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第69話 人格二つくらいある、君?

 










 中国東部軍の高級官僚が住まう場所。

 とくに、将軍である黄の滞在できる場所は、まさに中華の贅を費やした素晴らしい場所だ。


 護衛の数も甚大で、暗殺や襲撃を受けても黄まで届くことはないだろう。

 そんな絶対安全圏で、黄は荒廃した中国では高級品であるワインを飲んでいた。


「さて、と。ようやく北部軍の攻勢も収まったか。次は我らが逆襲をしたいところだが……。やはり、兵力の消耗が著しいな。実験体を投入するか……。しかし、一度見せれば他の軍閥にも露見するだろう。となると、やはり……人間の方がいいか」


 やはり、頭の中にあるのは苛烈な戦いを繰り広げている北部軍との戦闘だ。

 しかし、つい先日簡単な休戦協定を結んだことから、一区切りついている。


 無論、それは非常に弱い、口約束だ。

 何なら、準備が整い次第、東部軍の方から破棄して攻撃を仕掛けようと考えているほどだ。


 今の黄の脳裏に浮かぶのは、日本の優秀な特殊能力者。

 良人と綺羅子である。


 あの二人は、非常に有益だ。

 実戦に出すにはある程度下準備が必要だろうが、すぐに東部軍の力強い援軍になってくれることだろう。


 文字通り、その命を費やして。


「将軍」


 そんなことを考えていると、黄の秘書である女が駆け込んできた。

 普段は冷静で落ち着いた言動をしているため、その動きすら見慣れないものだった。


 多少違和感を覚えつつも、吉報かと思い、黄は上機嫌に話しかける。


「おお、どうした。スパイからの経過報告かね? 使い勝手の良かった彼女だが、そろそろ潮時だろう。最後にたくさん褒めて、処分してあげようか」

「いえ、それが……」

「……どうした? 君らしくもないな」


 口ごもる秘書に、眉を顰める黄。

 ここに至って、吉報だと思うほど楽観的な男ではない。


 秘書は少し言いづらそうにしながらも、ようやく口を開いた。


「あの女に埋め込んでいたチップが、消失しました」

「……なに?」










 ◆



「な、なんだ?」


 光が収まり、浦住はうろたえる。

 深夜なものだから、余計に強く感じられた。


 自分と梔子以外に周りには誰もいないので、彼がやったことかと疑う。


「お前、そんな特殊能力あったっけか?」

「いや、ないですよ。二つでも多いと思っているのに(一つもいらねえよ、こんなゴミ能力)」


 本気で不要だと思っている。

 欲しいなら誰にでもあげるつもりだ。


 もちろん、学園からは去る。


「ふっ、まあそうだよ、な……?」


 相変わらず力に興味のない良人に笑いそうになった時、違和感を覚えた。

 ずっと……東部軍に拉致され、人体改造を施された時から感じていた、重々しい頭の違和感だ。


 これのせいで、ろくに眠ることもできず、今となっては消すことのできない濃い隈ができてしまった。

 その原因が、感じられなくなった。


「頭の違和感が、痛みが、なくなっている……?」


 呆然とする。

 頭の重みが、鈍い痛みが、なくなっている。


 これは、東部軍の……黄の策略なのかもしれない。

 油断させ、ぬか喜びをさせ、そして絶望に突き落とすことを楽しもうとしているのかもしれない。


 しかし、今まで十数年以上の年月の中で、このようなことになったのは初めてのことだった。

 自分だけでは、確かめる勇気がない。


 しかし、今は目の前に彼がいる。

 再生によってある程度身体を戻した浦住は、良人を強く抱き寄せた。


 ギュッと豊かな胸が潰れる。

 汗と、土と、そして血の匂いが鼻をくすぐる。


「は? 何してんですか?(ぎゃあ!? 汚い血がつく! 離れろゴリラぁ!)」

「なあ、梔子。あたしを助けようとしてくれたお前に、お願いがある」


 良人が内心でとんでもない暴言を吐いていることに気づかず、浦住は問いかけた。

 顔を離し、じっと目を見る。


 浦住の顔は、今まで見たことがないほど、不安に揺れ……そして、期待している表情だった。

 何のことか分からない良人は、気味悪がった。


「あたしのこと、信じてくれないか?」

「(いや、無理に決まっているだろ。自分のことを中国に売り飛ばそうとした奴の言葉だぞ。信用性皆無だわ)もちろんです」

『人格二つくらいある、君?』


 選択肢はなかった。

 断る勇気なんてない。


 内心と真逆の言葉を口から発するのであった。


「ありがとうな」


 教え子から勇気を貰う。

 十数年、恐怖して従うしかなかった強大なものに対して、抗う勇気を。


 本当なら、子供に与えるのが大人の仕事なのに。

 自嘲しつつ、しかし今までにない心強さを手に入れた浦住は、震える口を開いた。


