幻煙ヴィラン・ヘイズフォグ⑥
寝て起きたら違う場所にいた。おおう。
俺はこたつに入ったままうっかり寝ていたようだ――と、錯覚するくらい、普通の家のリビング。
しかし見覚えはない。
異常に良い記憶力を持った俺がそう思うのだから、それは正しいはずだ。
アパートかマンション、広さ的にファミリー用かな。
こたつに入ったままの位置からでも見えるキッチンでは、換気扇の下で煙草を吸うヘイズフォグがいた。
なんか普通にいるなあ。
「おはようさん」
「はよ。お前がさらったんか? やるなあ!」
「素直に感心されると変な気分だわなあ」
ここはヘイズフォグの隠れ家だろうか。
それか、ここで待ってたらデルタが出てくんのかね。
換気扇に吸い込まれていく煙を眺めながら、ヘイズフォグは言った。
「いやなに。おじさんの能力はね、それなりに諜報向きなもんだから、お嬢さんのことを調べたんですよ」
「おー、勤勉じゃねえの」
「いやいや。できるのにやらねえままさらおうとした前回が適当過ぎただけですわ」
「言わなきゃわかんねえのに、誠実だな」
「だっはっは! このオレが誠実!? っはー、おもしれえこと言うなあ」
笑いすぎて出た涙を拭うような動作をしてから、ヘイズフォグは言った。
「随分ヴィランを抱え込んでるようじゃないですか? お嬢さんの目的はなにかなと思ってね、こうしてお話ししようとしてるんだな、これが」
「目的? デルタがなぜだか知らんが俺を殺しに来てるんで、逆にぶっ殺してやろうかなとは思ってるが」
「だっはっは! 豪気だねえ!」
煙をもくもく吐き出しながら大笑いしたヘイズフォグは、目を弓なりにしながら俺に尋ねた。
「受け身の姿勢だけかい? ほかにやりてえことは? デルタにとって代わろう、ってなくらいの野望はないのかな、お嬢さん」
「な~にさらっと俺をヴィラン側にしてんだよ。こんな幼気な一般人捕まえて」
「だっはっはっは!」
笑っとる場合か。
他人のこたつで勝手に頬杖をついて、俺は考えた。
「俺は父の病気を治すために治療薬を開発しているが、聞きてえのはそんな短期的な目標じゃなさそうだな」
それを終えた後に何がしたいのか、という話だ。
知らねえよ、今の俺は目の前のことを考えるだけで手一杯だ。
だが、相手が俺に何を求めているかなら推測できる。
「お前、めんどくせえことを俺に期待しているな? 公安の隠蔽能力をはぎ取って、ヒーローとヴィランを公式なものとして認めさせ、海外のようなヒーロー制度を日本にも敷きてえのか。てめえでやれよ」
「そこまでお察しになれるお嬢さんが適任かと思うんですがね。ほら、おじさんどう見ても政治家とか向かないでしょ?」
「これまでいい加減に生きてきたってな雰囲気は充分にあるな」
「そりゃ重畳」
ゆるく笑いながら口から煙を吐き出したヘイズフォグに、俺は言う。
「お前さ、借金してデルタ側についたって俺に言ったよな? ギャンブル狂いが本物かどうかは知らねえが、そういう事情があるなら、日本の法整備が整おうがお前の居場所はねえだろ。心配してるのはお前の身じゃねえな? もっと先の心配をしてやがる。なんならお前が死んだ後のことをな」
死後を気にすることのできる人間に、悪人は少ない。
犯罪者には、自分さえ、今さえ良けりゃいいって考えの奴ばっかだからだ。
これからのこと、自分以外のことを真剣に考えられるのなら、自然とマトモになっていくもんだ。
デルタは考えた上でこういうことやってそうだけどな。
「やっぱ人質とられてます、つって俺の同情を引くなら、今が締め切りだぜ」
ヘイズフォグは短くなった煙草を消し、シンクの三角コーナーに捨てた。
新しく取りだした紙煙草にライターで火をつけ、ぽやぽやと煙を吐き出しながら、遠くを見る。
