第8話:『ドジっ子の重力は、ブラックホールより重い』
「う、嘘だろ……!? なんでそこに足場があるんですか!?」
カイル先生が絶叫する。 私のドレスの裾を掴んでぶら下がる彼の視界には、信じられない光景が広がっていたはずだ。
私が空中に踏み出したその一歩先に、**「たまたま強風で飛んできた校長先生の銅像」があった。 次の一歩には、「爆発で吹き飛んできたグランドピアノ」があった。 さらにその次には、「何故か空を飛んでいた渡り鳥の群れ」**が背中を貸してくれた。
タタタタッ! 私は宙に浮く瓦礫と鳥をマリオのような軽快なステップで渡り歩き、重力を無視して落下していく校舎の上へと駆け戻る。
「言ったでしょう! 私の『生存者バイアス』は、確率の神様すら土下座させるって!」
「確率というか、もう因果律の崩壊ですよこれ!」
私たちは滑り台のようになった廊下に着地し、そのまま慣性で滑走した。 目指すは、この天地逆転現象の中心点――マリアだ。
「あはは! すごーい! エリザベート様、サーカスみたい!」
マリアが空中でパチパチと拍手をする。 彼女は、瓦礫でできた玉座にふんぞり返っていた。
「でも、近づけるかな? ――『瓦礫の雨』!」
彼女が指を振るう。 周囲に浮遊していた机、椅子、実験器具、そして粉砕された壁の破片が、一斉に弾丸となって私たちに降り注ぐ。
「ヒッ! 無理です! 避けきれません!」
「避けないわよ! **『都合よく』**弾かれるのよ!」
私はチェーンソーを構え、真正面から突っ込んだ。
ドガガガガッ! 無数の瓦礫が私に襲いかかる――が。 直撃コースの机は、直前で互いにぶつかって砕け散り、飛んできたナイフは私の揺れるアホ毛を掠めて飛び去り、巨大な本棚は私の足元に突き刺さって、逆に「遮蔽物」となった。
「な……なんで当たらないのぉ!?」
マリアが頬を膨らませる。 彼女の攻撃は「広範囲破壊」だが、私のスキルは「個体生存」に特化している。 嵐の中で一滴の雨にも濡れない蟻のように、私は理不尽な弾幕の中を無傷で駆け抜けた。
「お返しよ、マリア! ――『因果切断』!」
私は彼女の玉座(瓦礫の塊)に肉薄し、チェーンソーを振り下ろした。
ギャリィィィッ!!
「きゃっ!?」
玉座が真っ二つに裂ける。 マリアは体勢を崩し、空中に放り出された。
「あっ……転んじゃう……!」
彼女の体が空中で回転する。 マリアにとって「転倒」はトリガーだ。 もし彼女がこの空中で「転ぶ」という概念を成立させれば、その衝撃は空気を媒体にして世界全体を衝撃波で粉砕するだろう。
「させないわよ!」
私はカイル先生から奪い取った『ワイヤー射出機(立体機動装置的なもの)』を発射した。 アンカーがマリアの腰に巻き付き、彼女を引き寄せる。
「捕まえた!」
私は空中でマリアをガシッと抱きとめた。 いわゆるお姫様抱っこだ。
「え……?」
マリアがキョトンとして私を見上げる。
「転ばなければ、災害は起きない。そうでしょ?」
「……うーん、そうかも。でもぉ……」
マリアの瞳が、赤く怪しい光を帯びる。
「私、抱っこされるのって『拘束』みたいで嫌いなの。……弾け飛んで?」
ドクンッ。 マリアの体温が急上昇した。 彼女自身が「生体爆弾」となって、私ごと自爆しようとしている。 ゼロ距離でのエネルギー放出。こればかりは避けようがない。
「先生! 例のアレを!」
私が叫ぶと、遅れて追いついてきたカイル先生が、息も絶え絶えに何かを投げ渡した。 それは、地下図書館で見つけた**『バランスブレイカー・アイテムその2』**。
「食らいなさい! 『絶対摩擦ゼロ・ローション(ヌルヌル地獄)』!!」
私は瓶の蓋を親指で弾き飛ばし、その中身をマリアの全身にぶちまけた。
「ひゃうっ!?」
ドバァァッ! この世で最も摩擦係数の低い、禁断の液体がマリアを包み込む。
「な、なにこれぇ! ヌルヌルして……力が……入らな……」
マリアの体から、摩擦という概念が消えた。 彼女が力を込めて踏ん張ろうとしても、筋肉が滑って力が伝わらない。 指を鳴らそうとしても、指先がツルッと滑って音が鳴らない。 爆発しようとエネルギーを凝縮させようとしても、そのエネルギー自体がツルツルと滑って拡散してしまう。
「物理攻撃もエネルギー操作も、『摩擦(抵抗)』がなければ成立しない! 今のアンタは、ただのヌルヌルした無力な女の子よ!」
「そんなぁぁぁ! 立てない! 滑るぅぅぅ!」
マリアは私の腕の中で、生まれたての子鹿のようにプルプルと震え、そしてツルッと滑り落ちた。
「きゃあああん!」
彼女はそのまま、摩擦ゼロの勢いで廊下をカーリングのストーンのように滑っていき――
ドォォォン!!
廊下の突き当たりの壁(現在は床になっている部分)に激突し、気絶した。 摩擦がないため、回転エネルギーも発生せず、ただの「滑走事故」として処理されたのだ。 地震も、爆発も起きない。
「……勝った」
私は肩で息をしながら、空になったローションの瓶を投げ捨てた。 理不尽な災害(ドジっ子)には、理不尽な物理法則で対抗する。 完璧な作戦だった。
「エリザベート様……貴女、戦い方が汚すぎませんか……?」
カイル先生がドン引きしている。
「うるさいわね! 生き残れば正義なのよ!」
校舎の傾きが戻っていく。 マリアが無力化されたことで、重力制御が解除されたのだ。 私たちは重力に従って、ゆっくりと床に着地した。
「さて……これで四天王のうち3人を無力化(アレクセイ:泥団子、ダミアン:愛の切断、マリア:ヌルヌル)したわね」
残るは、放送室を占拠し、世界を終わらせるための「エンディング」を流すことだけ。
「急ぎましょう。アレクセイが再起動する前に」
私たちは放送室のドアの前に立った。 重厚な防音扉。ここを開ければ、マイクがあるはずだ。
「先生、カギは?」
「ピッキングします。……3、2、1。開きました」
ガチャリ。 扉が開く。 私たちは勝利を確信して踏み込んだ。
だが。 そこに待っていたのは、放送機材だけではなかった。
「――お待ちしておりましたよ。私の愛しい『破壊者』たち」
放送室の回転椅子が、ゆっくりとこちらを向く。 そこに座っていたのは、優雅に紅茶を啜る生徒会長――ソフィア様だった。
彼女は無傷だった。 そして、その手には、指揮棒ではなく、**『放送用マイク』**が握られていた。
「まさか、彼女が先回りしていたなんて……!」
「静粛に」
ソフィア様がマイクに向かって囁く。
キィィィィィィン……!!
スピーカーから、超高周波のハウリング音が放たれた。 音波の刃ではない。 脳を直接揺さぶり、意識を刈り取る「死の歌声」だ。
「私の『静寂』を乱す害虫ども。……この全校放送で、貴様らの脳みそを液状化させてやる」
最後の門番は、音を支配する処刑人。 チェーンソーの爆音も、私の悲鳴も、ここでは彼女の武器にしかならない。
「耳を塞いで!!」
私はカイル先生を突き飛ばし、床に転がる。




