片桐祈
雛は疲れきった様子で「帰ります」と言い、空を飛んで帰っていった。飛ぶ元気はあったらしい。
胸を撫で下ろしている幸也に声をかける。
「幸也、お前も疲れてるとこ悪いけど、雛はまだ不安定で心配だ。しばらく近くにいてやれ、なにか燃やしても大事にならん程度、物理的にも近くに」
「はい」
「今から行けるか?」
「はい! 家知ってるんで!」
仲良くチームアップしているようでなによりだ。
幸也は地面を凍らせながら、滑るように雛を追いかけて行った。
これで俺が面倒見てやらなきゃならんやつは一旦いなくなったか。俺は卒倒した。
「祈ーっ!?」
すだまが慌てて駆け寄って来た。
目がぐるぐる回っている。どっちが上でどっちが下なのかわからない。
「もうだめだ……」
「ちょっと、しっかりしてよ!」
澪も駆け寄って来た。
こういう感じで看取られるのも悪くねえな。
死に方の理想は、元気にジジイをやっときながらある日突然ぽっくり逝く、というものだった。
今割とそんな感じでは? 先に荼毘にふされかけたが。
人というのはつらいときにも笑う生き物だ。
俺は笑いを止められなかった。
しかしいつものぎゃはは笑いではなく、へらへら口角が上がるようなものである。
「空元気も限界だ。涙腺が焼ききれたままじゃなかったら泣いてるぜ。号泣だ」
雛に罪悪感を抱かせないよう、表面を優先して再生した。
説得の言葉を聞いてもらうためには、錯乱していてもらっては困るからだ。
だから見た目はそれなりにいつも通りのはずだ。
代わりに、中身がいつもとは比べ物にならないほどぐちゃぐちゃになっている。
もうなにがなんだかわからない、変な再生の仕方したせいで。
「お……俺は焼死したくねえって、何度も言ってただろ!」
俺はいい歳して、癇癪を起こした。
「ああ、結局燃えたなあ! 焦げたなあ! いつもそうだ、死にたくなくても死んじまう! なんで焼死が嫌かって、俺の母さんがそうやって死んだからだよ!」
頭を掻きむしり、髪を引っ掴み、怒りに任せて引っ張る。髪を引きちぎってやろうかと思ったができなかった、腕力のなさが恨めしい。
痛みで痛みを誤魔化そうとするなんてバカバカしかった。痛いんだよなにやっても変わりなく。
「俺が焼死したら、それがどれだけ苦しいかわかっちまうじゃねえか! 事故って潰れた後に燃えて、爆発して、全部どんな気分かわかっちまう! 母さんはこんなに苦しんで死んだのかよ! そんなの救いがねえだろう! あー、いやだ、もういやだ」
この調子じゃ俺が爆死を経験するのはすぐだろう。
D.E.T.O.N.A.T.E.は俺のところにいる。彼の能力は分解だ。爆破ではない。
ならば新しい爆発ヴィランが現れても、なんら不思議な事はないのだ。
デルタがあっさりD.E.T.O.N.A.T.E.を手放したのも、代わりはいくらでもいると考えたからなのではないか。
こんな人生楽しくねえよ。
雛に全部燃やしてしまえばいいんじゃねえのか、と提案したのは本心からだ。
良心が残っていたから、雛はそうしなかった。尊敬するぜ。俺だったらきっとやっていた。
もうなにもかもどうでもいい、すべてをめちゃくちゃにしたい。
心がぽっきり折れてしまう日は突然やってくる。今のように。
「俺の頭が良いことを恨むぜ。記憶力が良過ぎる。読んだ本は一発で暗唱できるし、見た景色は忘れられねえ。俺は一生母さんの死にざまを思い出すんだ、鮮明に。目玉なんか再生するんじゃなかった。そんなことできるなんてことも知らなかったんだ」
交通事故にあったあの日、俺は初めて自分の異能を知った。
あの日に死ねていたら、俺はこれほど苦しまずにすんだのだろうか。
「くそっ、雛のこと説得するために、真っ先に声帯と舌を再生したツケが回って来てる! 前頭葉がぐっちゃぐちゃだから我慢ってもんができねえ! そのくせ喋れるから何もかも言っちまう! いってー! 痛覚だけ再生されやがってバカが! 死ぬほどいてえんだよ、死んだほうがましだ、苦しみが終わるなら!」
ぶっちゃけいつもこんくらいのことは思っている。
大人だから我慢しているだけだ。
人前で泣き叫ぶことをみっともないと思っているから、常に限界まで強がっているのである。
