落合トメ②
「はじめまして、こんにちは。俺は片桐祈です。あなたは?」
勉強したての外国語みてえな日常会話で挨拶してしまった。
俺も緊張しているらしい。
それは相対するこの人に、かなりの威圧感があったからでもある。
糸絡さんを相手にしたときより、さらに緊張感がある。
プレッシャーでひるむなど、滅多にない体験だ。
これでも神経は図太い方だと自認してたんだがな。
老婦人は俺を見て、片眉をぐいと上げた。
「なんだ、名前も知らず会いに来たのかい? いい度胸だねえ」
「ありがとうございます」
「ははっ、いいねえ! 無鉄砲なガキは嫌いじゃないよ。殺す羽目にならなきゃいいが」
最後の言葉が余計すぎる。
だが、その言葉は不思議と脅しには聞こえなかった。
本心からそう思っているのだろう、と感じさせる。
つまり彼女はきっと、何度も殺す羽目に陥ってきたのだろう。
彼女は眼鏡を外して、ハンモック上から俺を見た。
「あたしは落合トメ。ヴィラン名はなんだったかね……横文字は苦手で、覚えにくい。ダストなんとかだった気がするねえ」
ダスト。
ほこりやちり、ごみという意味だ。
それだけで能力を類推するのは難しいな。
能力は、聞きゃあ公安が教えてくれるだろう。大して重要でもない。
能力の詳細を知らないからこそ、偏見なく接することができるというものだ。
「そういうのって自分で決めるもんじゃないんですか?」
「あたしはこだわりがなくてね、特に名乗った覚えはないよ。いつの間にか勝手に呼ばれてただけさ」
「へえ~」
ヴィランの名前はてっきり全部本人が決めているものだと思っていた。
しかし、誰もかれもが「俺は〇〇!」とか名乗るわけでもないのだろう。
仁がそう言ってるところはあまり想像できないしな。
自己アピールの弱いヴィランは、公安によって勝手に名前を決められているのだろう。
あるいはヴィラン同士で勝手に呼び合ったりしてんのかな?
面影とかも自分でつけてなさそう。こだわりがないっつーか自分がねえもんな。
「転職にご興味は?」
「公安に、って意味なら、ないよ。なにしろ公安が人材不足に嘆いている主な原因はあたしだからね。刺客はみんな殺しちまったよ」
「お~う」
物騒な話題だ。
そりゃあ……糸絡さんが優先的に懐柔したいと考えるのも納得がいく。
これ以上公安の職員を減らされては、手が足りなくなって、糸絡さんは過労死しそうな感じだった。
そんであの人がいなくなったら――日本がなくなるとまではいかずとも、なくなってもおかしくねえんじゃねえかなってくらいまで、治安が悪化しそうだ。
俺は秩序を重んじている。
自分にそれを守る器量がないからこそ、守ろうと努力している人々を尊重したい。
「現在大人しく捕まっていらっしゃるのはなぜです?」
「インフラとか押さえられるとねえ、面倒なんだよ。ま、ここでもそれなりに要求が通るから、トントンってとこさね。向こうが足元見るようになったら痛い目みせてやるだけだ」
「やっぱ自立した女性ってかっけ~わ」
掴まっているにも関わらず余裕があった理由がわかった。
これは、ビットヴァイン――つむちゃんにも感じていた雰囲気である。
つまり、ここからはいつでも抜け出せて、今は様子を見ているだけの時間なのだ。
「それじゃ、ヒーローにご興味は?」
「あたしがなるって話かい? あんたくらいの歳に言われてたら、喜んでやってただろうね」
「何事にも、遅いってことはないと思いません?」
「いいや、あるさ。あたしの手は血にまみれすぎた」
その言葉から、壮絶な人生を想像できる。
刺客をみんな殺した、という発言からも伺える。
俺は少しばかり、なんと返事するか考えた。
この人は、どういう人間を好きか。
公安に気の合う人間がいない時点で、真面目に規則へ従う人間のことは大して好みじゃなさそう。
