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第88話 強制イベントなの!?

 










 良人は、これ以上ないほどに困惑していた。

 自分が、人面ムカデに食い殺された記憶が、はっきりと残っている。


 いや、死んだかどうかは正直分からないが、少なくとも無傷でいられるはずもない。

 人面ムカデが迫り、そして大きく口を開けて食い殺されるまでの、コンマ何秒かの間。


 その一瞬で、良人は確かにこの世のありとあらゆる存在すべてに対して呪詛を吐いていた自覚がある。

 しかし、ふと記憶が戻れば、あの大きな部屋に入るまでの道のりに、二の足で立っていた。


 もちろん、身体にけがは一つもない。


「どうなっているんだ……?」


 まったく想定できていない事態に、なかなか頭が回らない。

 白昼夢でも見ていたのだろうか?


「いでっ!?」

「…………」


 痛みを感じて飛び上がる良人。

 彼の痛みに対する耐性は、生まれたばかりの赤ちゃん並みに低い。


 半泣きになりながら振り返れば、そこには無表情の綺羅子がいた。

 普段いがみ合って蹴落とし合っているが、何の理由もなく暴力を振るわれたのは初めて……と思って、別にそうでもなかったことに思い至る。


 なんかむしゃくしゃするとかいう理由で足蹴にされたこともあるから、別に珍しいことでもなかった。

 それはそれとして、むかつくのだが。


「(お前、いきなり人様の身体をつねるとか何なの? 極刑ものだぞ……)」


 自己意識の高さは世界一である。

 自分に対するつねりは、複数人の殺人犯並みの重罪だった。


 しかし、そんな苛立ちを受けても、綺羅子はじっと無表情で睨んでいた。

 怒っていたはずの炎が一気に沈静化する。


 ……なんだかめちゃくちゃ怖い。


「……次、勝手にあんな事したら殺すから」


 ボソリと言って、ようやく手を離してくれた。

 何のことだかさっぱりの良人。


 しかし、ふと思い至ったのは、何を考えたのか、人面ムカデから綺羅子を庇った時のことだ。


「……お前、覚えてるの?」


 呆然と問いかける。

 すると、すぐに反応したのは、隠木だった。


 あまりにも驚きすぎて、透明化が解けてしまっていた。


「ええっ!? ちょっ、ウチ死んでなかったっすか!? ゾリゾリ身体を削り取られた感覚が今も……うぇぇぇ……」

「どういう、ことでしょうか。私だけでなく、皆さんにも記憶があるということは……あれは、夢ではなかった?」


 隠木だけではなく、グレイもまた汗を流しながらその凄惨な記憶を思い返している。

 誰だって、自分が死んだ夢なんて思い出したくない。


 それが、現実のものだったかもしれないなんていうことになれば、なおさらだ。


「……思い出した。あれに、皆殺されたんだ」

「知っているのか?」


 だったら先に言っとけや。

 良人の無言の抗議である。


「……魔物。強くて、人を食べる、化け物」


 それは全部の魔物に対しても言えることだろ、と思ったが言わない。

 少女が思い出すのは、ダンジョン内の村に住んでいた人々の、全滅した瞬間のこと。


 あの人面ムカデに嬲られ、そして食われたのだ。

 仲の良かったあの子も、自分を本当の娘のように扱ってくれた優しいおじさんも。


 全員が、あのムカデに……。


「……逃げよう。絶対に勝てない。あれは、遭遇してはいけない存在」

「そうは言っても、上に行くにはあの部屋を通る必要があるだろう? ほかに迂回路は?」


 良人だって、もろ手を挙げて賛成したかった。

 一切あんな気持ち悪い化け物となんて関わりたくないし、思い出したくもない。


 なら、あの化け物に遭遇しないように、部屋を迂回することを提案するが……。


「……ない。だから、私はあきらめた」


 この辺りを知り尽くしている少女は、残酷な現実を突きつけた。

 なぜそんなに詳しいのか。


 村の人々と一緒にマップを作っていたからだ。

 では、それはなぜ?


 そこまでは、まだ思い出せない。

 うんうんとうなる少女と同じく、良人も頭を悩ませていた。


 諦めたという少女。

 なるほど、確かに嫌だ。


 あんな化物と二度と顔を合わせたくない。

 だからと言って、この少女と一緒に太陽の光の差さないこのダンジョンで一生を終えるのか?


