第76話 世の中クソだな!
「あ……」
目前にした死に対して、彼女が口にできたのは、そんな腑抜けた言葉だった。
悲鳴を上げることもなければ、助けを求めることもない。
ただ、意味をなさない言葉を発するだけ。
彼女はその特異な生まれから、他の一般人と比べれば、死というものに対する恐怖は薄いかもしれない。
事実、彼女は今までそう思っていたし、いつか死ぬことになったとしても、何とも思わないだろうと考えていた。
明確な死を前にしても、はっきりとした恐怖はない。
だが、ほんの少しだけ、小さな恐れは抱いていた。
逃げたい。
脳は、足に動けと命令を出している。
しかし、動くことはない。
無意識のうちに、逃げることを拒否しているのだ。
だって、目の前の怪物は。
自分に死を齎そうとしているものは。
「うおおおおおっ!?」
自ら動こうとしなかった少女の身体が移動する。
もちろん、誰かに抱えられて移動したからだ。
自分を抱え、必死の形相で足を動かし続けているのは、久しぶりに会えた人間……梔子 良人だった。
端整に整った顔を必死の形相に変えながら、自分を守るために動いている。
「……どうして?」
少女には分からなかった。
どうしてそんな必死に自分を助けようとするのか。
自分の身を守るためではなく、他人の身を守るために。
今までそんな善意を受けたことがなかった彼女には、理解ができなかった。
「どうして? そんなこと、決まっているだろ」
そんな彼女に対して、良人は優しく笑いかける。
頭から血が流れている。
無事ではない。
それでも、彼は安心させるように、少女に笑いかけたのだ。
「君にとって、俺は初めての友人なんだろう? じゃあ、友達を助けることに、理由なんていらないさ(この地獄から抜け出すためにお前の力が必要なんだろうが! 勝手にさっさと死なれたら困るんだよ! どうやってこのクソダンジョンから抜け出せばいいんだよ! やり方教えてから死ね!)」
なお、内心はブチ切れていた模様。
一切表に出さない面の厚さに驚かされる。
「……分からない」
少女はポツリと呟いた。
どうして彼がこんなにも自分のために命を懸けてくれるのか。
そして、そんな彼を見て、どうして胸を熱くさせているのか。
「……梔子が、どうしてそこまで私のために必死になるのか。私の力?」
少女には特別な力がある。
そう、特殊能力だ。
その中でも、かなり稀有なものだと自負している。
この力を欲しているのであれば、自分を必死に助けようとしていることもわかる。
しかし、良人は首を横に振った。
「いいや、違うさ。俺の望みを叶えるのは、俺の力だ。君の力を借りるわけにはいかないな(だから! お前が知っているダンジョンの抜け道を知りたいのであって! お前の力なんてクソどうでもいいんだわ!!)」
利用価値があるから助けているのは間違いないが、どうやらその力ではないらしい。
というか、さっさと抜け出したいだけだった。
この地獄から。
「だから、君にもお願いだ。自分の命を、諦めないでくれ(俺のために)」
「……梔子」
傷つきながらも、キリッとした表情で言う。
顔が整っているから、様になっていた。
少女も、ポーッと彼を見つめていた。
そこに、滑り込んできたのは黒蜜 綺羅子である。
彼女も戦闘を行っていたため、ところどころに傷を負っている。
「良人、話は終わったかしら?(いつまでダラダラ喋ってんのよ! なんで私が矢面に立たされているわけ!? 早く前に出なさいよ!)」
内心はブチ切れだった。
どいつもこいつもイライラしていた。
そんな彼女を、少女に見えない位置であざ笑う。
「綺羅子、すまないがもう少し時間がかかりそうだ(死ぬまで前に出続けろ、肉壁)」
「ころしゅ」
ついうっかり本音を出してしまう綺羅子。
怒りのままに飛びかかり、噛みつく。
悲鳴を上げて逃げ惑う良人。
「……ううん、必要ない」
「え?」
そんな中、少女がポツリと呟いた。
「……もう大丈夫。私も、諦めないから」
「……もう少し考えてもいいんだぞ?」
もうちょっと時間を稼ぎたい。
なんかこのままだったら戦わないといけない感じになるから。
『何足を引っ張ってんの?』
冷たい寄生虫の言葉に、良人は天を仰ぐのであった。
だが、空を見上げることはできない。
なにせ、ここは地下。
ダンジョンの下層なのだから。
『というか、この子の力が霞んで見えるほどの強大な特殊能力が君にはあるんだから、どうにかしなよ』
脳内の言葉に、カッと怒りを露わにする。
さっきからずっとキレていたとか言ってはいけない。
「(馬鹿言うな! 使いこなせていないのにそれを信用して化け物と戦えるか! というか、どうしてその力を使って赤の他人のために命を懸けて戦わないといけないんだ! 論外にもほどがあるわ!)」
『うーん、清々しい』
彼らの話しているのは、良人の特殊能力である【無効化】と【カウンター】……ではない。
もう一つ……いや、彼の真の特殊能力のことを言っていた。
無効化もカウンターも付属品に過ぎない、強力無比の力のことを。
「(クソ! 本当、世の中クソだな!)」
なお、良人自身はとくに人のために使うつもりはない模様。
今日も元気に世界に呪詛を吐きながら、彼は必死に生きるために足掻くのであった。
第4章スタートです!
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