間、様々なことが頭を駆け巡った。
言葉に詰まったが、まず言わなければならないことを優先する。
「……そりゃ悪かった。失礼なこと考えてなきゃいいが」
「いいえ。わたし、それほど万能じゃありませんから」
心が読めるといっても、すべてはないということだろうか。
「あんまりあたまがよくありません。あなたのように、わたしよりずっと、あたまがいい人の考えは、たくさん流れ込みすぎて、あたまがパンクしてしまうんです」
「なら尚更悪かった。俺のせいで体調を崩させたな」
俺は頭がいい。
それは傲慢ではなく、ただの事実だ。
記憶力に優れ、何年も前の出来事も、写真を眺めているかのように思い出すことができる。
そうではない人間にとって、それほどの情報量は、負担に違いない。




