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第62話 嫌な予感しかしない

 










「ああああああ……疲れたああああああ……」


 宿泊施設の浴室で、俺は声を張り上げていた。

 もともと、男の数が少ない特殊能力開発学園。


 訳の分からん中国の暗殺者に襲われるという斜め上のクソみたいな現実に直面したため、応急手当や事情聴取を受けていた俺は、ようやく深夜になって風呂に入ることができていた。

 そのため、数少ない同性の白峰たちはすでに入浴を済ませているため、広い浴場は俺の独り占めの状態になっていた。


 と言っても、傷のこともあるので、足を浸からせる足湯みたいな感じになってしまっている。

 しかし、動き回って疲労が蓄積した脚が温かいお湯で癒されるのは、とても気持ちよかった。


『お疲れ。それにしても、100連勤くらいしたサラリーマンみたいな深いため息だね』


 珍しく素直にねぎらってくる寄生虫。

 俺の心労は、サラリーマンなんてそんなものを容易く凌駕しているぞ。


 本当につらい……。

 特殊能力が俺にあると判明してから、まるで奈落の底へ転がり落ちている気分だ。


 一つもいいことがなかった。

 幸せと不幸は半分ずつくらいあると聞いたことがあるが、不幸一択なのはどうして?


 俺、この学園に来てから心の底から笑えたことがないんだけど。


『ここに来る前もそんな笑顔になったことあったっけ?』


 何とひどいことを言うのだ。

 笑えない人間って、かなりやばい感じだろ。


 周りの環境が悪すぎるだろ。

 もちろん、俺はあるぞ。


 めちゃくちゃ勉強していたのにテストの成績が振るわず志望校を落とさなければいけない感じになっていたクラスメイトを見た時とか。


『うん?』


 イヌの糞を踏んで立ち止まりつつ絶望していたおっさんが上から鳥の糞をかけられていたのを見た時とか。


『ううん?』


 綺羅子が何もないところでつまずいて転げたところをスマホで撮ってインターネット上に流出させた時とか。


『ろくでもない時にしか笑ってないじゃん、君』


 そんなことないだろ。

 お花畑を見つけた幼女のような笑顔を浮かべていたはずだ。


『キモ』


 死ね。


「ああ、やっぱり風呂っていいなあ。足しか入れられていないけど」

『胸部は大きな傷を負っているからね。特殊能力を使った応急処置で傷跡は残らないし止血もされているけど、やっぱり無理してお風呂に浸かるのはよくないんだよ。病院にも念のため行くことになったしね』


 俺は寄生虫の言葉に頷く。

 まあ、すぐに痛みから解放されたのはよかった。


 俺の美しい身体に傷が残らないのも。

 しかも、明日には病院に行けるのだ。


 何ともないとなっても、俺の完璧な演技によって、臨海学校はリタイアしよう。

 そして、何とかこの情報をマスコミに売りつけて特殊能力開発学園を糾弾させ、この学園からおさらばしよう。


『壮大な計画を立てていて笑ったんだけど。特殊能力者の育成は国家事業だからね。君が騒ぎ立ててももみ消されると思うよ、国に』


 ……そういえば、俺の行く予定の病院って国立だったっけ?

 国の息がかかっているんだろうか?


 この国は腐ってやがる……。

 誰か、革命を起こして、どうぞ。


『そうなったらそうなったで、君は革命家をめちゃくちゃにたたくんだろうなあ……』


 とりあえず、目の前で起きている事象は否定し、頑張っている人を貶すのが俺だからね。


『なんでそんな清々しい笑顔でそんなことが言えるの?』

「特に足がクタクタなんだよなあ。無理な動きとかするから、もうパンパン。筋肉痛がなるべくひどくならないようにしないと……」

「それはいい心がけだな。感心するぞ」

「……は?」


 聞こえるはずのない声。

 というか、俺以外にここに入れるのは白峰などの男子だけなのだが、もうあいつらは寝ているだろう。


 教師とも思ったが、声音が明らかに女だった。

 そして、毎日嫌々聞いている、退廃的な声。


 振り返れば、タオルで一切隠すことなく、全裸で立っている浦住がいた。

 俺の目が死んだ。


「……何やってんですか?」

「ねぎらってやろうと思ってな」

「じゃあ、服を着てください」

「風呂で服を着るバカがどこにいる?」


 こいつ、リンリン並の馬鹿か……?










