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六月の夜更け、天敵が迎えに来た

作者: 葛餅もち乃


 天敵と共謀したことがある。いや、共謀というのは言い過ぎかもしれない。ちょっとしたお節介と親切心、だ。

 大学のバドミントンサークルで、この二人両想いなんだろうな……という二人がいたとする。それを二年間、密かに見守っていたとする。そして三回生になって入部した新入生の男の子が――見た目や言動で判断するのは悪いがどうも相当遊んできたらしい男の子が、その二人の仲を引き裂こうと動き出した。そのとき、二年間焦れ焦れと愛を育んできた二人をくっつけようと動くのは、仕方ないのではないか。

 私と同じように考えたのが、天敵である有馬湊だった。理工学部土木工学科の、顔のいい男である。入部した当時から私たちは反目し合っていた。流石に毎度口論するわけではないが、なんとなくお互い気に食わない存在だった。そんな私たちを宥めて取りなしてくれていたのが、いい加減早くくっつけと見守っていた二人である。柿本君と梨野さん、通称柿梨コンビ。いつの間にか四人で話すことも多くなり、有馬とは付かず離れずというか、まぁ、天敵であり友人のような存在になったのだ。

「なぁ雨宮。あの新入生にしっちゃかめっちゃかされる前に、俺たちでいい加減くっつけねぇ?」

 サークル活動中、体育館の壁際で休んでいると、私の隣に座ってきた有馬が突然言った。

 誰と誰を、なんて言うまでもなかった。

「わかる」

 二人の心が一致した瞬間である。

 サークル活動中にコソコソ二人で話していると、変な勘ぐりがおきるかもしれないので、私と有馬は授業の空き時間などで待ち合わせることにした。

「で、雨宮はどうすればいいと思う?」

「サークル外で物理的に二人っきりにさせれば、いつか付き合うと思ってる。サークルの中にいると、あの二人って調整役に回るじゃん。学部も違うし、二人とも奥手だし」

「俺も同じ意見。あと、ちょっと煽ろうぜ」

「具体的には?」

 有馬の一計は古典的なものだった。新入生が狙ってるらしいよ、と二人ともに吹き込むのである。それは嘘ではない。じわりと焦燥感を募らせてから、四人で遊ばないかと誘った。就活や卒論等で忙しくなる前に四人で遊びたい、と言えば、二人とも喜々として予定を組んでくれた。

 映画に行き、カラオケに立ち寄り、店を見て回り、居酒屋で食べて……またある日はハイキングに行ってみたり、水族館に行ってみたりした。その都度その都度、私と有馬は何かの理由を作って少し抜け、柿本君と梨野さんを二人きりにさせる。

 少々紆余曲折はあったが、無事二人はくっついた。

 私と有馬は柄にも無くハイタッチした。


 それが、一年前である。

 梅雨入り間近の今の季節、外に出ると夜はまだ少しひんやりしていて、体にこもったお酒と店内の熱気がすぅっと冷めていった。

 大学の最寄り駅近くの居酒屋である。頭上には雲が無く、星だって幾つか見える澄んだ夜空だ。そんな気持ちいい空の下、私は梨野さんを介抱していた。こんなこと初めてなのだが、梨野さんは酒量を間違えてしまった。思い詰めた表情で『悩みを聞いてほしい』をお願いされ、滅多にないことに私は奮起した。思っていたとおり、梨野さんは溜め込むタイプだったのだ。見た目が可愛い、という理由で期間限定のカクテルを頼んだのもいけなかった。アルコール度数が高かったのである。

 そうして店先で、梨野さんの彼氏である柿本君のお迎えを待っているのである。

「雨宮さーん……! うわ、すごい潰れちゃってる」

「ごめん、彼女潰しちゃって……お酒間違えました」

 バイト終わりの柿本君は、ふらつく梨野さんを優しく支えた。

「連絡ありがとうね雨宮さん。待って、もう少しであいつも来るから」

「あいつも来る?」

 眉を寄せて小首を傾げる。スマホを確認し、あたりをきょろきょろと見回した柿本君は「おーい!」と手を振った。そのほうを見ると、ジーンズにスウェットパーカーを羽織った有馬がいた。こちらに気付くと小走りに近づいてくる。

「え、なんで有馬?」

「だってお前、終電」

 不機嫌そうに目を細めた有馬が言う。

「えっ……ああ!」

 大学生活初めての失敗に叫んだ声はあたりに反響した。

「こっちの路線は終電……?! や、やばいやばいやばい」

 実家から時間をかけて電車通学しているので、いつもは気をつけているのだが、今日は気を抜いてしまっていたらしい。自宅までを考えるとこっちの私鉄の終電は早かったことが、どうしてか頭から抜け落ちていた。大失態である。