「ヘイズフォグってのはほとんど意味が重複してんだよなあ」
「自分でつけたんじゃねえの?」
「自分でつけたけど、おじさんって適当だからね」
Hazeはもや、かすみ、薄煙、などを意味する英単語だ。
同じくFogも、霧やくもりなどを意味する。異なるが、似通った意味の言葉だ。
「ま、意味を重ねて強調するってのに、意味がないわけじゃない。だからこそ幻煙ヴィラン、なんて肩書は邪魔で、広まって欲しくなかったんだがなあ。オレの能力は煙。それだけ、でよかったんだが」
つまり、それだけではない、という口ぶりである。
幻煙ヴィラン。
それですら煙という意味だ、随分重複している。
ならば彼が気にしているのは幻煙ヴィランの幻、という部分でしかない。
「実は今、我々は夢の中にいるんですわ」
「夢オチなんてサイテー」
「おじさんと一緒の夢見てるからサイテーではあるだろうね」
「つまりお前と俺は意識を共通にし、起きた時でもこの記憶は保持され、お前はこの能力を秘匿しているから、ここで行われた会話はデルタの認識外にある、って話をしてえわけ?」
「本当に理解力のあるお嬢さんだなあ」
もうちょい、幻覚とか、直接的な幻を想像していたが、違う方向性で来たな。
内緒話に向いている能力だ、面白い。
しかもこの能力をデルタが知らないということは、公安でも秘匿し続けたとっておき、ということだろう。
「お前が命乞いの上手いおじさんで助かったよ。D.E.T.O.N.A.T.E.の二の舞を演じさせずに済む」
そのとっておきを俺に使用した判断を褒めてやる。
見る目があるな、このおじさんは。
ちょっと人より死ににくく、なぜだか日本最大のヴィランに狙われている、戦闘能力のない小娘。
助けを求めるなら優先順位はずっと低いだろう。他にヒーローもいるってのに。
だがこの選択は正解だ。そう思わせてやろう。
「助けてやる、今度は完璧にな。どうせお前より、人質の安全を確保してえんだろ。そいつの居場所がわかるなら言え、知らねえならヒント言え、それもねえなら誠心誠意頭下げろ」
自分一人で逃げるのなら簡単。
他人も一緒に煙に巻くのは時間がかかる。
ヘイズフォグはそう言った。
ならばデルタの支配下から抜け出せないのは、彼が一人ではないからだ。
「見ず知らずのお嬢さんに頼むことじゃねえのは重々承知だ。だがこれくらいしかおじさんにできることはなくてね、若え頃にもっと色々スキル磨いとくんだったなあ。後悔しても遅すぎるんだが。なんにせよ」
火のついたまま煙草を手のひらで握りつぶして、ヘイズフォグは俺に頭を下げた。
「おじさんの命くらいは好きにしていいから、ちょいと助けてくれねえかな、お嬢さん」
ヘイズフォグのつむじを見て、おじさんの割に全然ハゲてねえな〜とか思った。
意外とおじさんじゃないのか、イケてるおじさんはハゲにくいのか、イケてるからにはハゲ対策もしっかりしてるのか、どれだろうな。
女の体になって良かったことの一つは、男よりはハゲにくいってところだ。
「お前の諜報能力ってのも大したことねえんだな。俺の名前はお嬢さんじゃなくて片桐祈だぜ、ヘイズフォグ」
「だっはっは、こりゃ一本取られたわ。ど~も、おじさんは薄井慎一。名乗りもせず失礼したね、祈ちゃん」
「え、この場合俺はお前をなんて呼ぶべきなんだ? 薄井ちゃん? 慎ちゃん?」
「だっはっは。いや、好きに呼んでくれて構わねえよ」
ヘイズフォグは夢の中ですら煙草をポイ捨てしなかった。
手のひらで握りつぶした吸殻をポケットにそのまま突っ込みながら、こう言った。
「命を預けた相手だ。墓石は要らんがね、おじさんが死んだら名前くらいは覚えといてちょーだいよ」
薄井慎一は、切実な内容をさらっと言うのが上手い男だった。




