第71話 そんなクソみたいな科目があってたまるか
アンピプテラは、ダンジョンに住まう魔物の一種である。
かつて、同時多発的に世界中で起こった、ダンジョンからの魔物の氾濫。
その主戦力として猛威を振るったのは、【鬼】である。
アンピプテラも世界侵略に参戦していたわけだが、数としては鬼に比べるとはるかに少なかった。
そのため、現代でも鬼はどこの国でも恐れられる恐ろしい魔物の象徴として君臨しているが、アンピプテラは一般的に知られているということはない。
だが、今でも魔物の氾濫に備える生き残った国家の軍隊や情報機関は、鬼と同等……いや、それ以上の畏怖と警戒をアンピプテラに向けていた。
巨大な蛇であるそれが、鬼よりも恐れられている理由は、まず大きいということ。
ただ這って進むだけでも、人類が築き上げてきた文明を容易く破壊していく。
俊敏な動きは近代兵器の攻撃を躱す。
こちらの攻撃が通じず、相手によって一方的に蹂躙されるのであれば、警戒されるのは当然だろう。
だが、もっとも鬼と明確に異なるもので、アンピプテラが恐れられる理由があった。
それは、毒である。
◆
「ぜはー! ぜはー! ぜはー!」
良人は木の陰に隠れて、荒く息をしていた。
つい先ほど、蛇の魔物……アンピプテラの攻撃により、肉壁……もとい浦住とはぐれてしまった。
いざというときの盾がないと、こんなにも心細いとは。
思わず涙がほろり。
『めっちゃ喘ぐじゃん』
「息切れしてんだよ、馬鹿!」
相変わらず能天気な寄生虫に怒りがこみ上げる。
何もしないでただ声を出すだけなら簡単だよな!
良人の怒りのボルテージが膨れ上がっていく。
『でも、このままだとじり貧だよ。ぶっちゃけ、君が体力切れして止まったところを殺される』
アンピプテラは咆哮を上げながら、ずるずるとはい回る。
その動きだけで、立派な木々はなぎ倒される。
もはや天災だ。
巨体が動くだけでこんなにもはた迷惑になるとは、良人は思ってもいなかった。
「でも、あんなのどうしようもねえじゃん……。やっぱり、浦住を囮にして逃げよう。あいつも死ぬことに乗り気だったじゃん……」
『君が格好いいことを言って踏みとどまらせたから、多分自分が死んで……という思いはだいぶ薄れたんじゃないかな』
自分で自分の策を潰してしまったことに絶望する良人。
「見栄のために余計なことをしなかったらよかった……!」
『クズの職業病みたいなものだよね』
クズの職業病って何だろう?
怒りたいんだけど想定していなかった言葉が返ってきて、良人はうまく言葉を発することができなかった。
『一つ君にアドバイスができるとすると、アンピプテラをやり過ごそうとするのは止めた方がいい。あれに対して隠れるということは、下策も下策だよ』
良人は引っかかるところがある。
この寄生虫、やけに魔物に詳しい。
自分の脳内に寄生しているのであれば、自分の知見からこれだけの知識を得ることはできないだろう。
なにせ、中学卒業間近まで、魔物とは一生関わり合いのない、天上の世界に寄生する気満々だったのだから、まったく魔物のことを調べなかったし知ろうともしていなかった。
そして、この特殊能力開発学園に強制入学させられた後も、別に熱心に勉学に励んでいるわけではないため、巨大な蛇……アンピプテラのことなんて知りもしない。
だというのに、この寄生虫はどこから知識を身に着け、それを自分にささやいているのか。
「(……まあ、どうでもいいか。こいつのために思考することが無駄だわ)」
嫌いなもののために時間をかけることは、良人の最も忌避すべきことである。
すぐさま寄生虫のことを頭の中から追い出した。
「いや、こういうのは大人しくやり過ごすのが正解……。そろそろ教師も来るだろ。てか遅いわ。もっと早く来いよ。肉盾が全然来ないってどういうことだよ」
『人のことを肉盾って言う人のために人は集まらないと思うな』
大丈夫大丈夫。
そうならないように媚びを売っているのだから。
なぜか白峰の方が人気っぽいが、それでも良人の人気はかなり高いのだ。
自ら死にに来てくれる壁も多いだろう。
「キシャアアアアアアアアアアア!!」
アンピプテラの絶叫が響き渡り、良人はガチビビり。
しかし、咆哮というよりは悲鳴じみたものを感じたため、こっそり覗き見る。
すると、アンピプテラの胴体を強く殴りつける浦住の姿があった。
いまだにダメージが蓄積しているというのに、巨大な蛇を少しとはいえ打ち上げるほどの殴打を繰り出していた。
やばい。
あんなのと戦った自分、やばい。
良人はそう思った。
「……やはり、蛇を相手に拳だけではどうにもならないな」
「(うおおおお! 浦住頑張れええええ! お前の命をとして俺を守ってくれえええ!)」
大歓声を上げる良人。
こんなにも他人を応援したことがないと思うほどの、熱烈な応援だ。
『でも、先生が生き残ったとき、何もしていないで隠れていたってなると、君の評価爆下がりじゃない?』
「…………」
スン、と一気に冷える。
余計なことを言いやがって……。