「だから俺が来たんだろ。じゃーね柿本、あとは任せて」

「おぅ。じゃあね雨宮さん、連絡ありがとう」

 柿本君は梨野さんをおんぶし、安心させる笑顔を残して去って行った。彼はこのあたりで一人暮らししているはずである。

 残された私は、絶望的な気持ちで有馬を見つめた。

「なんで……有馬を……?」

 有馬は嘲るような笑みを浮かべる。

「ダブルデートの功罪」

「ああ……なるほど……」

 付き合っているか、そのようなものだと思われているのだろう。

「有馬、よく覚えてたね終電のこと」

「雨宮が前に言ってたじゃん」

「物覚えいいね。……ごめんね、こんな時間に呼ばれちゃって。カラオケか満喫で適当に過ごすから。ありがと」

 流石に申し訳なく、しゅんとして言うと、有馬は片眉を上げた。

「危ないだろ、付き合うよ。それか、俺んち来る?」

「いや、私の失敗に付き合わせて申し訳ない」

 固辞すると、有馬の機嫌がひゅんと下がったのがわかった。とても居たたまれない空気になる。

「申し訳ないと思ってんなら、ご好意を受け取れば? ほら、行くよ」

「え、どこに?」

「俺んち」

「えー、行ったことない」

 さっさと歩き出す有馬の後ろを、慌てて追いかける。歩き出すと、私もほろ酔い状態なのを自覚した。あのカクテルの罪は重い。

 隣に追いつくと、有馬はふっと笑って歩くペースを緩めた。ちょっとだけ意地悪そうな無邪気な笑みが、ひどく魅力的な男である。切れ長の大きな目は、よく言えばいつだって達観していて、悪く言えば冷たくどこか斜に構えている。すっと通った鼻梁に、綺麗な色をしている唇、爽やかで野性味のある顔つきを理想的な形で整えている輪郭。これで身長が低かったらまだ納得できるものの、背も平均より高いので、不公平だなぁと思う。

 有馬を目当てにここ三年間、入部希望の女子は増えた。

「今日は二人で飲んでたの?」

「うん。ちょっと色々喋ってて、可愛いカクテルが予想以上に度数高くって……」

「雨宮も酔ってる?」

「いや? 平気」

 ふうん、と相づちを打たれて会話は終了した。大学へ向かう緩やかな坂道を上る。駅の喧噪から離れ、あたりはどんどん静かになっていく。

「有馬の住んでるとこって大学の近くだっけ」

「そ。大学の裏側。コンビニ寄ってく? メイク落としとか俺んち無いよ」

「行く。……なんか慣れてる?」

「どーゆー意味?」

 地を這うような声で問われ、お世話になる身なので曖昧に笑って誤魔化した。女の子を連れ込んだことがあるんだろうなーと、思ったのである。

 私が何を思ったのか察したのだろう、軽く睨まれた。

「姉貴がいるからわかるだけ。言っとくけど、部屋には一度も女子入れたことない」

「え、こんなに大学近いのに、サークルとかゼミの面子で来たこともないの?」

「大学近いからこそ、入り浸られたくないだろ」

 なるほど、と納得する。

「それに一度許したら、後日突撃してくるかもしれないじゃん。追い返すのもめんどくさすぎる」 

 女の子に押しかけられる様子が容易に想像できた。モテる人も大変だな、と遠い目になる。

 大学の正門前まで着き、西側へ歩みを進める。比較的遅くまで空いている図書館棟も勿論閉まっていて、明かりはほぼ点いていない。

 暗闇の中の学校は雰囲気が全く違い、住宅街とはまた別の濃い影と静寂さに怖さを感じた。

「夜の学校ってなんか雰囲気変わるね」

「え、なに怖いの」

 ニヤニヤする有馬に、少しは機嫌が直ったかなと思う。

 そこからまた少し歩くと、煌々と明るいコンビニが見えてくる。とりあえず買うものはメイク落としと、有馬への手土産と、水だ。

「そうだ、ホテルで貰った未開封の歯ブラシならあるよ。あとさー……飲み直さない? 目ぇ冴えたわ」

「……おぅ? 飲む?」

 ということで、それぞれお酒一缶ずつと、おつまみを買った。

 支払いは勿論、不詳私めが致しました。



 有馬の住んでいる部屋は大学から徒歩十分ほどの、一人暮らし用のマンションだった。一度許せば入り浸られる、という危惧は最もだった。

「お邪魔しまーす……」

「ほんとになー」

 部屋は小さすぎることもなく、玄関を入った通路にキッチンとバス・トイレ、扉を隔てて部屋があるようだ。まだ洗っていない食器がシンクの中にあったり、コンロ周りが汚れていたり、綺麗すぎないところに好感が持てた。