「……あたしは、東部軍の……黄の命令には、これから一切従わない。何があっても、あたしはこいつを東部軍には渡さない」


 それは、明確な訣別の言葉だった。

 そして、それは確実にチップを通して東部軍に漏れているだろう。


 こんなことをすれば、耐えがたい激痛が頭を襲い、下手をすればそのまま殺されるかもしれない。

 恐怖から、さらに強く良人を抱きしめる。


「……先生?(いきなり何言ってんだこいつ?)」


 柔らかな女体を押し付けられても、冷めた目を向けるだけの良人。

 今、人生の転換点を迎えている浦住に対して、かなり冷たかった。


 しかし、恐怖から顔を良人の胸板に埋めている彼女は気づかない。

 震えながら、時が過ぎるのを待つ。


 10秒、1分、そして5分。

 何もないまま、時間は過ぎていった。


「……本当みたいだな」

「何が?」


 ポツリと呟いた浦住の言葉には、どこか現実離れしたふわふわとした軽さがあった。

 今まで、自分を苦しめてきたもの。


 それが、あっさりと、準備をすることもなく、忽然と消えてしまった。

 爆発するような喜びというよりも、あまりにもあっけなくて、浦住は耐え切れずに笑ってしまった。


 良人、いきなり笑った浦住にビビる。


「あたしの頭の中から、チップが消えている。痛みが、襲ってこない。東部軍に……黄に逆らうようなことを言ったのにな。下手をすれば、チップを爆散させられると思ったが……」

「(こ、こいつ、俺の眼前で頭部爆散を披露するつもりだったのか!? ふざけるな、一生もののトラウマになるだろうが!)」


 目の前で人間の頭部がパーンとなるのは、間違いなくトラウマだ。

 もう人の顔をまともに見れなくなるだろう。


「これは、お前の特殊能力ではないのかもしれないが……お前のおかげだと思う。本当にありがとう、梔子」

「ア、ソッスカ」


 浦住は今まで誰にも見せたことのないような、柔らかな子供のような笑顔を浮かべるのだが、頭パーンの未来があったと知ってしまった良人は、顔を青ざめさせて適当に答えるのであった。


『いやー、順調だね。順調だ』










 ◆



「あー、もしもし? ちっちゃい女をあいつが抱きしめているアル。淫行ネ、淫行」


 良人と浦住を遠くから観察していたのは、一度良人たちを襲撃して逃亡した中華の暗殺者、リンリンであった。

 喜びをあふれさせて良人を抱きしめる浦住に対し、彼は全力で逃げようともがいていた。


 そんな彼らを見ながら、ケッとつばを吐く。

 イチャついてんじゃねえよ。


『いえ、あなたに聞きたいのはそういうことではなく……。女の様子です』


 電話先の女からは、どこか呆れたような声音が聞こえてくる。

 何様だこいつと思いつつ、そういえばお金をくれる人だったと思い、罵詈雑言を飲み込んだ。


「ああ、そうだったネ。別に、男のことを捕らえようとしていることはないヨ。あれ、完全にお前らを裏切っているネ」

『そうですか。ありがとうございます』

「本当の依頼の中には入っていないことを急にやったんだから、報酬は弾んでもらうヨ」

『……ええ、分かっています』


 リンリンの依頼は、良人と綺羅子を捕らえることだった。

 ぶっ殺すと勘違いしていたが、それは失敗。


 その後すぐに連絡があり、不問にするから新しく依頼をすると言われた。

 その内容が、良人たちの監視と、浦住の情報を送ることだった。


「じゃ、もう切るネ。これ以上仕事を増やされても面倒だし」


 自分が失敗しておいてなんだが、かなり冷たく切り捨てた。

 というのも、依頼の失敗は不問にすると依頼主は言っていたが、絶対に嘘だと分かっていたからだ。


 これでのこのこと東部軍に戻れば、間違いなく殺されるだろう。

 だから、もう二度と彼らの近くには行かないし、ビジネス関係を築くことはないのだ。


 そのため、媚びを売る必要もなく、リンリンは携帯を切った。


「……さて、大変なことになるヨ。リンリンを倒したんだから、これくらいで死なないよネ」


 じっと見るのは、良人のこと。

 こうして報告させているということは、何かをしようとしている。


 もちろん、良人にとっていいことではあるまい。

 だが、ここで死ぬような柔な男ではないと思っていた。


「生きていたら、ちょっとくらいサービスしてやるか。リンリンのことを雇ってもらえるように」


 良人の下で働くのも悪くないかもしれない。

 まあ、平和ボケした国の学生風情が、暗殺者をうまく扱えるとも思えないが。


 そう考えて、リンリンは消えた。

 実は、良人の本性とリンリンはめちゃくちゃ相性がいいことに気づくこともなく。




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