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第74話 死刑じゃないの?

 










「げーっほ、げっほっ! し、死ぬぅ……」


 東部軍とのいざこざの後、良人は絶賛体調を崩していた。

 ベッドに潜り、息も荒くしていた。


 よくある風邪の症状だ。

 雨に濡れたとか、そういうことはないのだが、やはり肉体的にも精神的にも疲労がたまったためか、あっさりとウイルスに負けてしまっていた。


 まあ、もともと身体も強いとはいいがたい彼。

 どうして俺ばかりこんな目に合わなければならないのかというストレスも相まって、倒れるのは当然と言えるかもしれない。


『今までに見たことがないほど弱っているね。ふふっ』

「何笑ってんのお前?」


 何だろう。

 頭を一発殴って痛い思いをすれば、この寄生虫にもダメージを与えることができるのだろうか?


 ちょっと指の皮を切るだけでも絶叫するほど痛みに耐性のない良人であるが、寄生虫に痛い思いをさせられるのであれば、それくらいなら我慢する心づもりであった。

 ちなみに、彼に痛みを覚悟させるのは普通だと絶対にできないことである。


 良人にとって、どれほど脳内の存在が嫌いなのかが分かる。


「うぅ、つらい……」

『さっきまで彼女もいてくれたけど、さすがに学校だもんね』


 倒れた良人の看病をしていたのが、綺羅子である。

 心底面倒くさそうにしながらも、なんだかんだで決して離れず、かいがいしく世話をしていた。


 しかし、良人は憮然とした表情である。


「いや、休めよ。大したこと勉強しないんだからさあ……」

『ここぞとばかりにわがままなクソガキになるね、君』


 風邪を引いたのに母親が仕事に行ってしまってふてくされている子供そのものである。

 普段は決してそのような姿は見せないが、心身ともに弱っているからこそ、見られる光景である。


 なお、綺羅子はちゃっかりその姿をスマホで保存している模様。

 快復した時、見せびらかせて弄りまくるつもり満々である。


『でも、おかゆは美味しかったんでしょ?』

「美味しかった」


 綺羅子の作ったおかゆは美味かった。

 食欲があまりなかったのだが、彼女の手料理だけは食べられた。


 これには良人も満足げ。


『よかったじゃん。まあ、起きていても何もできないし、さっさと寝て体力を回復させたら?』

「そうするか……」


 脳内の言葉にいざなわれて、目を閉じる良人。

 こんなつらい状態からは、一刻も早く脱却しなければならない。


 彼はそう思うと、体力をみなぎらせてウイルスを皆殺しにしてやろうと決意し、ゆっくりと意識を飛ばそうとして……。


「邪魔するぞ」


 ガチャリと音を立てて部屋に入ってきた浦住を見て、白目をむいた。


「(いやあああああああああ! 国賊が出たああああああああ!!)」

『とんでもない悪口言うね』










 ◆



「お前が倒れたと聞いてな。看病くらいならできるから、助けさせてくれ」


 弱っているときにこんな言葉をかけられたら、普通だったら惚れそうになるだろう。

 良人もパニックである。


 もちろん、悪い意味で。


「先生、どうしてここに……(お前捕まってないの!? ちょっと日本政府さん!? ガバガバ過ぎませんこと!? ここに中華のスパイがおりますわよ!?)」

「いや、もちろん今まで通りとはいかないだろうな。今もあたしが教壇に立っていないのは、公安と自衛隊の調査を受けているからだ」

「なるほど……(将来有望な若者のところにスパイを送り込むなよ……。バカなの? 危機管理能力ゴミなの?)」


 神妙な顔をして頷く良人。

 彼の内心を知らない浦住は、勘違いする。


 自分のことを心配して難しい顔をしてくれているのだと、ふっと柔らかく笑った。

 今まで生徒の前では見せたことのない笑顔だった。


「そんな顔をするな。あたしのしたことが、今になって返ってくるだけだ。あたしが受けなければならない罰。それは、甘んじて受け入れるさ」

「先生……(死刑ですね、分かります)」


 脳内の小さな良人たちが、一斉に死刑の大合唱。

 大騒ぎである。


「まあ、今は看病をさせてくれ。あたしのために戦った男を、何もしないで見過ごすわけにはいかない」

「(お前がここからいなくなることが、一番俺の身体にとっていいと思うんですけど)」


 良人の眠るベッドの近くに椅子を持って来て、じっと見てくる。

 彼が倒れたと聞いて、衝動的にここまで来たのはいいのだが、さて自分は看病みたいなことをしたことがあっただろうかと思う。


 特別なことはできないが、常識的なことなら知っている。

 それをしようと決めて、浦住は口を開いた。


「食事はどうだ?」

「綺羅子に作ってもらったものを食べたので、今は大丈夫ですね」


 第一の矛、破れる。

 というか、自分で言っておいてなんだが、料理なんてしたことがないことに気が付いた。