 扉の向こうは八畳くらいの一部屋でクローゼット付き。ベッドとローテーブル、棚と、鞄や服のかかったポールハンガーがある。本や書類が積まれてあったり、小物が散らばってもいるが、清潔感がある。

「綺麗にしてるね」

「そお?」

 有馬がベッドにドスンと座り、私は床に正座した。そして深々頭を下げる。

「この度は大変ご迷惑を……」

「いーって。俺もちょっと強引だったし。俺、部屋着に着替えていい? 雨宮はメイク落としてきたら?」

「ではお言葉に甘えまして」

 買ってきたメイク落としシートを持って、洗面所のほうへ向かう。扉の向こうでクローゼットを開ける音がした。

 備え付けの鏡には水垢の汚れがところどころ付いており、それが少し安心した。気持ち程度のメイクを落とすと、平凡な顔が私を見返す。愛嬌のある顔だと言ってくれるが、奥二重の普通の顔である。動物に例える遊びの一環で、有馬には「猫かな。バーマンに似てる」と言われたことがある。知らなくて検索すると、なかなか可愛らしく温和な猫で、本当にそう思ってるのかなと疑った。

 扉をノックし、入ってもいいか訊ねると「いいよー」と返答がある。上下黒のスウェットに着替えた有馬がお酒とつまみの用意をしてくれていた。

「雨宮も着替える? 俺の服だけど」

「あー……気が利きますね有馬君」

「あと寝るとこなんだけど、お前がベッド使ってね。俺は床で寝る」

 有馬は素っ気なく言いながら、ベッド下の収納からシーツを取り出している。あれを引いて寝るつもりなんだろう。

「いやいやいや! お邪魔した身の上で無理! だいたいお風呂にも入ってない身でベッド上がれるわけないじゃん」

 自宅の自分のベッドでも嫌である。ぶんぶんと頭を振って拒絶すると、有馬が盛大に顔を顰めた。

「女子差し置いてベッドで寝るとか無理。だったらシャワー浴びて来いよ。それで解決」

「え……えー?」

 それってなんか……駄目ではないのか? いくら色っぽい関係でないとは言え、この状況下でシャワーを浴びるのは、なんだか恥ずかしいような気がする。

「シャワー浴びるか否か、二択だ。知ってるか? 家主は俺だ」

 有馬は冷徹そうに目を細め、小首を傾げて圧をかけてきた。

 迷ったが、結局正解は決まっているので、私は腹をくくった。

「……お言葉に甘えまして、シャワーを、浴びてきます。有馬君ったら紳士ィ……」

 後半、当てこする目的で言ったのだが、「ハッ」と鼻で笑われた。


 有馬から風呂場の説明を受け、簡単にシャワーを浴びる。男物のシャンプーの匂いが新鮮だった。

 お借りしたTシャツとスウェットの上下はさすがにダボダボである。勿論、有馬の匂いしかしない。嫌ではないが、変な感じだ。

 ……今こんな状況になっていることを知られたら、過激な有馬ファンから刺されるかもしれない。

「シャワーいただきました……すみません何から何まで。洗ってお返ししますので」

「別にいい」

 有馬はコンビニで買ってきたお酒とは別に、ビールを一缶開けていた。金曜夜の深夜番組をかけながら本を読んでいる。

 有馬は口が悪いが、優しい奴である。言ってることとやってることのギャップに首を捻ることも多い。そういうところがまた、女を沼らせるのだと思う。罪作りな奴だ。

「飲もう。雨宮が終電逃すなんて珍しいよな」

「初めてのことです。やっちまった……すごく反省してる」

「へぇ。ほら乾杯」

 カチン、と酒缶を合わせた。こんな状況でも有馬はいつもと変わらない。その自然体な様子に、迷惑をかけている申し訳なさと、異性の部屋に二人きりでいるという若干の緊張が抜けていく。

 有馬はごくごくと酒を飲んだ。彼は既にビールを一缶開けている。サークルの飲み会では率先して酒を飲むほうではないので、意外である。家飲み派なのか。

「雨宮は世話焼きだからな。一対一で梨野さんがああなったから、仕方なかったんじゃねーの。そこまでしおらしくならなくても」

 私はパチパチと目を瞬いた。初めてきちんと褒められた気がする。

「やっさしーい」

「は? 今ごろ知ったの?」

 咎めるような、吐き捨てるようにも聞こえる言い方は慣れていないとキツい。しかしこれまでの付き合いで、これは若干照れ隠しも入っているなとわかるのでニヤニヤしてしまう。それを肴に、チューハイに口をつけた。

