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第86話 じゃあ、何なんだよ……

 










「…………」


 少女は、目を閉じて跪き、祈りをささげていた。

 ここは、教会ではない。


 そして、彼女は実在する宗教を信仰しているわけでもないし、神を崇めているわけでもない。

 だが、その姿は非常に様になっていて、この空間を壊すことは誰しもがためらうような、そんな神々しさがあった。


 そして、たまたまその場所に入ってきてしまった俺。

 マジで最悪なんだけど。


 しまった。ちゃんと中を確認してから入ってくるべきだった。

 働かざる者食うべからず。


 この廃村に滞在させてもらう間、水を運んだり食料を探したりなどの手伝いをしている俺たち。

 もちろん、まじめにやる気なんて毛頭ないから、サボりにきたんだが……。


 まさか、このガキがいるとは……。

 無視するわけにもいかないし、嫌々話しかける。


「それが祈りかい?」

「……そう」


 目を開けて、俺をじっと見上げてくるガキ。

 こいつも愛想悪いな、本当。


 俺の周りにいる奴らって、こんなのばっかだな。

 俺の爪の垢を煎じて飲ませてあげたい。


 人当たりのいい素晴らしい人間ができるだろうから。


『キメラを量産しようとするのは止めよう』


 誰が化物だって?


「何を、誰に対して祈っているのかな? あまりそういうことをしたことないから、気になってしまってね」

「……知らない。誰に祈っているのか、何を祈っているのか。そういうことは考えたことがない。ずっとしていることを、続けているだけだから」

「……なるほどなー」


 相変わらず知らないことだらけらしい。

 結局、こいつが一人で廃村にいることも分からないし、そもそもこの村が何なのかもわからないし、どうして村がすたれてしまったのかもわからないし……。


 ……ま、いっか。どうせダンジョンを抜け出したら、もう二度と関わることもないんだし。

 村は、どうせ国が熱心に調べるだろ。


「……でも、普通に過ごせますように? そんなことを考えていた気がしないでもない」


 ポツリと呟くガキ。

 明確に強い欲望を露わにはしていないようだが、ぼんやりとしたお願い事はしているのか。


 具体的に俺の望みを叶える方向で頼む。

 一刻も早くクソダンジョンを抜け出し、クソ学園を退学し、適当に都合のいい女を捕まえてヒモ生活を送れるような、そんな些細な願い。


『些細……?』

「ああ、ダンジョンは過酷な場所だからね。そう祈らないと、大変なことになるだろう」


 とりあえず、ガキを理解している的な発言をしておく。

 ちなみに、まったく理解していないが。


 だって、こいつ何も分かってないんだもん。

 自分でもわかっていないのに、他人の俺が分かるわけないじゃん。


「……私はどうしてここにいて、どうして祈り続けているのか。ちゃんと調べた方がいい?」


 ガキは俺たちとの話で多少思うことがあったのか、そんな問いかけをしてきた。

 いや、知らんがな。


 まあ、少なくとも俺は地獄のように危険な場所に一人でずっといて、何を誰にというのも分からないのに祈り続けるとか、絶対にごめんだが。


「どうだろうね。君がどう思うかだろう」

「……とくに今までで困ったことはなかったから、別にいい」

「そうか」


 な、何だこいつ。

 結局、俺に何を伝えたかったんだ?


 お前から質問してきたくせに、別にいいとは何事じゃ。


「……でも、一つだけ思うのは」


 内心のいら立ちを表に出さないように必死に頑張っていると、ポツリとガキが呟いた。

 彼女は、上を見上げていた。


 と言っても、狭苦しい建物の天井しかないわけだが。


「……太陽を、見てみたい」

「太陽か」


 無感動な声のくせに、それなりに強い意志が込められているように感じた声音だった。

 あ、そう。


 見ればいいんじゃない?

