第7話:『筋肉は通信速度(ラグ)に勝てない』
ギャリギャリギャリギャリッ!!
不協和音が地下図書館に轟く。 私の振るった『因果切断回転鋸』は、ダミアンの伸ばした闇の触手に食い込んでいた。
普通なら、影を切ることなどできない。 だが、このチェーンソーは物理的な刃ではなく、対象を構成する「定義」を削り取る。
「ア、アガガガッ……!? な、何ですかこれは! 私の貴女への『愛』が……減少していくぅぅぅ!?」
ダミアンの絶叫がノイズ混じりに響く。 切断面から噴き出しているのは血ではない。赤字の『ERROR』という文字列だ。
「アンタの愛は重すぎてメモリ不足なのよ! 圧縮して出直してきなさい!」
私はさらにエンジンをふかし、横薙ぎに払い抜いた。 ブォン!! 触手が根本から切断され、霧散する。
「あああ……私の愛が……404 Not Found……」
ダミアンの影が急速に収縮し、彼は床で膝をついた。 完全に消滅はしていないが、再構成には時間がかかるはずだ。
「今です! 走って!」
カイル先生が背中のサーバーユニットから排熱ファンを唸らせながら叫ぶ。 私はチェーンソーを担ぎ直し、開かれた扉へと駆け出した。
「覚えてらっしゃい! 次会う時までに、法的に訴えられる距離まで逃げてやるから!」
私たちは地下通路を抜け、1階の廊下へと飛び出した。
◆
「目指すは最上階、時計塔の下にある放送室です」
走りながらカイル先生がタブレットを確認する。 校舎内はさらにカオスになっていた。 壁からピアノが生えていたり、階段がメビウスの輪のようにねじれていたりする。
「ねえ先生! さっきから廊下の幅が狭くなってない!?」
「……いえ、空間が圧縮されているのではありません」
カイル先生が眼鏡を光らせ、前方の一点を凝視した。
「『壁』が迫ってきているんです」
ズン、ズン、ズン……。 地響きと共に、廊下の向こうから「それ」は歩いてきた。
巨大な肉の壁。 いや、それは異常に膨張した筋肉の塊だった。 制服の切れ端が申し訳程度にへばりついているが、もはや人型を留めていない。
【ENEMY:王宮騎士ガストン(覚醒率60%)】
「ぬん……ぬん……」
ガストンだったモノが、唸り声を上げる。 彼の筋肉は増殖し続け、廊下の幅いっぱいにまで膨れ上がっていた。まさに人間戦車。
「通りたければ……俺の大胸筋を倒してから行けぇ……!!」
彼が右腕(丸太のような太さ)を引いた。 ただのパンチではない。 その拳の周囲で、空気が悲鳴を上げ、プラズマが発生している。
「マズい! 『金剛不壊』の概念強化! 正面から受ければ原子レベルで分解されます!」
「チェーンソーで切れる!?」
「無理です! 相手の質量が大きすぎて、切断処理が追いつきません! 逆に刃が噛んで止まります!」
ガストンの拳が放たれた。 ドォォォォン!! 衝撃波がカマイタチとなって、廊下の床と天井を削り取りながら迫ってくる。 回避スペースはない。
(死ぬ――!?)
「チッ……これを使うしかないか!」
カイル先生が、腰のベルトのキーボードを激しく叩いた。
「――領域展開:『低速回線地獄』!!」
彼が懐中時計型のデバイス『ラグ発生装置』のスイッチを押し込んだ瞬間。
世界が、カクついた。
ヒュン……。 迫っていた衝撃波が、私の鼻先1センチで空中で静止した。 いや、止まったのではない。 コマ送りのように、極端に動きが遅くなったのだ。
「な、ん……だ……? お、れ、の……き、ん、に、く、が……う、ご、か……」
ガストンの動きも、まるで壊れたロボットのようにカクカクしている。 一歩踏み出すのに数秒。拳を戻すのに数秒。 音声すらも途切れ途切れだ。
「今です! 私が周囲の『時間処理速度』を極限まで落としました! 今の彼は、通信速度1Kbpsの旧石器時代にいます!」
「よく分かんないけど、要は『止まってる』のね!」
私は重いチェーンソーを引きずり、処理落ちしているガストンの懐へと潜り込んだ。 斬るべきは肉じゃない。 こいつの自重を支えている「足場」だ!
