八束糸絡②
気まずそうな薄井ちゃんの表情を見て、俺は背筋を正した。
「こっちこそ悪いな。確かにいつもよりやりすぎたか。初対面がアレだったのがよくなかったらしい」
最近の女の子の流行は? という質問に対し、一文字も返答できなかったのがあまりにも心苦しかったため、大学に提出できる程度のリサーチを行ってしまった。
あの時の薄井ちゃん的には世間話の延長だったようだが、俺はそれを少々真に受けすぎたようだ。
これはやりすぎに入るだろう。いかんな、研究機関に所属していると塩梅が狂う。
「謝ってどうにかなることじゃないけど、さらってごめんねえ」
薄井ちゃんは苦笑して、俺の謝罪を流し、己が悪かったという方向に持って行った。
「あ? ああ、それはどうでもいいんだが」
「どうでもはよくないでしょ」
これをどうでもいいと、俺が思っていることに問題があるんだろうな。
自覚はあるが、訂正する気にならない。そうしたところで、俺がしんどいだけだ。
どうせ似たようなことはまたあるだろうし。
これは別に、俺の誘拐を防ぐことのできない誰かを責めているわけではない。
事実として、誰もそんなことはできないという認識だ。
俺が無傷でいられる日常をくれよ、と言うのは現状、誰に対してであっても高望みだ。
感覚として、俺は薄井ちゃんとグッドコミュニケーションを取れている気がしない。
ゆらちゃんを助けた際の連携はパーフェクトだったと思うが、それ以外の話だ。
こういう場合、問題は両者にあるだろうが、俺側の問題は――少し考え、口にする。
「初っ端に助けを求められたせいで、お前のことを助けなきゃいけねえ男だと認識しちまった。何分、お前と同じ境遇の男を、救えなかった経験があるもんでな」
クローゼットに目線をやる。
確かめてないから中にいるか知らないが、俺が開けるときは必ずいるので、そういう魔法なのかもしれねえ。
閉まっている間はいるかどうかわからないが、開けるとその場に発生する怪異なのかも。怖い。
俺はあの日、D.E.T.O.N.A.T.E.を救えなかった。
ヒーローでもない人間が何言ってんだとは思う。
俺はきっかけに過ぎず、D.E.T.O.N.A.T.E.とデルタの密約は、いつか破綻しただろう。
デルタにとって、D.E.T.O.N.A.T.E.は簡単に切り捨てるような手札だった。
すぐに次の犠牲者を見つけてくるだろう。
もし、次の機会があるのなら。
必ず手を伸ばして、その手を掴む。
こんなことにはさせない。
そう思っていた。
それなりに実行できたと思う。
もちろん、俺の力なんて微々たるもんだが。
戦えもしねえやつにできることなど限られている。
その中で全力を尽くした、はずだ。
「薄井ちゃんを侮っているわけじゃねえってことは、知っておいてくれ。俺なんぞに頼らんでも、ひとりでどうにかできんだろ。でもお前はいい男だから、つい助けてやりたくなるんだ」
クローゼットから目線を戻すと、薄井ちゃんがいなくなっていた。
ぎょっとしてテーブルを覗きこむと、薄井ちゃんが倒れている。
「うおいッ!? どうした!? 心臓発作か!?」
席を立ち、近づいて手首を握る。脈ははやいが正常の範囲内。
顔を近づけて観察すると、息はしてるし瞳孔も正常だ。
「寝る気か? 毛布持ってきてやろうか? 添い寝いる?」
「たすけてー」
素直じゃない薄井ちゃんが助けを求めている。これやばい?
