第9話:『静寂の歌姫は、喧騒の夢を見るか』
「キィィィィィィン……!!」
脳が沸騰するような高周波音が、放送室の空気を震わせていた。 ガラスが粉砕され、私の防弾ドレスの繊維が悲鳴を上げている。
「ぐっ……! ダメです……! この音波は『聴覚』じゃない……! 神経に直接『停止信号』を送ってきている……!」
カイル先生が耳を押さえて床にのたうち回る。 私も限界だった。視界が白くチカチカする。
ソフィア様はマイクを握りしめ、恍惚とした表情で歌い続けている。 それは歌ではない。世界を強制終了させるための呪詛だ。
「全ての雑音よ、消え去れ。心臓の鼓動も、血流の音も、思考のノイズも……全てが私には耳障りなの」
彼女の背後に、巨大な「音叉」のような影が揺らめく。 あれが彼女の本質。 音を支配し、万物を沈黙させる**『静寂の女王』**。
(思考が……まとまらない……) (このまま死ねば、静かになれる……?)
意識が闇に沈みかけた、その時。 私の生存本能が、やかましいほどの警告音を鳴らして私を叩き起こした。
『死ぬな! まだ年金も貰ってないでしょうが!!』
「……はッ!」
私はガバッと顔を上げた。 そうだ。私は死にたくない。こんな訳のわからない高周波で人生のエンドロールなんて御免だ。
「先生! 『逆位相(逆位相)』よ!」
私は叫んだ。声は届かないかもしれないが、口の動きで伝える。
「音を消すには、同じ波形の『逆の音』をぶつけるしかない! ノイズキャンセリングの原理よ!」
「正気ですか!? 彼女の出力はジェット機並みですよ!? 相殺できるほどの『爆音』なんて……」
「あるわよ! ここに!!」
私は背中に担いだ『因果切断回転鋸』を構えた。 そして、そのエンジン出力を限界突破まで回す。
「ソフィアァァァ! 私の『騒音』を聴けぇぇぇ!!」
私はチェーンソーの刃を、あろうことか放送機材のスピーカーに突き立てた。
ギャリギャリギャリギャリバチバチバチィィィ!!!!!
チェーンソーの轟音と、スピーカーの破壊音が混ざり合う。 さらに、カイル先生が瞬時に理解し、放送卓のツマミを操作して**「音のフィードバックループ」**を発生させた。
ソフィア様の「死の歌声」と、私の「破壊の轟音」。 二つの音が放送室内で衝突し、干渉し合い――。
キィン……ッ。
音が、消えた。 あまりの音圧の衝突に、空間の空気振動そのものが飽和し、完全なる「無音」が生まれたのだ。
「な……ッ!?」
ソフィア様が目を見開き、マイクを取り落とした。 彼女の最大の武器である「音」が、私の「雑音」によって相殺された瞬間だった。
「今よ! 物理で黙らせなさい!」
私は無音の世界でチェーンソーを振りかぶり――刃ではなく、その平らな側面で、彼女の頭をフルスイングでひっぱたいた。
ガォン!!
