第12話:『生存者(サバイバー)の優雅な午後、あるいは次回作へのプロローグ』
「……紅茶の温度、摂氏65度。毒物反応なし。爆発物の気配なし」
王立学園のサロン。 以前と変わらぬ優雅な空間で、私は震える手でティーカップを持ち上げた。 窓の外には、修復された美しい中庭が広がっている。 小鳥がさえずり、陽光が降り注ぐ、平和な昼下がり。
けれど、私のドレスの下には、**改良型強化外骨格**が装着されている。
「平和だ……。不気味なほどに」
向かいの席には、かつて世界を滅ぼそうとした「元・婚約者」アレクセイ様が座っていた。 彼は今、真剣な眼差しでテーブルの上の「角砂糖」を見つめている。
「エリザベート。見てくれ。この角砂糖の包装紙……丁寧に剥がせば、メモ用紙として再利用できる」
彼は恍惚とした表情で、シワシワになった紙片を財布にしまった。
「ああ、なんて無駄のない美しさだ。世界を『無』にするよりも、資源を『リサイクル』する方が遥かに高尚な秩序だと気づいたよ」
「……そう。よかったわね」
あの「清掃員」にゴミ袋詰めされたトラウマは、彼を**「極度の節約家(エコ・テロリスト予備軍)」**へと変貌させてしまったらしい。 今では学園内の落ち葉を拾い集め、堆肥を作ることに情熱を注いでいる。
「ぬんっ……! 指先に……繊細なチャクラを集中しろ……!」
隣の席では、筋肉ダルマのガストンが、冷や汗を流しながら「マカロン」を摘もうとしていた。 以前なら触れた瞬間に粉砕していたが、今はカイル先生が開発した『筋力抑制リング』のおかげで、ギリギリお菓子を保持できている。
「ガストン様、頑張ってぇ! 応援してるわぁ!」 「きゃっ!」 ズゴゴゴゴ……。
応援しようとしたマリアが椅子から転げ落ち、サロンの一部が陥没した。 だが、誰も驚かない。 陥没した床の下から、即座に『自動修復スライム(ダミアン製)』が湧き出し、穴を埋めたからだ。
「ふふ……。BGMはこれくらいが丁度いいわ」
窓際では、ソフィア様がヘッドホンをして読書をしている。 彼女が聴いているのは、私が録音した**「工事現場のドリル音(環境音)」**だ。今の彼女にとって、これが一番落ち着く子守唄らしい。
そして、部屋の隅には、怪しげな機械を弄るカイル先生と、壺に封印されたダミアン(縮小サイズ)。
「……カオスね」
私は溜息をついた。 世界は救われた。婚約破棄イベントも、うやむやになった。 けれど、彼らの「異常性」が消えたわけではない。 ジャンルが「パニックホラー」から**「ドタバタ学園コメディ」**に戻っただけだ。
その時。 窓の外を、緑色のジャージを着た人影が通り過ぎた。
「あ」
私は思わず立ち上がり、バルコニーへ出た。
あの中庭を歩いているのは、あの時の少年だ。 彼は今日も、ダルそうに竹箒を持って、落ち葉を掃いている。 背中は丸まり、足取りは重い。
「……ねえ、ちょっと!」
私は彼に声をかけた。 少年がゆっくりと顔を上げる。死んだ魚のような目は健在だ。
「あんた……名前は?」
世界を救った最強の英雄。 せめて名前くらいは知っておくべきだと思った。
少年は鼻をすすり、ボソリと答えた。
「……田中っす」
「タナカ? 変な響きね。……あんた、一体何者なの?」
魔法も使えず、特殊能力もなく、ただ「生活」のためだけにラスボスをゴミ袋に入れた男。 彼は何のために戦い、何のために生きているのか。
田中と呼ばれた少年は、空を見上げて呟いた。
「何者って……ただのモブっすよ」
「モブ?」
「あんたら『主人公』たちが騒いで、壊して、散らかした世界を……裏で直して、掃除して、帳尻合わせるだけの存在っす」
彼は竹箒を動かし、足元の枯れ葉をゴミ袋に入れた。
「世界がドラマチックなのは結構ですけどね。……そのドラマの裏で、誰かが残業してること、忘れないでくださいよ」
そう言うと、彼は「あ、ヤベ。次の皿洗いのバイト遅れる」と言って、小走りで去っていった。 その背中は、どんな勇者よりも頼もしく、そして哀愁が漂っていた。
「……勝てないわね、絶対」
私は苦笑した。 この世界は、彼らのような「名もなき労働者」によって支えられている。 私たちが「婚約破棄だ」「真実の愛だ」と浮かれている足元は、彼らが毎日ワックスを掛けてくれているから輝いているのだ。
「エリザベート! 大変だ! マリアがくしゃみをしたら、校舎の西棟が半壊した!」
サロンの中から、アレクセイ様の叫び声が聞こえた。 日常の崩壊。 いつものトラブル。
私はドレスの裾を翻し、サロンへと戻る。
「はいはい、今行くわよ!」
私は『生存者バイアス』を発動させる。 私の戦いは終わらない。 狂人たちに囲まれ、いつ爆発するか分からない学園生活を、優雅に、したたかに生き延びる。
なぜなら、私は悪役令嬢。 そして、この理不尽な世界で最も「生」に執着する、プロの生存者なのだから。
「――さあ、防弾チョッキの紐を締め直して。優雅なティータイムの続きを始めましょうか」




