八束糸絡①
ドアチェーンをかけたまま玄関の扉を開けると、見知った顔だったのでチェーンを外し、扉を開け直した。
「どうも」
軽く頭を下げてきたのは薄井ちゃんである。
変わらず元気――と言うには、こないだ公安で会ったばかりだ。
「おー、どした薄井ちゃん。人質とられた?」
「ブラックなジョークだなぁ……それは答えがどっちでも、否定するしかねえでしょ?」
自分の髪をくしゃくしゃとかいた薄井ちゃんを見て、俺は親指で自室の方向を指した。
「そうだな。一緒のベッドで寝ていくか?」
「おじさん、君に色々説教したいなぁ……!」
おっといけねえ、おちょくりすぎた。
俺も薄井ちゃんが人質を取られていると、本気で思っているわけではない。
そうだったら初手夢で会いに来るだろ。
前回の手際を考慮すれば、そうでなくともこれほど迂闊な発言をするとは思えない。
むしろ俺のが迂闊な発言だな。
夢に関する能力を秘匿している相手に言うには、能力を匂わせすぎである。
助けを求めに来たわけじゃねえよな、と念の為確認したら意味深なことを言われたので、意味深なことを言い返したんだが、美少女がおじさんに言っていい台詞回しではなかった。
ついつい自分もまだおじさんだと思っちまうんだよな。
そんで美少女である自認も中途半端にあるから、そのうち、おじさんでも美少女でも許されねえ発言をするバケモンになっちまいそう。
「祈、このおじさんはやめておきなさい」
いつのまにか俺の背後に現れていたフラックス姿の澪が、俺の両肩に手を置いた。
後ろにいるんで顔は見えねえが、声色は真剣だ。
薄井ちゃんにガチ惚れしたと思われてるか?
いきなり同衾のお誘いかましたから、薄井ちゃんに夢渡りの力があることを知らないであろう澪からしてみたら、当然の帰結である。
「その心は?」
そんな事態にはなっていねえが、せっかくなので元同僚としての意見を聞いておこう。
「たぶん沼ったら抜け出せないタイプよ」
「煙なのに?」
「あらあ? アタシの方が沼っぽいって言いたいのかしらぁ?」
「そうかも」
キャッキャとウケていたら、煙草もくわえていないのに薄井ちゃんがモクモクと煙を吐き出した。
その目は遠くを見ている。
「話が複雑になるんでやめていただいていいですかね」
「悪い悪い」
悪ノリがすぎた。
澪と喋ってると本当に引き際がわからなくなる。
薄井ちゃんを連れてリビングに向かう。
「客だぞー」
「とか言って住む気だったりせんだろうな?」
「家はありますんで大丈夫です。お邪魔します」
洗濯物を畳んでいたすだまに胡乱な目を向けられても、薄井ちゃんは一切動揺しなかった。
素晴らしい。のじゃロリ見て無反応とは。
やっぱ所帯持ちは度胸が違うぜ。
ま、ちゃんと分析すれば、俺のことを調べた時にすだまのことも知ったのだろう。
すだまは俺と薄井ちゃんにお茶を出した。
うーん、やはりお邪魔しますと言えるだけで老人の好感度は高いな。
俺の家の人口密度は高いが、ただいまとおかえりが言えるのは俺とすだまくらいである。
「さすがにアイアンクラッドいないタイミングで来たか?」
「まあ、さすがに」
「助かるわ。家なくなると困る」
俺の家にいる間は比較的仁の理性も働いているようだが、薄井ちゃんを見たらどうなるかわからない。
薄井ちゃんの判断は正しい。
茶をすすりながら、薄井ちゃんが本題に入る前に、前会った時の続きを話した。
「大学や街中で収集した、女性に人気のコンテンツ総まとめと、ゆらちゃんが今ハマってるもの、どっちが聞きてえ?」
薄井ちゃんは頭を抱えた。
「祈ちゃんへの発言は慎重にするわ」
「あー? なんだ、確かに俺は記憶力がいいがな。人をおちょくるときか叩きのめすときにしか、粗探ししねえぜ」
「充分厄介だし、おじさんが言いたいのはそういうことではないよ」
「ふーむ。俺は薄井ちゃんの人柄を好ましいと思っているが、それはそれとして苦手なタイプではある。俺はストレートな物言いをするし、ストレートな物言いじゃねえと理解してやれねえ」
俺がビットヴァインとの面会を終え部屋を出てすぐ、薄井ちゃんがいたのは、なにも偶然じゃなかったはずだ。
ヒーローの公認を目指すために公安にいた――その発言自体が嘘とは思わない。
だが、公安で孤立無援の俺を守るため、っつーのが真実だったんじゃねえかな。
俺って鈍いからその場じゃ気づけねえんだわ。
まったく。素直じゃねえやつは苦手だ。
「薄井ちゃんが俺に聞いた、女性は最近何が好きかという質問。それを聞きたい理由がゆらちゃんのためかそれ以外かわからんかったから、両方聞いといた。第三の選択肢あったか?」
貸し一つ、とか言ってくれる方が助かるんだよなあ。
恩に着せるつもりがないほうが困る。
薄井ちゃん的には、こないだの地下鉄騒動で、俺に恩を感じてくれているのだろう。
俺的には、あれライデンとフラックスと薄井ちゃん自身の功績だろ、という感じだが、恩を感じるのは本人の自由だ。
それは全然かまわないのだが、人生かけてサイレントで俺に恩返しし続けてきそうで怖えんだよ。
「オレは祈ちゃんの人柄が好きだけど、確かにおじさんの苦手なタイプだ。ひねくれ者にとっちゃ、真っ直ぐな言葉ってのは、言うのも言われるのも、くたびれる」
発言通り、薄井ちゃんはくたびれて見えた。
うーん、相性が悪いな。しかしお互い、性質を変えるのは難しい。
どっちもおじさんだし、もうほぼ本質が出来上がってっからな。
「ゆらのためだったけど、そこまでしてくれるとは思ってなかった。苦労かけてごめんね」
「俺にとっちゃ、苦労にも入らんことだ。気にするな。こう見えて優秀だぜ俺は。今から3000字のレポートにして提出しろと言われても、20分でやってやるよ」
「将来は学者さんかねえ」
「どうだかな」
将来のことを考えられるほどの余裕は、今の俺にない。
その余裕のなさが、せっかく高スペックの脳みそを扱いきれない理由なのだろう。
ちなみに、ゆらちゃんのマイブームはネムネムだった。
一大テーマパークのマスコットキャラクター。
俺も一時期はキーホルダーが欲しくて遊園地に足を運んだほどだ。
あのキャラデザ――いや、ぬいぐるみ族としてあの形態で生を受けているのかもしれないが――は非常に魅力的である。
こないだ夢に遊びに来た時も、ゆらちゃんはネムネムの前髪クリップをつけていた。
それいいな俺も欲しい、と言ったら、本人はつけているのを忘れていたようで大慌てだった。
子供っぽいところをお見せしてお恥ずかしい、部屋着の感覚のまま夢にお邪魔してしまい、などと言っていた。
誘拐されたときからそうだったが、しっかりしてんだよな。
言葉選びも立ち回りもだ。
しっかりしすぎている、というのは少々心配かもしれない。
こどもはこどもらしくあるべきだしな。




