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第98話 不気味な笑顔

 










「私に赤紙が来たのよ……」


 綺羅子の襲撃の翌日。

 ナナシは日向ぼっこに行っている間に、綺羅子が俺の前で神妙な面持ちをしていた。


 笑える。

 赤紙という、現代ではそうそう聞くことのない言葉。


 いや、魔物の氾濫の時には、特殊能力者が強制的に徴用されたらしいが、それも赤紙はなかったらしいし。

 そんな古い表現で、俺は彼女が何を言いたいのか分かってしまった。


「ああ、実家からの手紙か」

『実家からの手紙を赤紙って言うのはどういうことなの……?』


 こいつにとっての家というのが、そういう意味なんだということだ。

 強制徴収されて、命をかけなければならない場所。


 ……そこに俺を連れて行こうとしているのが許せんのだが。


「まあ、クソみたいな家に生まれたお前が悪いわ。自業自得以外のなにものでもない。自分の選択に従った責任を果たしてこい」

「生まれる場所なんて選べないでしょ。何が自業自得だ、ぶち殺すぞ」

「ひい……」


 ちょっと本音を言っただけなのに、こんなに殴られるなんて。

 血走った目が、綺羅子に今どれほど余裕がないかを示している。


 恐ろしいことだ。

 目が真っ赤になったら面白いのに。


「で、無視しようにも絶対強権を振るわれるだろうから、下手に反抗しないことにしたの。一度脱走して、結構ややこしくなったし」


 綺羅子が言っているのは、この特殊能力開発学園に強制入学させられそうになったのを、逃走したことだろう。

 まさか遭遇するとは思わなかったし、同じ行動をとっているとも思わなかった。


 ……いや、こいつならやりかねないとは思っていたが。


「自業自得じゃん……」

「は?」

「いえ、何でもありません」


 ここ最近で綺羅子の圧が一番強い。

 ここは、無駄に煽るのは止めた方がいいかもしれない。


 俺は冷や汗を垂らしながら決意した。


「で、何でそれに俺が関係してくるんだよ。お前の御家事情なんて知らねえよ」

「私の家に避難させてやったこともあるでしょ」

「ああ、ありがとう。……で?」

「恩知らず……!」


 昔のことを誇らしげに言われてもなあ。

 というか、別にこいつの家に逃げなくても、俺くらい容姿が整っていたら、誰からも助けられたと思うし。


 今は超絶イケメンだが、昔は超絶かわいいショタだったから。

 ちょっと危ない大人のお友達に目をつけられていたらやばかったかもしれん。


 俺がまったくぶれないことに業を煮やした綺羅子は、遂に爆発する。


「私だけが帰ったら、全部私にいろいろ集中するじゃない! あなたがいるおかげで、それが分散するのよ!」

「ふざけるな! なんで俺がお前のために分散した奴を受け入れないといけねえんだよ! 嫌だわ!」

「私のためよ! ちゅーしてあげるから!」

「いらん!!」


 飛び掛かってくる綺羅子をいなす。

 やんのかこらぁ!?


 どったんばったんとお互いマウントの取り合いをする。

 こいつの髪はそんなに長くないのだが、こんなにも接近戦を繰り広げていると、かなりぶつかってくる。


 ふわりと甘い匂いがする。

 温かく柔らかい人肌を感じる。


 他人の人肌はダメなのだが、昔からいるからだろうか、こいつは平気なんだよな。

 まあ、だからと言ってずっと触れ合っていたいなんてことは思わないのだが。


 何とか綺羅子を押さえつけて、いつダッシュして逃げようかと考えていると……。


「綺羅子お嬢様、お迎えにあがりました」


 渋い声が聞こえてくる。

 前に立っていたのは、一人の壮年の男だった。


 ……なんでどいつもこいつも俺の部屋に無断で入ってくるんですかね。


「げっ……大岩さん……」


 彼を見た綺羅子は、一瞬だけ嫌そうな顔をして、すぐに取り繕った。

 そして、俺の背中に隠れて盾にしてくる。


 止めろや。

 そんなことをするものだから、彼――――大岩の目が俺に向けられる。


「良人坊ちゃんも、お久しぶりですね」


 大岩とは知り合いである。

 綺羅子経由で、なので、別に親しくもないのだが。


「あ、はい。綺羅子を連れ戻しにきたんですよね。どうぞ、彼女も戻りたがっていたので、微笑ましいです」

「っ!?」


 スッと後ろにいた綺羅子を差し出す。

 あまりにもスムーズに流れるような動きだったので、抵抗もできないようだった。


 どうぞ、生贄です。


「そうですか。それはよかった。綺羅子お嬢様は活発ですから、また鬼ごっこに興じられては困ると思っていたので」

「はははっ、そんなことしませんよ。なあ、綺羅子?」

「……も、ちろん、です」


 苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる綺羅子。

 おいおい、もっとちゃんと演技しないと、大岩にお前の本性がばれてしまうぞ?


 ニヤニヤ笑顔が隠し切れない。


「じゃあ、後は黒蜜家の人たちで。俺は少し勉学に励もうと思います」

「ぐぬぬぬぬぬ……!」

『本当は?』


 二度寝。

 勉強なんて、最悪クラスの奴らに見せてもらえばいい。


 理由をでっち上げしてよいしょすれば、たやすく掌の上で転がすことができるだろう。


『うーん、この……』


 意気揚々と外に向かおうとすると、なぜか前に立ちはだかる大岩。


「お待ちください、良人坊ちゃん」

「ひょっ!?」


 想定外の出来事に、へんてこな悲鳴を上げてしまう。

 退けや! さっさと綺羅子を連れて行けや!


「ど、どうしました?」

「綺羅子お嬢様は、あなたのことにとても関心をお持ちでいらっしゃいます。あなたが違うところにいると、あなたを求めてまた家を飛び出すということをしかねません。ですので、ぜひ良人坊ちゃんにもお越しいただきたいのです」


 何を言っているんだ、こいつは?

 とんでもないことを言われて、俺の頭は真っ白になる。


 なんで俺があの地獄のような家に行かないといけねえんだよ!


「……ははっ。まさかですよ。綺羅子はしっかりした、大人よりも判断能力のある子です。そんなバカげたことは二度としませんよ、ねぇ!?」


 必死に形相で綺羅子を見る。

 先程とは打って変わり、穏やかな笑みを浮かべた彼女が、俺を見ていた。


「でも、私はぜひあなたにも来てほしいわ。私、あなたがいないと、また飛び出しちゃうかも」

「あぁっ!?」

『やくざかな?』


 鬼の形相を浮かべている自覚はあった。

 勝手に飛び出しとけや!


「では、お二人とも。紫閣(しかく)家に向かいましょう」

「へけっ」


 スタスタと歩き出す大岩に、不気味な笑顔を浮かべる綺羅子。

 俺は顔を真っ青にして、半泣きになった。


 嫌だああああああああああああ!!




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