赤沢雛
「私は生まれる直前にこうなったんです。頭が炎になった。腹の中に炎があったら、人は焼け死ぬでしょう。私は母を殺して生まれてきたんです。生まれながらに人殺しなんですよ」
俺の昔話を聞いたライデンは、こんな気持ちだったのだろう。
「父は私が頭を燃やすことを許しませんでした。当たり前ですよね、愛する妻を殺した炎なんだから。父は頑張ったと思いますよ。妻を殺した仇は私なのに、頑張って育ててくれた。時々、ものすごく怖がるんです。私がいつか、父を焼き殺してしまうと思っているんでしょうね」
エピソードが重い。
「それは真実かもしれない。何度も父を焼き殺してしまおうと思った。でもできなかった。できなかったんです、あの日も」
雛はヒーローになる直前、ヴィランになりかけている。
いっそすべてをめちゃくちゃにしてやりたい。
そう思うまでの経緯も、仕事を辞めた理由も聞いていないが、相当なことがあったのだろう。
あるいは今までの人生の積み重ねかもしれない。
ぽっきりと折れる日は、急にくる。
「ヒーローになったら認めてくれるかもしれないと思った。母を殺した罪を償えるかもしれないと。だが父は――インフェルナの話を一度もしたことがない。我が子だとわからないはずがないのに。電話で私に話すのは、就職先は見つかったのか、仕事はどうなんだ、それだけ」
父とは未だに交流があるらしい。
無職の娘を心配する程度には情があるようだ。
「嫌いじゃないんです。だから認められたい。学生時代は勉強を頑張りましたよ、部活動も。賞状だってもらいました。褒めてももらった、でも満たされない。それは私じゃないから」
雛の頭は炎であることが正常だ。
人間の顔になるには気持ちを沈ませなければならない。
彼女にとってそれは異常で、当然楽しくないことなのだ。
何をしても、常に喜びすぎてはいけない、頭が燃えてしまうかもしれない、そう脅えて暮らしてきたのだろう。
「父はきっと、私の本当の姿を認めることはない。父の中では一生、私の炎は人を殺すためのものだ。ならいっそそれを真実にしてしまおうと思った」
なにもかもめちゃくちゃにしてやりたい。
雛にとって父親は、随分大きなものらしい。
なにもかもをと言いながら、衝動の向かう先は案外明確だった。
その日、雛は父を殺しに行ったのだ。
だができなかった。そして別のヴィランが暴れ始め、雛はついヒーローとして戦った。
それは父親を守りたかったからではないのか。
「世界がみんな、私みたいな化け物だったら、私、もう怖がられないで済むって思ったんです。もう誰からも、父のような目で見られないと思った」
遠慮がちで自分を押し殺し、引っ込み思案なところもある雛がヒーローを続けてきた理由はそこにあった。
本当の自分でいたい。
でも化け物だと思われたくない。
だから人を助け、無害をアピールしていたのだ。
「バカでしたね。みんな燃やしたら、もう誰も私のことを見ないのに。いえ、それがよかったのかもしれません。化け物扱いされないために、全員殺してしまおうって。そんなことしたら私化け物――」
「俺は灰の中から生まれただろう」
雛の独白を遮って、俺は言った。
これ以上はよくなさそうだった。雛は自分で自分を傷つけてしまいそうだった。
「お前に燃やされても、戻って来れた。もしお前がいつか本当に世界のすべてを燃やし尽くしてしまっても、俺はお前のそばにいてやれるよ」
プロポーズ? とか誰にも茶化されなくてよかった。
愛の告白すぎるなこれ。ストレートに想いを伝えようとするとこうなるんだ。
「なあ、いっそそうしてみるか?」
雛はぎょっとして、頭を一瞬火柱にした。
「そんなのできませんよ……! 私、祈さんがなんのために大学でずっと頑張ってきたのか、知ってます。お父さんの怪我と病気を治すためでしょう。私と違って親孝行してて、立派で、正義で、善で」