 四回生になると、サークルではほぼOBのような扱いである。特に有馬は学業が忙しく、全く来ていない。たまに柿梨カップルと四人でご飯に行くが、有馬とこうして会うのは一ヶ月ぶりくらいになる。 

「雨宮は就活どう」

「んー……ぼちぼちかな」

 ぽつぽつとお互いの近況を報告した。有馬は大学院に進むので、就活はまだだ。理系の話を聞いていると大変そうだなと思う。ただ、就活には困らなそうだな、と羨ましい思いもある。それだけ勉強してきているからだし、社会から必要とされている職が多い。私はどうしても理数科目が好きになれず、得意にもなれなかった。ずっと勉強して研究していくのは無理だ。だから、尊敬の念もある。

 将来のことを話すと、どうしても湿っぽい気持ちになる。気遣わせたくないので、空元気の笑みを貼った。

 そうすると、有馬にじっと見つめられた。訝しむような、観察されている目つきだ。何故か冷や汗が出そうになる。

「そろそろ寝る?」

「あっ、うん」

 有馬がそう言ってくれ、お互い歯磨きをして寝床に入った。電気を消すとまっ暗で、小さな置き時計の秒針の音がやけに響く。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 と言ったところで、全然眠れない。有馬はどうなのだろう。こちとら、衣擦れの音すら立ててはいけないような緊張感に困惑する。寝返りを打とうにも、このベッド、有馬の匂いしかしないのである。何故枕までベッドに置いていったのだ、有馬。お前はそれで良かったのか。

 十分か二十分か、眠れますようにと祈りながら目を瞑って耐えていると、有馬が小さい声を出した。

「雨宮、起きてる?」

「起きてる……」

 返事をすると、有馬が身を起こす音がする。そこで私は寝返りを打って、有馬のほうを向いた。テーブルを挟んだ向こう側に、有馬が半身を起こしていた。

「お前さー……この状況どう思ってるわけ」

 有馬は疲れた声を出した。

「……非常に申し訳なく思っています」

「率直に言え。迎えに来たのが俺じゃなくても、泊まってたか? 相手は男な男」

「いやー……泊まってないんじゃない。無理でしょ」

「じゃあ何で俺んち泊まってんだよ」

「だって有馬だから」

 有馬は大きくため息をついた。

「雨宮ってさぁ、最初俺のこと嫌いだっただろ」

「それはこっちの台詞ですけど」

「最初はそうだったかもしれねーけど、好きでもなけりゃ、こんな夜中に迎えに行ったり、部屋に連れ込んだりしねーわ。ほんっと鈍感女」

「…………?」

「おい、聞いてんの。寝たふりしたらキレる」

「いや待って? 今告白されたような気が?」

「したけど!?」

 キレ気味の口調だった。

「俺の中身がこんなんでも、態度変わらず受け入れてくれんの雨宮ぐらいだよ」

「いや、別に中身悪くないじゃん……え、待って? ほんとに告白されてるの? 有馬に?」

 はてなマークを頭の上にいくつも浮かべる。

「そういうとこだよ! 鈍くてムカつくと何度思ったことか」

 暗闇に慣れた目が、有馬の悔しそうな顔を見つけた。

 可愛かった。

「え、あの、嬉しいかも」

「じゃあ付き合う?」

「えぇー……。……えぇー?」

 心臓がどきどきしていた。爆速だった。

 正直かなり寝耳に水だが、素直に、嬉しい。

「なんで押したら押せそうなんだよ」

 迷っていたら、それはそれでムカつくようだった。我が儘すぎないかこの男。知っていたけど。

「でもこの流れで押したら雨宮、後日やっぱり無理って断りそうだよなぁ」

 有馬の目つきが据わっている。それがいつもより怖く、沈黙は金だと悟り、私は言葉を紡げず固まっていた。

 一人で考えて結論づける癖がある有馬は、何やら一人で納得したらしい。

「明日から覚えとけ。おやすみ」

 そう言って、有馬は毛布をかぶった。とってつけたような寝息も聞こえる。

「……おやすみなさい」

 私の頭の中は混乱していた。

 びっくり、嬉しい、可愛い、……有馬って可愛いな!?

 布団に潜ると有馬の匂いに包まれる。これ、いい匂いかもしれない……と思うと、脳がキャパオーバーした。

 考えることを速やかに放棄すると、睡魔が忍び寄ってくるのがわかった。


       ○


 翌朝、起きると目玉焼きにご飯と豆腐の味噌汁、という素敵な朝食が用意されていた。

「お前、マジ、熟睡してるとかあり得ねえ」

 有馬には睡眠不足がありありとわかる顔で言われ、心底申し訳ないですとベッドの上で土下座した。



(終)

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― 新着の感想 ―
いい。主人公にめっちゃ共感できる。(自分、男でストレートやけど。)
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