第73話 シクシクシクシク
「…………」
「ん? 君か。ということは、わが軍が捕らえて洗脳した魔物の報告かね? 楽しみにしていたんだ。さっそく報告を頼むよ」
部屋に入ってきた秘書に、黄はにこやかに話しかける。
しかし、顔を青ざめさせる彼女に、眉を顰める。
つい先ほどもそのようなことがあったが、今回はより負の感情が強い気がする。
「……その……」
「……どうした? 最近の君は、新しい一面を見せてくれることが多くて嬉しいよ。だが、あまりいい報告でないのであれば、きっぱりとしてくれたまえ」
「……失礼しました。では、報告します」
少し苛立たし気に言えば、秘書はすぐさま持ち直す。
黄の機嫌を損ねれば、自分でさえも粛清の対象になりうると理解しているからだ。
だから、隠すことなく、起きた事実を報告する。
「まず、魔物アンピプテラの制御は、おおむね成功と言えます。勝手に移動して辺りを破壊することもなく、命令通りあの女と拉致対象の殺害に向けて行動を起こしました」
「そうか、それはよかった。では、あの洗脳手段は続けるように。魔物を戦場に投入できるようになれば、東部軍が中華を統一する日も近い」
満足げに頷く黄。
東部軍は、秘密裏にダンジョンから魔物を連れ帰り、自分たちの生物兵器とするための研究を行っていた。
世界の文明を破壊し、人類滅亡まであと少しと迫った凶悪な生物、魔物。
それらを自由に兵器化して使うことができるようになれば、世界を支配することも可能だろう。
現在は中華統一が最優先だが、それが終われば、荒廃した世界を支配することができる。
その段取りがついたのは、朗報と言っていい。
だが、それだけなら秘書があんなにも青い顔をする必要はない。
黄はついに一歩踏み込んだ。
「それで? それだけじゃないのだろう。だったら、君がそんなにも報告に躊躇する理由がないからね」
「……アンピプテラは、こちらの命令通りに動きました。ですが……」
やはり口ごもりつつも、秘書はついに事実を告げた。
「女と拉致対象の殺害は、果たせませんでした」
「……なに?」
黄は、将軍としてあるまじき思考停止に陥ってしまう。
そのような弱みを見せるのは、誰に対しても許されない。
敵は内部にもいる。
すぐにでも自分を引きずり降ろそうとする者ばかりだ。
そのため、黄はすぐに再起動して思考を巡らせる。
「彼女はアンピプテラを倒せるほどの力が残していたのか?」
「平時であれば、女はアンピプテラを倒すでしょう。しかし、疲弊していた彼女が倒せる可能性は、限りなくゼロに近いはずでした」
「火事場の馬鹿力というやつかね? いやいや、まいった。これでは、我らの活動が日本政府に知られてしまうではないか。活動がしづらくなってしまったなあ」
浦住は非常に優秀なスパイだった。
スパイ活動が得意というよりも、高い能力があった。
多少の無茶ぶりも完全にこなす。
そんな彼女がアンピプテラを倒したのは理解できる。
しかし、秘書はこれも首を横に振る。
「いえ、アンピプテラを殺したのは、女ではありません。拉致対象です」
「……本当か、それは?」
再びしばらく固まってしまった。
あの化け物を、平和ボケした国の子供が?
「彼はまだ学生だったはずだろう。英雄七家とやらみたいに、特別な生まれでもないはずだ。バックボーンがないことは、忠実だった彼女からも聞いていたぞ」
小さなころから鍛えられていたのであれば分かる。
護国のためだとかで、特殊能力を鍛えていたのであれば、そのようなことも万が一の確率で起きるかもしれない。
しかし、つい数か月前までは一切特殊能力に触れたことのない子供が?
「それが……確定ではないのです」
「どういうことだ?」
「女の力でないことは明白なのですが、知らされていた対象の力とも思えません。何か、恐ろしい特殊能力者が複数助けに入ったような……」
「なるほどな……」
黄は浦住以外のスパイが録画して送ってきた映像を見る。
画質は荒い。
緊急だったこともあるだろう。
しかし、確かに異常な力が行使されていることは分かった。
空飛ぶアンピプテラを、無理やり地面に叩きつける力。
虚空から無数の剣を作り出し、串刺しにして墓標にする力。
どれもが恐ろしい力で、そして一人では決して生み出せない光景だった。
「いや、恐ろしい。この力が我々に牙をむけば、どれほどの被害が出ることか……」
黄は心底恐れた。
東部軍を……いや、自分の地位を脅かすということが、耐えがたく恐ろしかった。
「欲しい力だが……これは、下手に手を出せば身を亡ぼすな」
この力が自分の手駒のように使えるのであれば、北部軍など敵ではない。
それどころか、この東部軍の頂点に君臨することができるだろう。
しかし、そんな喉から手が出るほど欲しい人材に、誤って無作法に手を伸ばすようなことはしない。
そんなことをすれば、手を切り落とされ首を跳ね飛ばされるだろう。
そういった危機察知能力は、非常に高いものがあった。
「君、もう彼のことは諦めよう。今は、魔物の調教で出た成果を存分に活かしたまえ。次の戦争で、北部を滅ぼすぞ」
「はっ」
秘書にそう告げて、黄は笑った。
「さて、次に会うときは、どうやって許しを乞おうかな」
◆
帰ってきた良人。
たまたま鉢合わせしたのが、綺羅子だった。
彼女は先ほどまで温かいお湯に浸かって、リフレッシュしたばかりである。
しっとりと濡れた黒髪が輝いている。
薄いパジャマを着ている彼女だが、まさか外からボロボロになって良人が帰ってくるとは思っていなかったため、ポカンとしている。
彼がズタボロになっていたら、本来であれば嬉々として大笑いしていたのだろうが、あまりにも予想外な展開ということと、割と致命傷がありそうなほど深刻な様子なので、呆然としてしまっていた。
「…………何してんの?」
長い沈黙の後、綺羅子が問いかける。
すると、良人はぶわっと涙をあふれさせる。
「シクシクシクシク」
「ちょっ!? ちょっと、泣かないでよ。というか、何で抱き着いてきているの?」
「シクシクシクシクシクシク」
ギュッと抱きしめられ、激しく困惑する綺羅子。
泥とか血とかで汚れている良人の身体。
せっかくお風呂に入ったばかりの彼女の身体が汚れてしまう。
突き飛ばしてやっても一向にかまわないのだが、今までに見たことがないほど弱った良人を見て、深くため息をついた。
手は突き飛ばすのではなく、彼の背中に回って緩く抱きしめた。
胸元に顔を埋めてしくしくと泣き続ける良人に、穏やかに問いかけた。
「……はあ。もう仕方ないわね。膝枕する?」
「……する」
寄り添ったまま部屋に向かい、綺羅子の太ももに顔を埋めて泣き続ける良人。
理由も聞かず、彼女はその頭を撫でていた。
『……イチャイチャしているじゃん』
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