大人ってのはみんなカッコつける生き物だからな。
頭をかきむしっていた手を止め、だらりと落とす。
疲れちまったなあ。
「俺は母の苦痛を理解した。だが俺の苦しみは誰がわかってくれる?」
一体誰に聞いてんだ俺は、バカが。
「だめだこれ。すだま、やってくれ」
俺は自分の首を、手で切るジェスチャーをした。
「介錯を!? そそそそそそそんなことできるわけなかろうが!?」
「バカが。当身だよ、気絶させてくれ。面影にやってただろ。起きてるとしんどい。完全に再生するまで起こすな。もうこんな世界にいたくない」
「それならば、ほれ」
すだまは手刀を落とし、俺はすとんと意識を失った。
寝すぎたときのだるさのようなものを感じながら、俺は体を起こして伸びをした。
「あ~いい朝ですねえ」
「深夜だアホ」
仁は相変わらずリビングで新聞を読んでいた。
時勢に追いつこうと常に努力してて真面目だな。俺はあんまりニュースとか見てないぜ。
「何日経った?」
「3日」
「俺も成長したなあ」
全身丸焦げの――焼死をしてから、たった3日で復活するとは。
内臓破裂の怪我を治すのに3日かかっていた頃が懐かしい。俺も都会の波に揉まれて強くなったんだな。
そういや3日も音信不通になってしまったな。
教授とかに連絡しねえと、と無意識にポケットに手をやってから気づく。
「やべ、スマホも燃えたわ。仁、スマホ拾ってきて直してくれよ」
「スマホいじりながらそのへん歩いてるやつからぶんどった方がはやい」
「さすがにスマホはそのへんに落ちてねえか〜」
タブレットを拾えたのなら有り得るかなと思ったのだが、厳しそうだ。
厳しいのは俺の懐事情である。スマホって高えんだよ。
もちろんこんなことは何度でもあったので、保証には入ってんだけどな。
でも無料じゃねえからなあ。安くはなるけど。
「……祈?」
「なんだ、どうした?」
ゆっくりと蛇口から垂れてきた澪は、おずおず俺の名前を呼んだ。
「えーとその……体調はどう?」
「見ての通り、もう元通りだ。どうした? 珍しく歯切れが悪いな」
「そりゃ、あんなの見せられたらね」
「あんなのって? はらわた?」
「そういうことにしておいてあげる」
そういうことにしておいてもらわないと困る。
俺にも体裁ってもんがあるのだ。あれはなかったことにしてもらいたい。
まったくいい歳して泣き叫んでしまった。もう少し我慢ってもんを覚えた方がいいな俺は。
「もう二度と起きてこなかったらどうしようかと思った。王子様のキスは必要なかったようね」
「いらねえよバカ」
澪はいつもの軽口を叩いた。
しかしその表情はいつもより暗い――液状の体をしているのにそういうのがわかるようになってきた。
大分付き合いも長く、仲良くなってきたもんだ。
それも俺の記憶力が良く、観察力もあるからなのだろう。
この体による恩恵も大きい。だが当然デメリットはある。
覚えられるというのは、忘れられないということでもあるのだから。
「俺が起きてこなくなる日もいつかはくるだろう。俺だって人間だ、それなりに摩耗する。世界に希望を抱けず、己を治したくないと思う日はいつかやってくる。だがそれは今じゃない」
俺だってそれほど鈍感じゃない。
澪と共に面影を捕獲したあの日、澪は今と同じように暗い顔をしていた。
ヴィランやってたんだからってちょっと惨いことやらせすぎたな――自分の体内で、友人と同じ顔をした人間を何度も殺すのは、面影ではなく澪への拷問になっちまっていたかもしれねえ。
まあやってる時には気づけなかったんで充分鈍感ではある。
しゃぼん玉のようなオパール色に光る澪の瞳を見て、俺は言った。
「お前もいるしな、澪」
「……やだ。うまい返しが思いつかないわ」
「会話ってのは相撲でも大喜利でもねえんだぜ。常に相手の心を揺さぶろうとしなくていい。言われて嬉しかったなら素直にそう言ったらどうだ?」
少し黙ったあと、澪は気が抜けたように笑った。
「あなたが帰ってきてくれて嬉しいわ。戻ってきたいと思った理由にアタシがいるのも、とっても光栄よ」
「ありがとよ」
俺と澪は顔を見合せて、変な笑いを浮かべた。
お互い慣れないことをしたせいで、妙に照れている。




