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第28話 身に覚えのない乗り換え疑惑

 最初の英語の授業が終わった後、凪咲は言う。


「いつもと違う先生の解説って、なんだか新鮮で普段とは違う知識が得られますよね」

「わかる」


 今日の講師は塾外から来た臨時の先生らしく、凪咲は配布されたプリント等を眺めて考え込んでいた。

 授業の形式はまず最初にベースとなる知識を習った後、用意された問題を実際に解くというもの。

 その最後に配られた問題は、実際に国立大学の入試で過去に出題されたものだったため、それは勿論ハードな内容と言える。

 俺もわからない単語が多く、大きく間違えることはなかったが満足な答案作成とも至らなかった。

 

 俺ですらそんな状態なわけで、英語が苦手な凪咲はかなり苦戦しているように見えた。

 電子辞書を片手に、休み時間でも授業モードが解除されない様子である。


 二十分後に始まる国語の授業まで、休み時間に入っているのだが、周りの生徒も凪咲のように勉強にまだ集中している人が多い。

 流石に休日を返上してまで塾に来ている層は、意欲に満ちているようだ。

 うちの高校は全国的に見ればやる気のある生徒が多い進学校だが、それでも進学を見据えて塾に通っている層とは違う。


 なんて考えていると、一段落付いたらしい凪咲がペンを置いて伸びをした。


「うーん、はぁ。朝から難しくて頭が痛くなりました……」

「はは、みんな苦戦してるみたいだな。それと、関係ない話だけど、同級生がこんなに私服で集まってるのはなんだか壮観だな」

「いつもとは違う景色でちょっと、私も落ち着きません」


 休日だから、今日は全員私服だ。

 普段の学校終わりだったら、きっと制服なのだろう。

 凪咲は苦笑しつつ、少し困ったような、それでいて恥ずかし気な顔を見せる。


「でもよかったですよ。制服だとうちの高校は若干目立ちますから」

「確かに。周りじゃ断トツの偏差値だもんな」

「はい。日頃だと制服だけでかなり他校の生徒の視線を感じます」


 それは、果たして制服だけが原因なのかと思う俺。

 というのも、今も凪咲は若干他校の生徒に遠目に眺められているからだ。

 実際問題俺達の制服を見て何か思う人もいるだろうが、それはそれとして凪咲が普段眺められている理由は違う気がする。

 ただ、あなたの容姿が浮世離れして可愛く見えているからというだけでは?と俺は思った。


「さぁ、次は国語ですよ! 今度は得意科目なので自信あります」


 小さくこぶしを握る仕草に、頷く。

 俺も頭をリセットして、気合いを入れよう。





 午前二教科の授業を終え、一旦教室を出ようと二人で席を立つ。

 と、廊下に出たところでばったり正面から、山吉文乃に遭遇してしまった。


 お互いにばっちり目が合って間が生まれたため、無視するのも微妙な空気感になってしまった。

 参ったな。

 嫌われている自覚があるからこそ、俺の方から何を言うのも違う気がする。

 だからと言って、無視して去るのも感じが悪い。

 なんだか過去の関係を根に持っていそうで、嫌な感じに映りそう。

 となれば俺が今取るべき最適解はなんだろうか。


 と、そんな風に迷っていると、意外なことに向こうから声をかけてきた。


「枝野君、久しぶり」

「あ、あぁ。久しぶり」


 中学時代と違って、ウェーブのかかった髪が何だか垢抜けて見える山吉。

 彼女は俺と、その隣の凪咲を交互に見てから、そして不思議なことを口にした。


「……果子ちゃんとはもう別れたんだ。別の子に乗り換えるの早いね」

「え、何の話だよ」


 再会早々、身に覚えのない事を言われて目を丸くした。

 若干嫌味チックに聞こえる物言いだが、全く知らない話に俺は困惑するしかない。


 だって、そもそも俺は果子と付き合っていた過去なんてないんだから。


 周果子と俺は、幼少期から一緒にいる機会が多かっただけの幼馴染でしかない。

