落合トメ①
肩が凝った。
やはり、糸絡さんとの会話で、俺はそれなりに緊張していたらしい。
静かな圧力があった。
あれが無意識に発されているものなのだとすれば、そりゃ「仲良くお喋りしてくれる」相手はできねえだろう。
しかし、同時にスマホやPCであれだけの作業をしつつ人間と会話ができるような器用人間が、プレッシャーを操作できないもんかね――これは偏見だろうか。
仕事はできるがコミュニケーションはあまり得意でないタイプの可能性は、なくもない。
いやあ、でもなあ。
薄井ちゃんがかつて「公安の交渉担当は他のことで手一杯」と言っていたのは、確実に糸絡さんのことである。
やっぱ俺はビビらされるべくしてビビらされたのだろう。
悔しいぜ。俺もまだまだ若造だな。
次に向かうよう言われた場所まで、廊下を歩いていると、見知った顔が向こうから歩いてきた。
顔を見た瞬間、お互いに驚きの表情を浮かべる。
「月島教授!?」
「あれ? 祈くんだ」
月島壮一は、俺が大学で散々世話になっている教授だ。
俺は顔を青くした。
ここは公安だ。
すべてがそうだとは言わないが、職員には異能力を持った者が多い。
もちろん公安には異能者以外も所属している。
かつて異能を隠して公安にいた澪もその枠だ。
もしかして、彼もそうなのか?
聞いてねえんだけど。
数年一緒に治療薬を開発してきたある種の同僚として、やや裏切られたような気持になっちゃうぞ。
月島教授は俺の近くで立ち止まると、呑気に首を傾げた。
「んー? 祈くんが公安にいるって話は聞いてないんだけど、公安お得意の秘密主義かな」
「いや、俺はここに所属してるわけではないんで……」
「そう? ならよかった。ここはあんまりいいところじゃなさそうだからね」
月島教授の言うここは当然、公安のことだろう。
「悪いけど、今日どうしてここにいるかは、言えないんだよね。怖い人に首切られちゃうかも、あはは」
その首を切られるが、リストラの比喩であることを願うばかりだ。
「えーと、そうあまりいいところではなさそう、などと客観的におっしゃられているということは、月島教授もここに所属しているというわけでは、ないということですよね?」
「ん? うん。僕には特別な力なんてないからね」
俺は一旦、ほっと胸をなでおろした。
月島教授が、実はミュータントだったというわけではないようだ。
そして、公安職員でもない。よ、よ、よ、よかった。
「医療に関わる者として、協力させてもらっている形かな?」
「協力させられているの間違いではなく?」
「いやあ。あはは」
――不穏だった。
明言を避けている時点で、肯定と同じようなものだ。
元々高くなかった公安への好感度が下がる。
「俺にもですか?」
つまり、俺と教授の共同研究――異能力を使用した再生医療についても、公安の指示であるのかについて尋ねた。
「そっちは、協力させてもらっている、で間違ってないよ。公安の目を盗んで異能の研究ってできないし」
なんとかため息を飲み込んだ。
俺は治療薬を開発することに必死になりすぎて、単純なことにも気がついていなかった。
マジでアホ。そりゃそうだ。
なぜ公安が、俺の異能力研究になにも言って来なかったのか――月島教授がいろいろと手を回してくれていたのである。
「俺の知らないところで大変なご迷惑をおかけしていたようで……」
「いいのいいの。そういうのが大人の仕事だからね」
研究室にいるときのように、月島教授は呑気に微笑んだ。
公安をあまりいいところではない、と称したことから、ある程度公安の裏の顔も知っているはずだ。
だというのにこの余裕。見習いたいぜ。
「僕にできることは限られているけど、困ったら相談してね」
「ありがとうございます」
最後に、月島教授はこう言った。
「若者の未来を決定できる老人など、この世のどこにもいないさ。好きに生きなさい、祈くん」
俺の肩へぽん、と手を置いてから、月島教授はその場を去った。
かっけえ。
俺もああいうジジイになりてえものだ。
そんなことを考えながら、俺は指定された部屋の前に立った。
今日は調子の狂うことばかりだ。
俺にしちゃ珍しく、たびたび動揺している。
隙を突かれてんのかね。こういうの全部糸絡さんの采配だったら怖いぜ。
この向こうには、糸絡さん曰く「是非に仲良くなっていただきたい」ヴィランだ。
どんなんが出てくるか予想もできねえぜ。
ノックして、扉を開ける。
そこは、ものの多い部屋だった。生活感がある。
ほとんど何もなかったビットヴァインの部屋とは正反対である。
その人はハンモックで横になっていた。
クッションに頭を預け、文庫本を読んでいる。
タイトルを確認すれば、最近話題の大衆文学だ。
彼女は、洗練された老婦人だった。
その呼び名が正確かはわからない。
上品さの他、研ぎ澄まされたナイフのような鋭さもある。
よく手入れされ、今でも切れ味の鋭い日本刀のような女性だ。
俺が入室したことで、本の文字を追っていた瞳がスッと細まった。
眼鏡越しに見える瞳は、薄い灰色をしている。
読んでいた本に栞を挟むと、ページが閉じられる。
サイドテーブルへ本を放りなげる動作からして、俺にイラついているか、本の内容が大して面白くなかったか――後者であってくれ頼むから。