「世界を滅ぼすことを提案したのに、俺のことまだ天使だと思ってんのか」
雛の言葉を途中で遮った。
俺を天使、女神、救世主、好き勝手呼んできた雛のことを否定したことはない。
不安定で不安な雛には、まだそういうのが必要かと思ったからだ。
だが、いい加減に否定させてもらおう。俺はそういった想像上の生き物ではない。現実だ。
「そんなことねえよ。薬の開発は行き詰ってて、もう俺は親父を助けられねえかもしれねえ。俺の力が足りずに父が死ぬところを見せつけられるなら、いっそ全部燃えちまえ――そう思わないでもないんだぜ」
少なくとも、薄墨の協力を得られるまではそうだった。
彼からの返信はまだなく、俺はやきもきするしかない。
薬の開発云々が、即日でなんとかなるわけがないと知っていて尚、そうなのだ。
「破壊衝動は誰にでもあるもんだ。みんなそんな綺麗に生きてるわけじゃねえよ。期待させといて悪いが、本当の善人なんていねえんだ。大抵ちょっとはグレーだよ。だから大丈夫だ。完璧じゃなくていい」
すっかり意気消沈している雛の頭は、未だ人間のものだ。
お陰様で表情がわかりやすい。俺の言葉にまるで納得してねえわ。
「まったく。お前だって本当は世界に全部燃えて欲しくねえんだろ。その理由を俺に求めなくたっていいじゃねえか。やりたいことだけやって、やりたいことでも面倒ならやらなくていい。もっと肩の力抜けよ、真面目ちゃん」
雛の心配、不安、責任を笑い飛ばしてやる。
「ヒーローだって誰かに助けられてもいいんだぜ」
しかしやはり俺の力では不足らしい。
雛の頭には炎が宿らず、泣き腫らした女の顔が見えたままだ。
「でも私、もうヒーローなんてできません。こんなことして」
「お! 安心しろ! フラックスなんて人めっちゃ殺してるし、俺のことだって殺してるぞ! でもヒーロー目指してる! お前の先輩だ!」
「ここで引き合いに出さないでよ」
「幸也も俺のことうっかりで殺してるし!」
「すいません……!」
「いいってことよ」
本人たちも気にしているのを茶化して悪いが、雛の罪悪感を誤魔化すためだ。少しくらい我慢してくれ。
「真面目なお前はそう思えねえんだろうが、デルタが他人を利用して人を殺したんだとすれば、それは利用されたやつではなく、デルタが人を殺したんだと俺は思う。お前はデルタに利用されただけだ。お前の弱みにつけこんで、うまいことやられたんだよ。数多のヴィランがそうやって操られて来たんだ、お前がそうなったからって不思議じゃないし、特別責めようとも思わん。あーその、知ってるかわからんが、俺割とヴィラン匿っててな」
「ヴィランを、匿う」
「だからお前がヒーローからヴィランになっちまっても、まあその……よくはねえんだけど、甘くは見るぜ? 同情できるところがありすぎるからな、雛には」
さっきの話を聞いて、そりゃヴィランにもなるわな、と思った。
俺が雛の能力を持っていたら、俺がこうなっていたかもしれないのだ。同情の余地がありすぎる。
異能者、転生者としてそう思う。
「そんで俺はヴィランをヒーローに更生できねえかなんとか頑張ってんだよ。デルタは俺の命を狙ってるらしい。安心して過ごすには打倒すべきで、それには仲間が必要だ。ヴィランをヒーローにできるなら、敵を減らして味方を増やす一石二鳥。だから雛、お前がまたヒーローに戻ってくれんなら願ったりかなったりなんだけど?」
しばらく黙ったあと、雛はすんと鼻を鳴らした。
「私、いいんですか? まだヒーローやってて……」
「こんだけのことができんだ。超強いし頼もしいよ。一緒にデルタ倒そうぜ」
雛は目をごしごし腕でこすって、涙を拭いた。
鼻をすすって、しばらくして顔を燃やし直し、いつもの姿に戻った。
「はい……!」
鼻声だったが、しっかり意思のある声だった。
その姿はもうヴィランではなく、炎熱ヒーロー・インフェルナのものであった。