「通信環境(足元)をすくわれる気分はどうよ!!」
ギャリィィィッ!!
私はガストンの足元の床にチェーンソーを突き立て、円形に切り抜いた。 ロジック・チェーンソーは「床の耐久値」というデータを強制的にゼロにする。
「ぬ、お……?」
ガストンが気づいた時には、もう遅い。 彼を支えていた床が消失した。
ズボォッ!!
「う、わ、ら、ば、ぁ、ぁ、ぁ……(バッファリング中)……ぁぁぁ!!」
巨大な筋肉ダルマは、スローモーションのまま、奈落の底(地下階層)へと落下していった。 ドスン……という重い音が、数秒遅れて聞こえてくる。
「……ふぅ。なんとかなった」
カイル先生が装置のスイッチを切ると、世界は滑らかさを取り戻した。 だが、彼自身も肩で息をしている。
「……使用時間限界です。あと1回……いや、もって2回が限度でしょう。このデバイスはサーバー(世界)への負荷が大きすぎる」
「十分よ。おかげで首が繋がったわ」
私は汗を拭い、ガストンが落ちていった穴を覗き込んだ。 遥か下で、「筋肉……筋肉……」という呻き声が聞こえる。しぶとい。
「さあ、行きましょう。次はいよいよ最上階よ」
私たちは階段を駆け上がる。 だが、私の『生存者バイアス』は、まだ警報を解除していない。
ガストンは「物理」だった。 ダミアンは「精神」だった。 なら、次に待ち受けているのは――。
「きゃはっ☆ 待ちくたびれちゃいましたぁ」
最上階へ続く踊り場で。 空中に浮かぶ瓦礫に腰掛け、足をぶらつかせている少女がいた。
ピンク色の髪。無邪気な笑顔。 そして、その周囲に浮遊する無数の「崩壊した建物の破片」。
「マリア……」
元・ヒロイン。 今は、『広域災害指定・移動要塞マリア』。
「お二人が楽しそうに鬼ごっこしてるから、私も混ぜてほしくなっちゃった。……ねえ、この校舎ごと**『ジェンガ』**しましょう?」
彼女が無邪気に笑い、指先を持ち上げる。 ゴゴゴゴゴゴ……!! 校舎全体が激しく揺れ、私たちが立っている床自体が、空中に浮き上がり始めた。
「嘘でしょ……重力制御まで!?」
「いいえ。彼女は『足場』を崩しているんじゃない」
カイル先生が顔を青くして、天井を見上げた。
「彼女自身が『世界の中心(重心)』になったんです。彼女が傾けば、世界も傾く!」
マリアがコクリと首を傾げる。 それだけで、校舎が90度回転し、壁が床になった。
「きゃあああああ!!」
私たちは真横になった廊下を、窓に向かって滑落していく。 このままでは空へ放り出され、落下死だ。
「先生! 何かアイテムは!?」
「ありません! 重力操作に対抗できるガジェットなんて……!」
絶体絶命。 その時、私の脳内に閃きが走った。 アイテムがないなら、スキルを使えばいい。私の、このふざけたスキルを!
「先生! 私のドレスの裾を掴んで!」
「は!?」
「いいから掴めぇぇぇ!!」
私は窓枠を蹴り、空中に身を投げ出した。 死にに行くのではない。 私は心の中で強く念じた。
(スキル発動:『生存者バイアス』全力全開!)
「あの瓦礫! あれが私の『足場』になるはずよ!!」
空中に漂う無数の瓦礫。 その一つが、偶然にも、奇跡的に、神がかり的な確率で、私の足元に飛んでくる――はずだ!
「賭け金は私の命! リターンは全額勝ち取りなさいよ、私の運命力!!」