 別に、そんな苦労しなくても見られるものだし。


「……誰かに教えてもらったことがある。赤く燃える、生命を育てる巨大な光。想像もできない」


 いや、その人誰やねん。

 そこが重要じゃないのか?


 誰かに教えてもらったということだけは分かっていて、それが誰なのかは分からないと。

 うーん、知らね!


 あと、太陽ってそんな大層なものだったっけ?


「じゃあ、今度一緒に外に行けばいいよ」


 綺羅子と。

 俺が一緒に行くという選択肢はない。


 ガキは、その考えはなかったと、目を丸くしていた。


「え……?」


「とくに理由を思い出せないんだったら、少しくらいダンジョンの外に出るのもいいだろう。太陽は、とても温かくて、気持ちがいいものだよ」

「……そう、かもしれない」


 適当に言っているが、まったく責任を取るつもりはない。

 責任。


 それは俺が最も嫌いな言葉の一つだからだ。

 そんなことを考えているとは露とも知らないガキは、憧憬の目を天上に向ける。


「……その時は、一緒に太陽を見たい」


 思わず嘆息する。

 は? 一人で行けよ。


 俺は関係ないだろ。

 しかし、祈りとかいうよく分からない特殊能力を持つガキにそんなことを言える勇気もなく、俺はただ聞こえなかったふりをするのであった。










 ◆



 ダンジョンの廃村に滞在している間、俺たちはただ無為に時間を過ごすというわけではなかった。

 俺と綺羅子だけだったらそれでやり過ごしていたのだが、グレイはいい子ちゃんだから、自分から手伝えることはあるかと、ガキに問いかけてしまったのだ。


 一人がそう言ってやり始めてしまえば、やらなかったら悪目立ちする。

 だから、こういう時は口裏合わせて全員で何もしないというのが正解なのに……。


 ファッキュー、グレイ。

 それで、俺たちは水くみをしたり、ダンジョン内になぜか存在していた畑から食物を取ったり……。


 畑は、やっぱりこの廃村にガキだけでなかったことを明らかにしていた。

 余計、謎が深まって怖くなった。


 そして、そんな生活を数日続けていれば、体力のない俺はすでにクタクタだった。


「ぐえー……疲れた……」


 俺はぐったりとしていた。

 場所は、簡単な壁で囲われた狭い一室。


 ここで身体を拭いて清めている。

 風呂……風呂入りたい……。


 とはいえ、風呂にするほどの大量の水を汲んでくることも大変だし、そもそもそれを湯に沸かすことも大変だ。

 俺以外がやってくれるんだったらいいんだけど……。


 ……というか、どうやって火を使っていたのだろうか。

 ここにガスや電気が通っているとはとても思えないし……。


 でも、コンロというか、そういう火をつけるところはあったんだよな。

 本当、この村は謎ばかりだ。


「本当よ。ありえないわ、この私が泥仕事をするなんて……」


 心底嫌そうに顔を歪めている綺羅子。

 こいつも一緒にいた。


 当たり前のように裸になっている。

 まあ、俺もそうだが。


 身体を清めるわけだから、服をつけているはずもない。

 彼女の身体は、ところどころ土で汚れていた。


 うん、汚れていた方がいいね!

 そんなことを思いながら、濡れたタオルを投げつける。


「性格はヘドロだし、似合っているんじゃね?」

「清浄な光で満たされた私の内面に対して、何を言っているのかしら?」

「お前が何を言っているんだ」


 どこにそんな人物がいるんだ?