 良人は綺羅子のおかげで神回避を見せた。

 もし食べていないと言っていた世界線があったとすれば、そこで彼は数日生死の境をさまようことになっていた。


「身体を拭こうか?」

「それも綺羅子にやってもらったので、今は大丈夫ですね」


 第二の矛、破れる。

 よくよく見れば、良人は風邪を引いて熱を出しているわけでもない。


 ただ、体調が崩れているだけである。

 汗もそんなにかいていないので、身体を清める必要はあまりなかった。


 すでに、朝綺羅子にしてもらっているので、どちらにせよ不要である。

 浦住、やることがなくなる。


『早く帰れ感が隠せてないけど』

「しかし、今はなんとなく寒さを感じていますね(お前のいるせいだ。さっさとどっか行け)」

「そうか。なら、あたしができることはこれくらいだな」


 そう言うと、スルリと音がした。

 布が地面に落ちる音だ。


 すなわち、浦住が来ていた服を脱ぎ捨てたということだった。


「は!?」


 非常に手際よく衣服を脱ぎ捨てるものだから、良人は止める暇もない。

 だったらもっと授業に力を入れろと、されたら困るのにそんな文句が頭に浮かぶ。


 ストレスによって色素の抜けた白い髪が、柔らかく揺れる。

 目の下にあった隈は健在だが、以前よりは少し薄れている。


 真っ白な肌は、顔から足まで続いている。

 小柄な体躯に不釣り合いなほど、豊かに実った胸が、多少身じろぎするだけで揺れる。


 ショーツまでも脱ぎ捨てるものだから、表現できないほど危険な部位も露わになっている。

 全裸にもかかわらず、浦住はとくに羞恥を抱いていなかった。


 そこそこいい身体をしていると自負していたし、良人に見られるのは別に悪い気がしないからだ。

 もちろん、それを見させられた彼も、羞恥は感じない。


 お互い、頬を赤らめたりすることなく、見つめ合っている。

 不思議な状況が出来上がっていた。


 ぶっちゃけ、良人は顔を青ざめさせていたが。

 その隙をついて、浦住はベッドの中にもぐりこみ、良人を背中から抱きしめる。


「せ、先生? どういうことですか?」


 むにゅりと柔らかく暴力的な感触が背中を襲うが、嫌な汗しかかかない。

 思春期とは思えないほど完璧に性欲を支配下に置いているため、まったく興奮しない。


 むしろ、体調が悪化していた。


「人肌が一番温められるらしいからな」

「せ、先生……(止めろやああああ! マジでなんか吸い取られる! 生命力的な何かが吸い取られる!)」


 失礼極まりないことを考えていた。

 そんなことに気づかず、浦住はギュッと彼を抱きしめ、背中に額を押し付けた。


「……あたしは、お前に強く感謝している」


 ポツリと、独り言のようにか細い声だった。


「東部軍に操られて、今まで日本に矛を向けていた。使いつぶされて、最後には殺される。そんな運命だった」


 かつて、東部軍に拉致されて、脳内にチップを埋め込まれた時から。

 あの時から、彼女は自分の意思で人生を歩むことはできなくなった。


 痛みによる支配で、浦住は東部軍の……黄の命令に逆らえなかった。

 当然、そんな自分はみじめな最期を送るのだろうと思っていた。


 こうして従っているうちに殺されないというのは、ただバッドエンドを引き延ばしているだけで、何も事態は好転しない。

 分かっていても、そうすることしかできなかった。


「その運命を、お前が覆してくれた。打ち破ってくれたんだ。この感動、嬉しさ……お前に伝わっているか?」


 その声音に、かすかに熱がこもっていた。

 浦住自身も知らない、無意識の熱。


 はあっと色っぽい吐息が背中にかかる。

 抱き合っているため、体温は上がり、じんわりと汗をかいていた。


 ともすればおかしな感情を抱きかねない、危険な色気のある雰囲気……になっているのは、浦住だけである。


「(じゃあさっさと退けやぐあああああああ人肌気持ち悪いいいいいいい!!)」


 今にも失神しそうなところで、何とか踏みとどまっている。

 しかし、子供に小指で突かれただけで昇天しかねないほど追い込まれていた。


「全部、信じられない。夢みたいなんだ。あたしが救われるなんて。それも、自分の教え子にな」


 浦住はさらにギュッと抱きしめる。

 自分と良人の間に、隙間が生じないよう。


 大切に、優しく。


「梔子、本当にありがとう。お前は、あたしの英雄だ」


 その声は、ひどく純粋で、子供のような憧憬を孕んでいた。


「――――――」

『あ、死んでいる……?』


 なお、良人は意識を飛ばしていた模様。

 人肌の気持ち悪さに、ついに耐え切れなくなったのだ。


「あ、それとあたし、教職を続けられることになったから」

「は?」

『あ、蘇った……?』


 しかし、驚愕の言葉にすぐさま復活。

 え? 死刑じゃないの?




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