第85話 知らない
俺たちは、あれから少女に案内されて、建物の中に入っていた。
ワンルームしかないような、小さな建物だ。
この訳の分からない少女が普段寝泊まりしている場所なのだろう、一番生活感があった。
本来、これだけの客を迎え入れるような想定はされていないのだろう。
テーブルなどはあるが、そんなに大きくないため、俺たちはテーブルの前に座ったり、壁に寄り掛かったり、各々の場所にいた。
すると、少女がひょっこりと顔を出して、それぞれにお椀を差し出してきた。
「……どうぞ」
「ど、どうも」
湯気を立ち昇らせている液体が入っている。
あ、お茶を入れてくれたのか。
これはご丁寧にどうも……と言おうとしたら、ツンツンと肘で綺羅子が突いてきた。
「(……白湯よ、これ)」
この女、お茶でないことが不満らしい。
こういう状況でもなお自分を接待しろと思えるのは、素晴らしい厚顔無恥さである。
「(おい、あんまり否定的なことを言うな。ダンジョンの中に住むような奴だぞ。下手したら殺されるぞ)」
「(ひぃ。その時はちゃんと盾になってね)」
「(お前がな)」
コソコソと会話する。
自分の不用意な発言でこのガキを怒らせて殺されそうになるんだったら、ちゃんとお前が責任取らないとダメだろ。
俺に押し付けるな、馬鹿。
椅子に座り、マイペースに白湯を飲む少女を見る。
俺は改めて彼女を見る。
長い黒髪、無表情ながら整った顔は、日本人形みたいだ。
しかし、髪にいくつかついている小さなリボンが、彼女なりのおしゃれになるのだろう。
体躯は、俺がガキだと思うくらいには小さい。
さすがに合法ロリである浦住よりは小さいようだが……。
服装も現代日本ではあまり見られるようなものではなく、なんというか……ファンタジー感もある和服みたいな……。
うん、わからん。
ファッションなんか興味ないんだもん。
俺が着たら何でも似合うし。
そんな少女だった。
「えーと……話はしてもらえるって感じかな?」
「……したいならすればいい」
ボーッとした無表情で俺を見るガキ。
何だこのクソガキ。
態度悪いんだよ。
最近、俺の周りに無表情キャラ多くない?
グレイも浦住もそうだし。
加えて、隠木は普段姿を見せないし、綺羅子は演技しまくりだし……。
普通の子が近くにいない。
どうなってんだ、この世界。
そう思いつつも、俺は自分のダンジョン脱出のために、少女に話しかける。
「じゃ、じゃあ、この村は何かな? どういう意図で作られたとか、分かる?」
「……知らない」
「どれくらいの時期にできたとかは分かる?」
「……知らない」
「えー……他の人は? これだけの規模の村に、君一人だけということはないだろう?」
「……知らない」
「…………君は誰かな?」
「……知らない?」
俺は笑いながら、ふーっとため息を一つ。
答える気はないってか?
上等だよこの野郎。
「(人殺しの目になっているわよ)」
「(違う。慈愛の目だ)」
「(しょうもない嘘つくな)」
しかし、何でもかんでも知らないと言われてしまえば、もうどうすることもできない。
つまり、役立たずということだ。
やれやれ。
ガキのくせに俺の役に立たないなんて、どういう教育を受けてきたんだ、こいつ?
そんなことを考えていると、ガキがポツリと呟いた。
「……知らないけど、やらないといけないことは分かる」
「やらないといけないことっすか?」
俺の役に立つことね。
「……祈り」
「祈り?」
想定していなかった言葉に、オウム返しに聞き返してしまう。
祈り?
神頼みとか?
そんなことを義務としてやっているって、何かしらの宗教の信者なのだろうか?
少なくとも、ダンジョンの中で暮らすような奴の信仰している宗教なんて、ろくでもないんだろうけど。
「……お祈りをする。それだけは絶対にやらないといけない」
「えーと……」
ガキとは思えないほど強い意志を込めた言葉に、思わずのどを詰まらせる。
学校で与えられる宿題とか、そんなちゃちなものではない。
まるで、それこそが自分の生きがいなのだと。
生きる意味そのものなのだと、そう思っているかのような断言だった。
「……これをすると、いいことが起こる。欲しいものがどこにあるかわかる。この水も、祈っていたら、どこにあるか分かった」
「水源を探し当てたってことですか」
ガキは祈りの効果を教えてくれる。
え? 実益がある感じのやつなの?
お祈りするだけでメリットがあるの?