突如、後ろから羽交い締めされた。
「お?」
澪だ。そのまま後ろに引きずられ、薄井ちゃんから引き剥がされる。
「祈、これが駆け引きの一種だったら手を出して申し訳ないけれど、聞かせてもらうわ。このおじさんのことが、恋愛的な意味で好きな訳じゃないのよね?」
「あ? ああ」
「2番目の妻の座を狙っている?」
「ノー」
恋愛にうつつを抜かしている暇など俺にはない。
なぜ今そんな話になったのかわけがわからない。
俺が首を傾げていると、薄井ちゃんが倒れたまま呟いた。
「よかった。祈ちゃんの手網を握れる誰かがいてくれて」
「ごめんなさいね、アタシじゃいつも力不足よ。アナタも参加しなさい。何人がかりなら止められるのか試してる途中なんだから」
「おじさんには荷が重いよ」
「重くても持ちなさい、それが恩でしょう」
「耳が痛え〜」
よくわからねえ話をされている。
俺に関する文句である、ということはわかるが。
詳細はよくわからん。
ちょっと羽交い絞めされるだけで身動きがまったく取れなくなる小娘に対し、過剰な評価をされているような気がするな。
「澪、俺はいつまでお前に羽交い絞めされてりゃいいんだ?」
「ヘイズフォグが帰るまでよ」
「マジ?」
薄井ちゃんの本題を聞いていないのだが、俺はこの状態で話を聞かなきゃいけねえのか?
シリアスな話題だったらどうするんだよ。絵面がどうしてもコメディに寄っちまうじゃねえか。
ぷらぷら揺れる自分の足を眺めていると、ふと燻るような匂いが鼻を掠めた。
手のひらに触れられたような感覚があり、反射的に手を握る。
すると俺の手の中には、いつのまにか紙袋の取っ手があった。
「どっから出てきた!? 手品!?」
瓢箪から駒。煙から紙袋である。
スリの逆かよ。知らねえ間にものを掴まされている。
薄井ちゃんは俺のリアクションを見て、愉快そうに笑った。
「だっはっは。喜んでくれて嬉しいねえ、ゆらはもうこんなんじゃ喜んでくれねえもんで」
「じゃあ俺にやってくれよ、俺が飽きるまでは」
「いいよ」
澪に羽交い絞めされたまま紙袋の中身を覗くと、一般的な菓子折りだ。
デパ地下とかに売ってそうな感じ。
「手土産持参ってお前……公安ってみんなそうなのか? 薄墨も少女漫画持ってきたけど」
「だっはっは! あいつらしいやな」
この菓子は、すだまとD.E.T.O.N.A.T.E.と一緒に食おう。
仁が帰ってくる前に証拠を隠滅しておかなければ。
あいつ、まともな会話は壊滅的なくせして、妙に察しが良いんだよな。
自分の不在中にヘイズフォグが来た、という事実を知っただけでイラついて暴れるかもしれない。
「ほんでまあ、おつかいと言いますかね。公安のお偉いさんが、祈ちゃんに会いてえんだと」
薄井ちゃんは、ようやく本題に入った。
ラットロードのやり方とは大違いだ。
あいつはいつも本題から切り出してくるからな。
「そりゃまたどうして」
「ヴィラン懐柔するって話がお気に召したようで。おじさんとしちゃ……まあ、あんまり勧めねえけど、祈ちゃんのためにはなるんだろう」
公安にまつわる過去を思い出しているのだろう。
薄井ちゃんの視線は下がり、眉間にはシワが寄る。
「関わるとロクなことにならねえ男だが、関わらねえと全部向こうさんの思い通りにしてくる。気ぃつけてくれや」
独白のように口に出された言葉は、一人の人間に対する評価であった。
「やばすぎるだろ、そんなんが実在すんの?」
「日本がまだ存在してる理由のひとつじゃねえかな」
「そんなバケモノが他にもいっぱいいるってことか? うわ〜引く〜」
そういうのが国内にいるのか国外にいるのかわからねえが、壮大な話だ。
すべてを思い通りにできる男がいるのに、それで日本が存在していることがギリギリって状況、知りたくなかったな。
薄井ちゃんは俺の顔を見て、苦笑した。
「祈ちゃんにもその素質があるよ」
「よくわかんねえけど失礼なんじゃねえか?」
今、バケモノって言われたか、俺?