名前すら知らなかった俺を、面白いと発言するくらいだ。
「血まみれの手で汚されても、生きていたいと思う人間の方が多いと、俺は思いますよ」
「ははっ! 言うじゃないか!」
多少生意気だろうと、率直に意見をぶつけるタイプが好きと見た。
つまり、俺と同じ好みだ。ならば、言葉の選択はそう難しくない。
俺が言いたいことを言えばいい。つまり、普段通りだ。
これまでのやり取りで、彼女が好戦的ではないことを理解した。
可能な限りは、敵を殺したくはない。しかし敵なのであれば、殺して当然。
そういう倫理観だろうと推測できる。
彼女の中で、俺はまだ敵ではない。
「それとも、お前に助けられるくらいなら死んだほうがマシだった、と言われるのが恐ろしい?」
「煽るのがうまいねえ!」
お互い視線をあわせ、挑発的に笑う。
「あんたはむしろ、死ぬ方法を探してるんじゃないのかい?」
「いつかはそれを考えなきゃならない日が来るとは思ってますね。まだ若いんで、後回しでいいかなと放置してますけど」
「ははっ、いいねえ!」
俺は随分彼女を煽ってしまったので、もう少し追撃が来るかと思えば、そうでもなかった。
にやにやとこちらを面白がるような、それでいて不思議と不快ではない笑いを浮かべながら、トメさんはこう言った。
「裏方としてなら多少手伝ってやってもいい。あたしの能力は世間受けが悪いだろうからね」
「ありがとうございます」
手心をくわえてくれたのだろう。
今回の会話は、交渉っていう交渉でもなかった。
トメさんはクッションに預けていた頭の後ろで両手を組んだ。
「あたしゃ耳はいいんだ。ガキ相手に変な道を示してそうな老人は向こうのほうじゃないかね? え? あんたは大丈夫そうかい?」
誰の話をしているのかはすぐに思い当たった。
月島教授である。
先ほど俺に「若者の未来を決定できる老人など、この世のどこにもいない」と言ったことについてだ。
俺と月島教授が会話をしたのは、この部屋からそこそこ離れていた。
そもそもこの部屋は防音だろうし、地獄耳どころの話ではない。
トメさんの「あたしの能力は世間受けが悪い」という発言に関しても、ビットヴァインと俺の会話を聞かれていた可能性が高い。
俺はつむちゃんに、ヒーローは好感度を調整しなければならないため大変だという話をした、それについての言及だと思われる。
会話を聞けるのは異能力の関係だろうか。
あとでトメさんがなんの能力者なのか、誰かに聞こう。
ともかく、聞かれたことに答えよう。
「えー……いやあ、ちょっと今の俺には余裕がなくて、道が1本しか見えてないもんで。そそのかされようがされまいが、今の俺なら勝手にその道を行っちまうでしょうね」
「聞けば聞くほど早死にしそうなガキだねえ。能力に依存しすぎるんじゃないよ」
「は~い」
気を抜きかけた瞬間、トメさんは鋭い目で俺を見た。背筋が勝手に伸びる。
「公安へ無条件に協力するってワケじゃない。毎回、あんたがあたしに話を持ってきな。あんたが納得できるような話なら、あたしにも聞く価値があると思えるだろうからね」
「随分評価されたみたいで、恐縮です」
「できるだけ長くそのまんまでいなよ。心が折れる前にあたしんとこ来な。おばあちゃんが知恵貸してやるさね」
「かっけ〜」
思わず称賛の言葉を漏らしてから「ありがとうございます」と感謝を述べる。
トメさんは最後にしっし、と手を振って、俺の退室を促した。
「今度は手土産くらい持ってきな」
「うーっす」
俺は体育会系のような返事をしながら、深々と頭を下げた。
そういえば、薄井ちゃんも俺に手土産を持ってきた。
あのへんはもしかして、この人の教育だろうか。俺も見習お。
部屋を出て、後ろ手に扉を閉じる。