俺もそれやりたいんだけど。
そして、お椀の中に入れられた白湯を、思わずじっと見てしまう。
「(……ダンジョンで採れた水ってことだよな。飲んだら魔物になるんじゃないか?)」
まだ飲んでいないけど、一気に飲む気なくなったわ。
魔物に追いかけられて喉がカラカラだったのに、だ。
ふざけるなよ。
ミネラルウォーター寄こせよ。
「(……でも、飲まないと死ぬわよ。水とか食料なんて持ってきていないし)」
「(毒見よろしく)」
そう告げれば、にっこりと笑顔を向けてくる綺羅子。
ようやく自分の立場が分かったか、小娘。
そう思っていると、奴はガッとお椀を掴むと俺ににじり寄り……。
「あら、良人。疲れているから飲めないですって? じゃあ私が飲ませてあげますわ。はい、一気一気!」
「ごぼぼぼぼっ!?」
口の中に一気に流し込んできた!?
あ、熱い! 白湯だから熱い!
というか、溺れる溺れる!
白湯におぼれて死ぬとか嫌だ!
「……豪快」
俺を見て、ほーっとどこか感心したようなガキ。
その感想はおかしいよね?
思いきり無理やり飲まされているよね?
感心するんじゃなくて俺を助けるのが先だろうが、クソガキぃ!
「つまり、あなたの特殊能力は、幸運を呼び込むものということですか」
ずっと思案顔だったグレイが、ふと呟いた。
え、何だって?
白湯で死にかけていたから、何を言っているのかさっぱり分からない。
綺羅子の頬を引っ張ることにも忙しいし。
悲鳴を上げる奴に、少しだけ溜飲が下がった。
「……特殊能力?」
「そこからですか……」
一方で、ガキは自分の力のことをさっぱり理解していないらしい。
そもそも、特殊能力という大まかな概念すらも。
……ちょっと待て。
ということは、こいついつからダンジョンで暮らし始めたんだ?
まさか……。
『彼女の言う通りだね。その子の特殊能力は【祈祷】。祈りをささげることで、その内容を世界に聞いてもらう、非常に強力なものだ。もちろん、限度はあるし、彼女の身体が耐えきれる範囲になるけどね』
そんなことを考えていると、久しぶりに感じる寄生虫の解説。
なに勝手に特殊能力を命名してんだと思わないでもないが、その能力の内容に俺は強く気を引かれた。
マジか!
幸運の招き猫じゃん!
手元に置いておいて、俺に懐かせて、俺に都合のいい祈祷をさせまくったら、俺は幸せになれるんじゃね?
『俺俺うるさいな』
自己主張が強いと言いたいのか、クソ虫。
「じゃあ、もしかしたら彼女の特殊能力を使ってもらえれば、ダンジョンから抜け出す手助けににあるんじゃないか? もちろん、この子の意志次第にはなるんだけど」
俺はさっそく自分の手の内にこのガキを入れることを考え始めた。
もちろん、無条件で受け入れることはない。
こいつが訳の分からない存在であることに違いはなく、デメリットの方が大きければ、切り捨てる必要があるからだ。
特殊能力、当たり前に使うよな?
俺のためだし。
「……いい。それくらいなら、助けられる」
コクリと頷いたガキに、俺はニッコリ。
やったぜ。
「……でも、今のタイミングは止めた方がいい。今は動かない方がいいって、言っている」
その言葉を受けて、俺はポカンと口を開ける。
は? 誰が?
電波ちゃん、何を言っているのかな?
一刻も早くダンジョンとかいうクソだまりから逃げたいんだけど。
「えー? 根拠もないのにずっといるのは難しいっすよ。心配してもらえるのは嬉しいっすけどね。特殊能力も、別に予知っていうわけじゃないんすよね? じゃあ、大丈夫っすよ。平気平気」
ケラケラと笑う隠木。
さすがバカ。
俺にはできない愚かな判断をしてくれる。
まあ、こいつで大丈夫だったら無理やりにでもガキを動かせばいいな。
よし、行ってこい。
俺の心の中の声援を受けて、隠木は意気揚々と外に出て行って……。
「ほぎゃああああああああああ!?」
しばらくしてから、絶叫しながら建物の中に飛び込んでくる隠木。
透明化が解けてボロボロになっている。
……ふーん、なるほどね。
「……じゃあ、少し滞在させてもらって、それから出口を目指そうか」
「そうね」
「はい」
隠木以外のメンバーで、神妙に頷き合ったのであった。