 それも嫌だ。

 何とか……何とかならないだろうか。


 具体的には、デコイが4つあるので、これらを順次消費している間に自分だけでも上に上がるとか……。

 がっしりと彼の腕を綺羅子が掴む。


「(逃がさないわよ、あなただけは……!)」

「(ナチュラルに人の脳内を読むのは止めろ!)」


 頬の引っ張り合いが勃発する中、思い出すことをあきらめた少女が話しかける。

 彼女は、諦めることに慣れていた。


「……ここは、怖い場所だけど、でもうまくすれば普通に暮らせる。皆で暮らせば、さみしさもない。だから、ずっとここにいよう。私も一生懸命祈るから、だから……」

「君は、太陽を見てみたいんだろう?」


 とっさに、良人が口をはさんだ。

 ずっとここにいるのは嫌だった。


 魔物に怯え、狭苦しい閉塞的な場所で一生を過ごすなんて御免だ。

 自分は愚民たちを見下ろして生きていくのだ。


 決して地下に潜って生きていい人間ではない。


「ここでどれだけ祈っていても、太陽は見ることができない。そうだろう?」

「……そ、れは……」


 巧みに言葉を発していく良人。

 純度百パーセント、自分のことしか考えていないくせに、少女を説得するために耳障りのいい言葉を吐き続ける。


「大丈夫、安心して。このお姉さんたちが……俺たちが、必ず外に出してあげるから。俺たちを、信じてくれ」


 肘で腹を突かれて、改めて主語を言い直した。

 明らかに責任逃れをしようとしていたが、そんなことは綺羅子が許さない。


 死なば諸共、旅は道連れ世は情け、である。


「……しん、じる」


 にこやかに笑いかける良人は、その内心さえ知らなければ、見た目の良さも相まって、とても信用できる人物になっていた。

 だから、諦めていた少女もすがろうと決めた。


 コクリと小さくうなずき、彼の袖をつかんだのである。

 ちょっと嫌がった良人。


「というか、今ウチらがこうして生きているって、どういうことっすか? 一回殺されたっすよね? で、一回死んだら人間終わりっすよね? 誰かの特殊能力っすか?」


 隠木が、誰もが気になっていて口に出さなかったことをあえて言葉にした。

 全員が、あの人面ムカデに殺された記憶があった。


 夢などではない。

 全員が同じ夢を見ることなんてありえないし、そもそも寝るような状況にはなかった。


 だから、あれは現実だと考えるのが妥当だ。

 つまり、殺されても人を生き返らせるような現象が起きたということで……。


「隠木さんやグレイさんも違いますし、私も当然……。良人にそんな都合のいい能力があれば乱発しているでしょうし……」

「おい」


 事実だから、良人はそれだけにとどめておいた。


「あなたでしょうか?」

「……違う。私も、こんなのは知らない」


 綺羅子の目線が少女に向かう。

 一番よく分からない能力を持っているのは、彼女だ。


【無効化】、【カウンター】、【爆槍】、【透明】、【吸血鬼】。

 これらは明確に名前から能力が想像でき、今までの交流で十分に見せてもらったことがある。


 だが、【祈祷】だけは、どのような効果を発揮する力なのか、いまいちわからない。

 加えて、少女との交流も数日足らずで、十全に理解しているとはいいがたい。


 だから、この不思議な現象も彼女の力ではないかと思うのは、当然だろう。

 しかし、少女は否定する。


 自分の力は、こんな……それこそ、神にしか許されないような力ではないのだと。


「とにかく、準備と作戦をしっかり立てよう。あの部屋に入ってクソムカデと戦うのは、それから……」


 幸い、仕切り直せるのだ。

 いきなり奇襲を受けた前回と違い、今回はゆっくりと対策を練ればいい。


 そう、どうやって彼女たちを犠牲にして、自分だけが地上に這い上がるのかを……。


 ズドン!


 地響きが起きる。

 そして、良人の脳内で、おびただしいほどの大きさで警鐘が鳴り響く。


 土煙に移る影は、やはり巨大だった。

 それは、まさしく良人たちを殺した人面ムカデであった。


 まだ部屋に入っていないですけど!?

 良人の悲鳴が心の中で轟く。


「無理やり強制イベントなの!?」


 綺羅子は我慢できず、泣き出していた。




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