第64話 美しい友情
「はあ、やれやれ。人の身体を抱えて動くことなんて、かなり大変なんだがな。起こしたら自分の足で歩いてくれないものか。……いや、無理だな」
気絶した良人を肩に担ぎ、浦住はため息をつく。
雑多に服は着せてある。
さすがに全裸の彼を運ぶのは、浦住でも気が引けた。
子供と見紛うほどの小柄な彼女が、大人に近しい少年を担いでいると言う姿は、何と言うか違和感が凄かった。
面倒くさいし自分の足で歩いてくれたらいいと思うのだが、今からしようとしていることを彼が進んで受け入れるとは思えないので、浦住はその思考を打ち切った。
「あとは岸まで行って、船に乗せるだけか。あたしはどうするか……。まあ、それも命令があるだろう」
よっ、と良人を抱え直す。
彼の腹部が肩にめり込み、『ふぎゅっ!?』と悲鳴が上がったが気にしない。
より意識が深いところに落ちて行くのであれば、止める理由もない。
「さて、後は誰にもばれずにこいつを運ぶだけなんだが……」
「先生、どちらへ?」
「……やっぱり、そう簡単にはいかないか」
冷たい声が届いてくる。
彼女自身にその意図があるのかは知らないが、ほとんど生来のものだろう。
それで距離を取られてしまい、ちょっと傷ついているのは彼女だけの秘密だ。
浦住が目線を向けた先にいたのは、ジェーン・グレイがいた。
亡国ロストランド王国から亡命してきた、王族である。
真っ赤な瞳は、闇夜で怪しく輝いていた。
その目に見つめられると、魂を抜き取られるような感覚に陥る。
それを無理やり弾き飛ばし、浦住は濃い隈のある目を向けた。
「なに、梔子が体調を悪くしたようだからな。養護教諭に見てもらうために、運ぶつもりなんだ」
「では、私がやりましょう。先生には先生の仕事もあるでしょうし、同級生の私がやった方がいいでしょう」
「気絶している人間を抱えるのは大変だ。あたしは特殊能力もあるから大丈夫だが、お前には難しいだろう」
何とも表面的な会話だ。
浦住自身がそう思っているのだから、グレイはなおさらそう思っているだろう。
しかし、無駄な戦闘は避けたい。
露呈したら面倒だし、【今はまだ】彼女の教師なのだから。
自分の生徒を傷つけたいなんて願望は持ち合わせていないのだ。
「そうですか。……ところで、あなたが今梔子さんを抱えて向かおうとしている先には、海がありますね。そちらに養護教諭がおられるのですか?」
「……聡いな。さすがは亡国の姫というところか?」
それって何か関係あるの? とグレイは思ったが、黙って飲み込んでおくことにする。
それよりも重要なことを尋ねる。
「あなたは梔子さんをどこに連れて行くつもりですか、先生」
「中国だ」
浦住は隠すことなく教えた。
グレイも教えてもらえるとは思っていなかったようで、目を少し大きく見開いた。
「中国? どうして?」
「今の中国がいくつかの軍閥に分かれて内戦をしているのは知っているな? その中でも東部軍は、特殊能力者の蒐集に力を入れている。内戦で駒にするためにな」
鼻で笑う浦住。
中華東部軍……いや、中国そのものをあざ笑っているかのようだ。
「中国の特殊能力者は数こそ多いが、質はそれほど良くない。だから、良質な特殊能力者を集めているというわけだ」
「それが、日本の……?」
「日本は危機意識が低いからな。拉致されても、平和ボケしたままだ。絶好の狩場なんだよ、東部軍にとってはな」
日本でも一部の者は、特殊能力者の価値の高さは理解している。
しかし、一度ダンジョンから魔物が溢れ出した時、その制圧に成功してから、魔物が一般の人々に脅威を与えたことはない。
すべて自衛隊を主体とした部隊で、ダンジョン内に抑え込んでいるからだ。
そして、ダンジョンが現れる前にあったような、他国の脅威もない。
ほとんど国は滅んでいるし、最も近く生き残っている国家である中国は、内戦で忙しい……と思い込んでいるからだ。
だから、特殊能力者の重要性、ありがたみというものを忘れる者が多いのも事実。
したがって、東部軍は日本を狙っている。
同じアジア人でそれほど目立つことはない。
仮に同じことをアメリカでしようとすれば、おそらく東部軍は壊滅する羽目になるだろうし、そう簡単に思い通りに拉致することはできないのだ。
「まさか、あなたが中国のスパイだったとは……」
「まあ、色々あるんだよ、人生にはな」
ふっと笑う浦住。
日本の重要機関である特殊能力開発学園の教師に、他国のスパイがいて、拉致の手引きをしていようとは思うまい。
「で、だ。あたしがこんなにも丁寧に説明してやった意味、分かるか?」
「…………」
スッと浦住の目が細まる。
雰囲気が変わったのを感じ取る。
もちろん、好転したわけではない。
もっと恐ろしく、悍ましいものだ。
「冥途の土産というやつだよ」
「そうですか。私は梔子さんに多大な恩があります。あなたに連れ去られるのを、みすみす見逃すつもりもありませんでした」
グレイは、引くつもりは毛頭なかった。
彼女の持ち合わせている正義感というよりは、浦住が抱える少年のために。
一度は敵対し、連れ去ろうとした自分を庇い、助けてくれた良人。
彼のために、自分より格上であろう浦住と命を懸けて戦うことに、何らためらいはなかった。
「あなたを殺しても梔子さんを守ります」
「そうか、美しい友情だな。じゃあ、死ね」
亡国の姫と中華のスパイが、激突した。
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