第6話:『チェーンソーを装備します』
「紅茶? 残念ながら、ここには『エナジードリンク(魔力回復薬)』と『カロリーメイト(固形保存食)』しかありません」
カイル先生は、実験机の上のガラクタをどかしながら言った。 地下図書館の奥。そこは本の海というより、まるでサーバー室だった。空中に無数の数式がホログラムのように浮遊し、青白い光が薄暗い部屋を照らしている。
「文句は言わないわ。……で? 『DLCエリア』ってどういうこと?」
私が尋ねると、彼は空中の数式を指先で弾いた。
「この世界には、採用されなかった没データ――いわゆる『ゴミ箱』が存在します。過激すぎてカットされた魔法、強すぎてバランス崩壊を起こすアイテム、そして……」
彼は部屋の隅にある、巨大な鉄格子のついた檻おりを見た。
「ボツになったモンスターたち。ここはその『掃き溜め』です」
檻の中には、テクスチャが貼り忘れたような「ピンクと黒の格子模様の犬」や、上半身だけのマネキンが蠢いている。 なるほど。ここは世界の裏側なのだ。
「さて、エリザベート様。現状整理といきましょう」
カイル先生がホワイトボード(というより、空中に浮かぶ白い板)に殴り書きを始める。
【現在の敵戦力】
アレクセイ(空間消失):元・王子。世界を「無」に帰すラスボス候補。
ガストン(物理破壊):元・騎士。触れるだけで物質崩壊。近接戦闘不可。
マリア(地形変動):元・ヒロイン。歩く震源地。広範囲攻撃持ち。
ダミアン(精神汚染):元・魔術師。闇属性のストーカー。現在、私の閃光弾で目潰し中。
ルルネ(管理者):GM。無敵。干渉不可。
「……詰んでるわね。書き出すと絶望感が増すからやめて」
「ええ。まともに戦えば即死です。ジャンルが『パニックホラー』に移行した今、彼らは**『不死身の殺人鬼』**としての補正を得ています。ナイフで刺しても、崖から落としても、次のシーンでは無傷で立っているでしょう」
「じゃあどうするのよ!」
「簡単なことです」
カイル先生は眼鏡の奥の瞳を光らせ、ニヤリと笑った。
「ホラー映画には、必ず**『お約束』**がある。それを逆手に取るんです」
彼は机の下から、無造作に一つの木箱を引きずり出した。 厳重な封印が施されたその箱には、赤字で**【バランスブレイカーにつき使用禁止】**と書かれた札が貼られている。
「この世界には、開発段階で作られたものの、『世界観に合わない』という理由で封印された武器があります。……例えば、これ」
彼が箱を開ける。 中に入っていたのは、剣でも杖でもない。 無骨で、重厚で、油の匂いがする――。
「……チェーンソー?」
「正式名称は**『因果切断回転鋸』**。かつて『ゾンビパニックイベント』が企画された際に作られた、対・不死者用兵器です」
カイル先生は愛おしそうにその凶悪な刃を撫でた。
「こいつの刃は物理的な物体ではなく、『プログラムコード』を刻みます。再生能力を持つ敵でも、その『再生する』という因果そのものを断ち切ることができる」
「……最高じゃない」
私はドレスの袖をまくり上げ、その重い鉄塊を手に取った。 ずしりとした重み。だが、不思議と手に馴染む。 貴族の令嬢が持っていい重さではないが、今の私は「生存者」だ。
「それに、これもあります」
彼が次に差し出したのは、古びた懐中時計のようなもの。
「『ラグ発生装置』。周囲の時間の流れを意図的に遅延させます。FPSゲームで回線落ちした時のように、敵の動きがカクつくはずです」
「あんた、本当になんでただの保健医やってたの?」
「保健室は、サボりの生徒から情報を集めるのに最適なんですよ」
カイル先生自身も、白衣の上から奇妙なガジェットをいくつも装着し始めた。 背中にはランドセルのようなサーバーユニット。腰にはキーボードがついたベルト。 完全にサイバーパンクな見た目だ。
「準備はいいですか? エリザベート様。我々の目標は、校舎最上階の『放送室』です」
「放送室? アレクセイを止めに行くんじゃないの?」
「無理です。今の彼に近づけば消滅します。ですが、放送室から全校放送で**『エンディングテーマ』**を流せば、強制的に世界を『完結』させられる可能性があります」
なるほど。 物語を無理やり終わらせて、スタッフロールへ逃げ込む作戦か。
「いいわ。やりましょう」
私はチェーンソーのスターターロープを握った。 ブルルルルンッ!! けたたましいエンジン音が、静寂な地下図書館に響き渡る。
「私の平穏な老後を邪魔する奴は、全員このノコギリの錆にしてやるわ!」
その時。 ドォォォォン!! 入り口の鉄扉が、外側から激しくへこんだ。
『みぃつけたぁ……。そこにいるんでしょう? エリザベート様ぁ……』
扉の隙間から、黒いヘドロのような液体が染み出してくる。 ダミアンだ。目潰しから回復したらしい。しかも、以前より粘度が上がっている。
「先生、解錠して」
「は? 正気ですか? ここで迎え撃つのは……」
「いいえ。ここは狭すぎる」
私はチェーンソーを構え、獰猛な笑みを浮かべた。
「あいつら全員、引きずり回してやるのよ。――『ホラー映画のヒロインは、悲鳴を上げて逃げるだけじゃない』ってことを教えてあげる!」
カイル先生はため息をつき、操作パネルを叩いた。 「……了解。生存確率0.01%。上出来です」
プシュー……。 扉のロックが外れる。 同時に、黒い闇が雪崩のように部屋へ流れ込んできた。
「愛していますよぉぉぉ! エリザベート様ぁぁぁ!!」
無数の触手を伸ばし、迫り来るダミアンの闇。 私は一歩前に踏み出し、唸りを上げるチェーンソーを横薙ぎに振るった。
「失恋なさい! このストーカー野郎!!」
ギャリギャリギャリギャリギャリッ!!!
因果を断つ刃が、触手ではなく「愛」という名の執着データを削り取る。 悪役令嬢(物理)の反撃が、今始まった。




