第17話:『俺の美しき旋律は、彼女にとっては騒音公害』
「……くっ。まさかヒロインの恥じらいで2次元に圧縮されるとは」
アレクセイ様に業務用の高温アイロンでプレスされ、なんとか3次元の肉体を取り戻した勇者ヒカルは、懲りずに次の作戦を練っていた。
「筋肉、精神、重力……。どれもパワー系すぎたのが敗因だ。やはり、女性を落とすには『芸術』と『知性』だよな」
ヒカルはニヤリと笑い、ステータス画面を開いた。 彼には女神から授かったチートスキルの一つ**『音楽神の加護(どんな楽器もプロ級に弾ける)』**がある。
「ターゲットは生徒会長ソフィア。クールで知的な彼女なら、俺の奏でる高尚なクラシック音楽の良さが分かるはずだ」
放課後。ヒカルは自信満々に、人気のない旧校舎の音楽室へと向かった。
◆
「……静かだ」
音楽室の扉を開けると、そこには夕暮れの光の中、ピアノ椅子に座って読書をするソフィアの姿があった。 彼女はヘッドホンをしており、外界の音を遮断しているようだ。
(フッ……孤高の美少女。絵になるな。だが、そのヘッドホンを外させてやる)
ヒカルは音もなくグランドピアノに近づき、鍵盤に手を置いた。
「聴いてくれ。君に捧げる『愛の挨拶(超絶技巧Ver.)』だ」
ジャァァァァン!!!
ヒカルの指が鍵盤の上を高速で駆け巡る。 人間業とは思えないスピード。1秒間に30回以上の連打。 ベートーヴェンも裸足で逃げ出すほどの、情熱的かつ暴力的な演奏が、静かな音楽室に轟き渡った。
「どうだ! この魂の叫びが聞こえるか!」
ヒカルは陶酔しながら、さらに音量を上げた。 しかし、彼は知らなかった。 ソフィアがヘッドホンで聴いていたのが、エリザベートが録音した**「工事現場のドリル音(環境音)」**であり、彼女が何よりも「突然の大きな音」を憎んでいることを。
プツン。
ソフィアが本を閉じる音がした。 彼女がゆっくりとヘッドホンを外す。 その美しい顔には、氷点下の絶対零度の怒りが張り付いていた。
「……うるさい」
「ふふ、感動して言葉も出ないか? ならば第2楽章、突入!」
ヒカルがさらに激しく鍵盤を叩こうとした、その瞬間。
キィィィィィン……。
ソフィアが指先で、空中に見えない「音叉」を描いた。
「――『三半規管破壊』」
彼女が放ったのは、耳には聞こえない超低周波音だった。 それは鼓膜を通り越し、脳の奥にある「平衡感覚」を司る器官を直接揺さぶった。
「ぐ、え……?」
ヒカルの演奏が止まる。 視界が、グルンと回った。 天井が床になり、ピアノが斜めに滑り落ちていく(ように感じる)。
「な、なんだ!? 地震か!? 世界が回って……うぷっ」
強烈な吐き気と目眩がヒカルを襲う。 立っていられない。彼は椅子から転げ落ち、床に這いつくばった。
「あ、あれ……? まっすぐ、歩けな……」
這おうとしても、体が勝手に右へ左へと転がってしまう。 上下左右の感覚が完全に喪失していた。
ソフィアは、床で芋虫のようにのたうち回る勇者を見下ろし、冷たく言い放った。
「私の静寂を乱す害虫。……その平衡感覚が戻るまで、そこで一生回っていなさい」
彼女は再びヘッドホンを装着し、愛しいドリル音の世界へと戻っていった。
◆
「……だから言ったじゃない。彼女の前で音を出すなって」
数分後。 様子を見に来たエリザベート(完全防音イヤーマフ&耐Gスーツ着用)が、床でピクピクしているヒカルを発見した。
「あ……えりざべ……さま……天井が……回って……あばば……」
ヒカルの目は完全に渦巻き模様になっていた。
「ソフィアの『音』攻撃は、聴覚だけじゃないのよ。気圧操作で耳石をずらされたわね。……まあ、3日もすれば立てるようになるわよ。多分」
エリザベートは慣れた手つきで「酔い止め薬(強力)」をヒカルの口に突っ込んだ。
筋肉に弾かれ、精神を汚染され、重力に潰され、そして平衡感覚を奪われた勇者。 チート能力を持ってしても、「人外の魔境」と化したこの学園のヒロインたちを攻略するには、あまりにも準備不足だった。
「……ママぁ……おうちかえるぅ……」
勇者ヒカル、異世界転生5日目にして、完全に心が折れる。