 ◆



『うわーお。大胆な教師だね』


 寄生虫は何やら盛り上がっているが、俺は絶望しかない。

 大胆って言葉でまとめていい話じゃないだろ。


 こいつ、マジで何を考えてんだ?

 俺が入っているの、教師だから知っていただろ?


 すぐに戻らないし、間違えて入ってきたわけでもないみたいだし……。

 それなのにどうして全裸で浴場に入ってくることができるんだ?


 とりあえず、前を隠せや痴女が。


「えーと、本当にどうしたんですか? そもそも、俺は今服を着ているんですけど」


 肩まで風呂に浸かっているわけではなく、足湯みたいな状態だ。

 もちろん、俺は服を着ていた。


 一方で、浦住は全裸である。

 なんだこいつ。


「だから、ねぎらってやりに来たと言っているだろう。あと、風呂で服を着るな」

「怪我してんですよ、俺」

『ちょっと口調崩れてきているよ! しっかり!』


 寄生虫の言葉にハッとする。

 い、いかんいかん。


 苛立ちが強すぎてどうにも……。

 今回だけのことじゃなく、日ごろからの積み重ねで浦住にはどうしても辛辣になってしまう。


『いや、この先生だけじゃなく、君は誰に対しても辛辣だけど?』


 ははっ、抜かしおる。


「ああ、そうだったな。自分に慣れているせいか、怪我をしている奴の気持ちが慮れなくてな」


 やれやれと首を横に振る浦住。

 は? 自分強いアピールですか?


 自分、全然怪我とかしないですよアピールですか?

 ヤンキーのあこがれるチンピラ中学生みたいなことを言っているんですね。


 ふぁっきゅーびっち。


「じゃあ、背中を流してやることはできないな。あたしの身体を見て厭らしいことに使え、思春期くん」


 そう言うと、浦住は胸を張り、むしろ見せつけるようにしてくる。

 ガキみたいな小柄な体躯のくせに、胸部は大きく膨らんで突き出ている。


 引き締まったお腹や大きめの臀部など、タオルで隠していないから丸見えだ。

 白髪も真っ白な頬に水気を含んで張り付いていて、濃い隈のある目がじっと俺を見てくる。


 うーん、全然嬉しくないんだわ。

 というか、この状況が露呈してしまう方が嫌なんだわ。


 まったく望んでいないのに俺がなんか悪いみたいな感じになるし、悪評が立ちそうだし。


「俺をそこら辺のチンパンジーと一緒にしないでいただきたい」

「お前、たまに辛辣になるよな」


 呆れた目を向けてくる浦住。

 マジで本当、この年代って頭が下半身に直結しているよな。


 よくもまあ恋愛だなんてつまらないことに現を抜かせるものだ。

 俺はそんなことしないぞ。


 ちゃんと金持ちの女を捕まえるために、必死に努力しているからな。

 あと、とにかくこの学園を辞めたい。


 マジで。


「というか、あたしの身体を見て興奮せず普通に話している思春期っておかしくないか? 同僚の先生も、服の上からですらあたしの身体を嘗め回すように見てくるのに」


 自分の胸部を下から持ち上げてぽよぽよと動かす浦住。

 なんでそんな性欲に忠実な奴がいるの?


 まあ、確かにその性欲猿の大人からしたら、お前の身体に価値はあるのかもしれない。

 だが、俺にとってお前は無価値だ。


 心が揺さぶられるはずがない。


「俺は人の見た目よりも内面の方が大事にしているので」

「いい子ちゃんぶりやがって……と思うが、お前の場合は嘘ではないからなあ」


 薄く笑いながら、浦住は言った。


「お前はよく頑張ったよ、梔子」


 ……なに、この別れ際の会話みたいなのは。

 嫌な予感しかしないぞ。




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