「あぐっ……!」
ソフィア様が吹っ飛び、壁に激突して崩れ落ちる。 完全勝利だ。
◆
「……なぜ……」
床に倒れたソフィア様が、掠れた声で呟いた。 彼女の瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。
その瞬間、部屋のモニターにノイズが走り、**彼女の「過去の記憶」**が映し出された。
――そこは、何もない「無」の世界だった。 音もなく、光もなく、時間さえもない。 彼女は、その静寂の深淵でまどろむ「意識体」だった。
だが、ある日突然、**「ビッグバン」**が起きた。 宇宙が生まれ、星が衝突し、生命が産声を上げた。
『うるさい……』
彼女にとって、生命の誕生とは「騒音公害」でしかなかった。 原子が振動する音。風が吹く音。心臓が脈打つ音。 その全てが、彼女の繊細すぎる鼓膜を針で刺すような激痛だったのだ。
『助けて。静かにして。お願いだから、音を立てないで』
彼女はこの世界に迷い込み、人間の少女「ソフィア」の器に入った。 しかし、人間の体はあまりにもノイズに満ちていた。自分の心音さえもが、耳元で鳴り響く大太鼓のように彼女を苦しめる。
映像の中の幼いソフィアは、耳を塞いで泣いていた。 『世界を消せば、またあの静かな闇に戻れるの?』
アレクセイ(王子)の「整然とした世界」に惹かれたのは、彼が作り出す秩序が、唯一彼女にとって「静かな旋律」に聞こえたからだった。 だが、それももう壊れてしまった。
「私は……ただ、眠りたかっただけなのに……。生きている音全てが、私を責め立てるの……」
ソフィア様が膝を抱え、震えている。 彼女は悪ではなかった。ただ、この騒がしい宇宙に適応できない、迷子の異邦人だったのだ。
「……難儀な性格ね」
私はため息をつき、チェーンソーのエンジンを切った。 そして、放送室の棚を漁り、一つのヘッドホンを見つけた。 埃を被っていたが、カイル先生に目配せをして修理させる。
「ほら」
私はソフィア様の前にしゃがみ込み、そのヘッドホンを彼女の耳に被せた。
「……え?」
ソフィア様が目を瞬かせる。 外界の音が遮断された。だが、完全な無音ではない。 ヘッドホンから流れてきたのは、カイル先生が即興でプログラムした**「ホワイトノイズ」**――雨音のような、一定のリズムを刻む優しい雑音だった。
「貴女が求めていたのは『虚無』じゃないわ。『安らぎ』でしょ?」
私は彼女の手を取り、立ち上がらせた。
「生命がある限り、音は消えない。でもね、不快な音を『心地よい音楽』に変えることはできる」
「……音楽?」
「そう。私のチェーンソーの音だって、リズムに乗ればロックンロールよ」
私はニカっと笑った。
「世界を壊して静寂を得るなんて、コスパが悪すぎるわ。そんなことしなくても、私が貴女の『指揮者』になってあげる」
「指揮者……」
「貴女が耳を塞ぎたくなるような雑音は、私が先にぶっ飛ばして黙らせる。貴女は私の後ろで、この雨音を聴いていればいい」
ソフィア様は、呆気にとられた顔で私を見つめていた。 やがて、ヘッドホンから流れる雨音に身を委ねるように、その強張った肩の力が抜けていく。
「……変な人。貴女の声、すごく大きくて……一番うるさいのに」
彼女は小さく笑った。 それは、処刑人の冷笑ではなく、年相応の少女の微笑みだった。
「でも……不思議と、不快じゃないわ」
【SYSTEM:ソフィア・フォン・オーベルシュタインがパーティに加入しました】 【獲得スキル:『静寂の結界』】
「さあ、立ちなさいソフィア! 休憩時間は終わりよ!」
私は彼女の背中を叩いた。
「アレクセイが世界を『更地』にする前に、私たちの『卒業ライブ』を届けてやるのよ!」
「……ええ。仕方ないから、付き合ってあげる」
ソフィア様はヘッドホンを押さえながら、凛とした表情でマイクの前に立った。 かつての敵は、今や最強の音響担当(PA)だ。
「カイル、伴奏の準備は?」 「いつでも。サーバーへのハッキング完了。全校生徒の端末へ強制配信します」
「ソフィア、音響調整は?」 「オールグリーン。ハウリングはもう起こさない。……最高の音を、届けてあげる」
「よし! 行くわよ!」
私はマイクをひったくり、崩壊寸前の世界に向かって叫んだ。
「聴きなさい、愚民ども! そして元・婚約者! これが最初で最後の、悪役令嬢による『世界救済演説』よぉぉぉ!!」