 俺以外にいるとは思えないんだけど……。


 心底億劫そうに自分の身体をぬれタオルで拭っていた綺羅子だが、次第に動きがゆっくりになっていくと、俺を睨みつけてきた。


「いいから、さっさと身体を拭いてよ。もう腕を上げるのも嫌なんだけど……」

「はいはい」


 綺羅子からぬれタオルを受け取ると、俺は彼女の身体を拭き始めた。

 小さいころからのことなので、今更何かを思うことはない。


 やらなかったら不機嫌になるし、そんなに手間でもないので、こういうことは頻繁に行っていた。


『……嘘でしょ? 君たち、嘘でしょ?』


 ありえないとばかりに寄生虫が呟き続けるが、それを言いたいのはこっちだ。

 お前はいつまで人の脳内に寄生し続けているんだ。


 そもそも、お前が何なのかもさっぱりわからんし。

 綺羅子の身体を拭きながら、ちょっとした悪戯心がわいてくる。


 もともと、彼女はかなり近くにいたので、鼻を鳴らして匂いを吸い込んでみる。


「すんすん。……全然汗臭くないな、つまらん」


 風呂に入っておらず、力仕事をしていたというのに、鼻が曲がるような匂いがしなかった。

 残念だ。


 一生あざ笑う理由ができたというのに……。

 クルリと振り返り、呆れたように俺を見る綺羅子。


 背筋が綺麗だった。


「いきなり人の体臭を嗅いで何を言っているのかしら、この変態」


 変態じゃない。

 傍から見たらそうかもしれないが、決してそんな気持ちを抱いていないので、変態じゃない。


「まあ、私は美少女だから。甘いのよ、匂いまでもね」


 ふふんとどや顔を披露する綺羅子。

 うーむ……甘いとまでは言わないが、臭くない。


 細い腕を持ち上げ、ツルツルの腋も匂ってみるが、やはり臭くない。

 何だこいつ。


 つまらん奴だな。

 綺羅子は頭を俺の胸板に預けると、少し顔を横に向ける。


 プニプニの頬を押し付けながら、匂いを嗅いできた。


「あなたは汗臭いわ。すんすん……ふふっ、汗臭ぁい」


 そんなことを言いながら、楽しそうに匂いを嗅いでくる。

 臭いと言うくせに、離れるつもりはないようだ。


 どういうつもりだ、この女。

 まさか、俺と同じことを考えているとは……。


 これはいけない。

 何とかリカバリーしなければ。


「臭くないぞ。いい匂いだぞ」

「臭いわ」

「臭くない」


 何度でもいう。

 俺は臭くない。


 必死に抵抗していると、視線を感じた。

 振り向けば、何も知らないガール……もとい、ガキがいた。


 無論、全裸である。


「…………」

「「あ……」」


 ちょっと固まってしまう。

 ガキは全裸だが、もちろん興奮することはない。


 お金持っていなさそうだしな。

 しかし、ふと胸が目に入って、俺は思わず綺羅子の胸を見た。


 見比べて……残念なもの、かわいそうなものを見る目で綺羅子を見た。


「(ガキだけどお前よりあるじゃん。ご愁傷様)」

「…………」


 白目剥くなよ。

 別に綺羅子が完全な真っ平、ぺったんこ、まな板、ぬりかべ、地平線というわけではなく、起伏はある。


 ただ、ガキより小さいだけだ。

 南無阿弥陀仏。


「(うるさいわよ、貧相ソーセージ)」

「ひ、貧相じゃないわ!」


 とんでもない暴言に、思わず声を荒げてしまう。

 ふざけるなよクソ女!


 お前、俺の最大最強状態を見たことないだろうが!

 ……そういや、俺もいつ以来だろ。


 記憶にないくらい過去であることは間違いない。

 まあ、困ったことないしな。


『本当に思春期なの、君?』

「……なに?」

「いや、何でもないよ」

「ええ、何でもありませんわ」


 ガキがじっと見てくるので、二人して否定する。

 まさか、お互いの胸と股間を見て嘲笑しあっていたなんて知られるわけにはいかない。


 なんて正確な判断と完璧な対処法なんだ。


「……カップル?」

「「違います」」


 何をトチ狂ってんだ、このガキ。

 俺と綺羅子の意見は、完全に一致していただろう。


『じゃあ、何なんだよ……』


 寄生虫の弱い言葉には、俺は返事しなかった。

 そして、遂にダンジョン脱出のために動くときが来たのであった。




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