しかし、案外的外れでもないため、良人は考え込む。
他人からの評価を極度に気にする男にとって、格好悪い評判を流されるのは非常に困る。
「ぐっ、が……っ!?」
「(う、浦住いいいい!?)」
そんなことを考えている間に、浦住は業火に包まれていた。
すなわち、アンピプテラの口から吐き出された炎である。
燃え盛る赤は、森という燃えやすい環境に最悪だった。
一気に燃え広がり、月の光だけが頼りなはずの夜が、昼間のように明るく照らされる。
焔の直撃を受けた浦住は、死んでいなかった。
再生はすぐに始まり、身体の再構築が始まる。
それでも、すぐに動くことができないほどのダメージを負っていた。
「ごぶっ、ゴプッ……!」
そして、不穏な音が聞こえる。
アンピプテラが、まるで何かを吐き出そうとするかのようにえずいている。
この時、良人の危機センサーがすさまじい勢いで警鐘を鳴らす。
「(これはマズイ!)」
アンピプテラが何をしようとしているのか知ったことではないが、間違いなく悪いことだ。
今すぐ背を向けて逃げ出したいのだが、浦住がいる。
正直、この攻撃で浦住が命を落としてくれるのであれば、【力及ばず恩師を助けられなかった非業の少年】を演じ切る自信はあるのだが……。
何か間違って彼女が生きていた場合、【恩師が身動き取れないのにも関わらず全力で背を向けて逃げ出した卑怯者の少年】になってしまうのである。
これはいけない。
良人は0.04秒でその判断を下すと、すぐさま駆けだした。
「ゴポッ!」
直後、アンピプテラが口から吐き出したのは、燃え盛る業火でなく、ドス黒い塊の液体。
猛毒だった。
「うおおおおおおおおおおおお!?」
ギリギリ。
火事場の馬鹿力も相まって、浦住を抱えると、とっさに飛びずさって木々に紛れて隠れる良人。
そのすぐあと、浦住のいた場所に毒がぶつかる。
地面が溶けていた。
ジュワジュワと聞いたことのない音と共に、硬い大地がみるみると溶かされていた。
あんなもの、人がまともに受ければ跡形もなく溶解させられる。
しかも、一瞬で命を落とせればまだいいが、じっくりと自分の身体が溶かされていくのを実感しながら死んでいくと考えると……。
良人、怖くて泣きそうになる。
さすがに、再生というそうそう簡単には死なない特殊能力を持っている浦住でも、あれを受ければ命を落とすだろう。
「ば、馬鹿。どうして助けに来た。逃げろと言っただろ」
浦住は自分が抱えられているということに、今まで感じたことのない羞恥を覚えながら、叱責する。
自分が、一度東部軍の脅迫によるものとはいえ、拉致して人生を台無しにしようとした教え子。
だから、この事態からは、たとえ自分が死んでも守り抜くと決めていた。
そんな守るべき相手が、危険を冒して自分を助けたことに、温もりを感じつつも許容できないと感じていた。
俺もこんなことはしたくなかった。
良人は叫びたくなるのを何とかこらえる。
「俺も言いましたよね。二人で生き延びましょうと」
「……ッ」
その強い言葉に、浦住は言葉を詰まらせた。
自分よりもはるか年下の教え子の言葉に、喜んでしまった。
大きく膨らんだ胸の前で、きゅっと小さな手を握った。
『君って、人が弱っているときに優しい言葉をかけるの止めなよ』
「(へへっ、俺の得意科目です)」
『そんなクソみたいな科目があってたまるか』
何を照れくさそうにしているのか。
寄生虫は心の底から呆れた。
「とにかく、時間を稼ぎましょう。グレイが教師を呼びに行ってくれているから、こうして隠れて……」
しょせん、獣畜生。
人間様のような知能もない愚かな生物でしかない。
そうアンピプテラを見下す良人は、隠れてやり過ごし、教師陣という肉壁が来るのを待つことを進言しようとして……。
「キシャア!」
アンピプテラ、飛ぶ。
蛇の胴体から、蛇ではありえない翼が飛び出してくる。
ただの蛇ではなく、魔物なのだ。
これくらいは当然である。
そして、強くはためかせると、その巨体を宙に浮かばせた。
「はあ!?」
衝撃的な光景に、もはや取り繕うことなく驚愕の声を上げる良人。
正面から見れば木々の合間に隠れる良人たちは見つけづらいが、こうして空から見れば一目瞭然だ。
アンピプテラはほくそ笑むと、またえずく。
そして、あの強力極まりない酸性の毒を吐くのであった。
まるで、毒の雨だ。
一滴でも身体に触れれば、骨ごと溶かされる強力な悍ましい雨。
「梔子、逃げろ!!」
浦住はいつもの鉄仮面を脱ぎ捨て、もはや声を荒げて良人に言う。
しかし、良人は気づいていた。
これ、どう見ても間に合わない。
「(いやこれもうどう見ても手遅れ……)あああああああああああ!!」
破れかぶれと言うだろうか。
それとも、最後の悪あがきと言うべきだろうか。
良人は、この期に及んでも自分の命をあきらめなかった。
だからだろうか。
彼の身体から、強い光が溢れ出したのは。
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