 昔は果子側がべったりくっついてきていたため、俺も満更ではなかったが、かと言って付き合っていたという事実はない。

 そもそもアイツ、俺の知らないところで彼氏作ってたし、向こうもそういうつもりじゃなかったらしいからな。

 中学の頃の俺と果子は確かに距離が近かったが、それは勉強を教えてくれと言われていたから。

 それ以上でも以下でもないのである。


 あの日裏切られたと思ったのは、別に他の男とくっついて俺を見捨てた——なんていう被害妄想ではない。

 ずっと一緒にいたのに、あんな風に他人に家庭状況までベラベラ喋った上で俺の事を馬鹿にして、一方的にもーいらないなどと関係を切るような事を言われたから、ショックだっただけだ。

 これまでお前にかけてきた俺の時間は何だったんだ?という喪失感もあったかもしれない。

 まぁ今思えば、あんな奴と一緒に居続けた俺も大概だったが。


 というわけで、断じて付き合ってなどいなかった。

 きょとんとしている俺に、山吉は何故か怪訝そうに眉を顰める。


「え、付き合ってなかったの?」

「勿論。それに、今隣にいる子とも何もないぞ。恐れ多いからあんまり滅多なことは言わないでくれ」

「そ、それはごめん」


 苦笑するしかない凪咲の立場にもなって欲しいし、俺だってこんな子と付き合っているだなんて誤解をされるのは、恐ろしいから勘弁してほしい。


 妙な雰囲気になってしまったため、そのままお互いに気まずくなりながら別れた。

 昼食のために一旦塾から出ると、凪咲が困ったように笑う。


「なんだか、勘違いをさせてしまいましたね」

「あぁ。アイツと付き合っていただなんて、心外にもほどがある。それに、雨草さんにも申し訳ないし」

「わ、私はいいんです。恐れ多いので」

「いやいやいやいや。逆でしょ」


 何故凪咲が謙遜する必要性があるのか。

 どう見ても俺とは釣り合っていないレベルの美少女で、尚且つ勉強もできる。

 今も私服姿の凪咲に、気を抜くと見惚れてしまいそうだ。


 と、そこで凪咲はさらに驚愕の発言をした。


「だって、枝野さんはあのレイサさんの彼氏さんですからね」

「——は?」

「え?」


 今この人、なんて言ったの。

 俺の事を、レイサの彼氏って言ったか?

 え、聞き間違い?


 きょとんとしている凪咲に、俺は冷や汗を流しながら笑いかける。


「あ、はは。俺の耳が腐ってんのかな。レイサと俺が付き合ってる~みたいに聞こえたんだけど」

「違うんですか?」

「ちげぇぇよ! 付き合ってませんから!」

「えぇぇっ!?」


 びっくり仰天して珍しい大声を上げる凪咲に、周囲の人が何事かと見てきた。

 その場から逃げるように歩き出しながら、俺達は会話を続ける。


「い、いつからそんな勘違いを?」

「初めからです……」

「Oh……」


 たまに凪咲の発言に覚えていた違和感の正体はこれだったのか。

 何をどう見たら俺とあの大人気帰国子女が付き合っているように見えるのかは知らないが、ずっとそう思われていた事実が猛烈に苦しい。

 恥ずかしい。


 よかった、釈明するのが俺で。

 レイサの方にその話をされていたら、危うく関係性が崩壊するところだった。

 アイツも俺と付き合っているだなんて勘違いされるのは、不本意だろうからな。

 確かに仲は良いが、俺は勘違いはしない。

 それこそ山吉みたいな女子に拒絶されてきた過去から学んだのだ。

 女子の好意的態度は疑ってかかるべし。

 教訓にして額縁に飾りたいレベルだな。


「でも、じゃあレイサさんはなんであの時……?」


 赤い顔でぶつぶつ言っている凪咲を横に、ため息を吐く俺。

 なんだか色んな人に、あらぬ勘違いばかりさせている気がする。


 もう少し女子との距離感には気を遣おうと、俺は今一度決心するのであった。

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