第16話:『ときめきの重さは、物理的に40億トン』
「……昨日は不覚を取ったが、俺は学習する男だ」
放課後の廊下。 勇者ヒカルは、整髪料で髪をセットし直しながら呟いた。 ガストン(物理)には飛ばされ、ダミアン(精神)には汚染された。 ならば、残る攻略対象は「正ヒロイン」であるマリアしかいない。
「彼女はドジっ子だが、守ってあげたくなる可愛さがある。俺の『包容力』で包み込めば、きっとイチコロさ」
ヒカルは自信満々に、廊下の角で待ち伏せをした。 彼の作戦は、少女漫画の王道テクニック**『壁ドン』**だ。 逃げ場をなくし、至近距離で甘い言葉を囁く。これで落ちない女はいない(異世界調べ)。
「来たぞ……!」
廊下の向こうから、マリアがトテトテと歩いてくる。 彼女がヒカルの横を通り過ぎようとした瞬間。
「よお、そこの子猫ちゃん」
ドンッ!!
ヒカルは素早くマリアの前に立ちはだかり、壁に手をついた。 完璧な角度。計算された顎のライン。
「俺と一緒に、運命を変えてみないか?」
スキル発動:『魅了の眼差し(チャーム・アイ)』。 これでマリアは恋に落ちる――。
「は、はうっ……!?」
マリアの顔が真っ赤に染まった。 瞳が潤み、心拍数が跳ね上がる。
「ち、ちち、近い……近いですぅ……! 男の人とこんなに近いなんて……!」
「ふふ、照れなくてもいい。俺の胸に飛び込んでおいで」
ヒカルは勝利を確信した。 だが、その様子を遠くから**「重力耐性テスト用・深海探査服(総重量200キロ)」**を着て観察していたエリザベートは、青ざめていた。
「バカッ! 離れなさい転校生! マリアをときめかせちゃダメ!」
「あ?」
ヒカルがエリザベートの方を向こうとした、その時だった。
ズズズズズズ……。
ヒカルの体が、壁に押し付けられた。 いや、違う。壁ドンをしている自分の手が、壁にめり込んでいる。 それどころか、足が床に沈み、血液が逆流するような圧迫感が全身を襲った。
「な、なんだ!? 体が……重い!?」
「あうぅぅ……! ドキドキしすぎて、胸が苦しいのぉ……!」
マリアが胸を押さえて身悶えする。 彼女の「恋のドキドキ」は、この世界では**「質量」に変換される。 羞恥心が高まれば高まるほど、彼女自身の「密度」**が無限大に上昇していくのだ。
「ぐ、おぉぉ……!? ひ、引っ張られ……る……!?」
ヒカルの体が、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、マリアの方へとズズズと引き寄せられていく。 これは抱擁ではない。引力だ。
「マズいわ! マリアの恥じらい指数が臨界点を突破! 彼女自身が**『マイクロ・ブラックホール』**になりかけてる!」
エリザベートがアンカーを壁に打ち込み、必死に耐えながら叫ぶ。
「逃げてヒカルくん! そのままだと**『事象の地平線(シュバルツシルト半径)』**に取り込まれるわよ!」
「な、何を言って……うわぁぁぁ!? 体が、伸びるぅぅぅ!!」
ヒカルの悲鳴が裏返る。 ブラックホールに近づきすぎた物体に起こる現象――**『スパゲッティ化現象』**だ。 ヒカルの体が、マリアの中心に向かって飴細工のようにびよーんと引き伸ばされていく。
「や、やめろマリア! 恥ずかしがるな! 冷静になれ! 素数とか数えろ!」
「だってぇ……こんな強引なことされたの、初めてでぇ……///」
ドクンッ!!
マリアのときめきが最高潮に達した。
ゴォォォォォォォン!!!!!
局所的な重力崩壊が発生。 廊下の空間がねじ曲がり、光さえも歪む暗黒領域がマリアを中心に展開された。
「ママぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ヒカルの姿は、細長い糸のようになってマリアの周囲を高速で公転し始め、やがて「キラッ」という光を残して、彼女のスカートの裾あたりの亜空間へと消滅した。
シュン……。
マリアのドキドキが落ち着くと同時に、重力異常も収束した。 あとには、壁に空いた巨大な穴と、行方不明になった勇者だけが残された。
「……あれぇ? さっきの人、どこ行っちゃったの?」
マリアはキョトンとして周囲を見回した。
「……マリア。スカート払って」
重装備のエリザベートが、ゲッソリした顔で近づいてきた。
「え? はい」
マリアがスカートをバサバサと払うと、その裾から、**「ペラペラに圧縮された勇者ヒカル(2次元バージョン)」**が、ハラリと床に落ちた。
「ぴ、ぴぎぃ……」
ヒカルは生きていた。 ただし、超重力でプレスされ、厚さ1ミリの栞のような姿になって。
「あ、薄くなってる! すごーい!」 「すごくないわよ。……アレクセイ呼んで。アイロン掛けてもらえば戻るかもしれないわ」
エリザベートは、ペラペラの勇者を指先でつまみ上げた。 チート能力も、聖剣も、物理法則という暴力の前では紙屑同然。
「……勇者くん。君、そろそろ気づいた方がいいわよ。ここは『乙女ゲーム』じゃなくて『死にゲー』だってこと」




