第53話 ブチ切れだわ
狭い試着室に押し込まれたと思ったら、何を詰まらないことを言っているのか、このクソガキは。
俺は見えない隠木を全力で睨みつける。
あまりの鋭さに、奴は少し震える声で話す。
「……さ、さすがに生着替えを見られるのはあれなんで、透明の状態で着ますけどね」
……もしかして、俺がこいつの身体に興味津々で凝視していたとか思われている?
冤罪だ! 冤罪だ!
無実を訴えようとすると、シュルシュルと音がする。
服がこすれる音。
パサリと軽い音がするのは、地面に落ちた音だろうか。
「…………」
……はあ、ありえんわ。
俺は目を瞑って天井を見上げた。
なんで俺が他人にばれたら非常にマズイ状況に追い込まれなければならないのか。
しかも、まったく興味がないというのに。
拷問かよ。
『凄いね。こんな密着した空間で同級生が着替えているのに、マイナスの感情しか持っていないじゃん』
俺は思春期の性欲に狂ったチンパンジーじゃないんだぞ。
人間様は理性で性欲を抑え込むことができるんだよ。
というか、隠木なんかで興奮しない。
札束を見たら興奮するけど。
「さて、と。特殊能力を解除して……」
ふわりと隠木の姿が露わになる。
透明の状態で、すでに着替えていた。
着ていた服は畳まれており、彼女は水着を着用していた。
黒い、大人っぽいビキニだ。
少し前まで中学生だった奴が着るようなものでもないと思う。
しかし、隠木のスタイルは、すでに大人顔負けだ。
豊かに実った胸部は真っ白で、黒いビキニが映えている。
括れた腰やスラリと長い脚も、少し前まで中学生だったとは思えないほどだ。
長い黒髪が伸び、目元は隠れている。
そんな状態で、少しもじもじとしながら、俺を伺うように見てきた。
「ど、どう、っすか……?」
「……なんで照れているんだ? 君がこんな状況にしたのに」
「ふ、普段は誰にも見られることがないのが当たり前になっているので。いつも梔子くんの部屋で解除しているとはいえ、水着姿は恥ずかしいっすよ……」
透明でいる副作用か、身体は病的なまでに真っ白だ。
そのため、彼女が照れると簡単に赤く染まってしまう。
じゃあ、するなよと思うのは間違いだろうか?
彼女の本来の姿を見ることができるのが俺くらいだという事実は、なかなか使える。
いざとなれば……。
『とんでもないことを考えようとしていない?』
「ああ、とても似合っているよ。隠木には、ぴったりだ」
「……なぁんか、ありきたりな感想っすねぇ」
隠れた目でもジトーっとした雰囲気が伝わってくる。
だって、そんなお前に興味ないし……。
誰にでも使える感想を言うのは、仕方ないだろう。
「とはいえ、褒めてもらえたのは嬉しかったので、これにするっす。あまり感想が良くなかったら、別のものも見てもらうつもりだったっすけど……」
「これこそが君に一番似合うと思うよ。うん、間違いない」
とんでもないことを言おうとするので、慌てて言う。
あっぶねえ。
こいつ、そんなことを考えてやがったのか。
そう言うと、隠木はなんだか嬉しそうにもじもじとする。
「そ、そんなっすか? 結構きわどいのに……梔子くん、スケベっすね」
どつくぞ、クソガキ。
思わず怒鳴りつけてしまいそうになる。
お前がこの地獄を引っ張ろうとするから、さっさと終わるように仕向けたんだよ!
断じて今の水着を見たいがために言ったわけじゃねえ!
「というか、普段は透明になっているけど、さすがに臨海学校では解除するんだね」
何とか気持ちを落ち着けて言う。
せっかく水着を買ったということは、その姿を見せるということだろう。
じゃないと、それなりの値段を支払う理由がないもんな。
そう思っていると、キョトンとした顔で見られる。
「え? しないつもりっすけど?」
「……じゃあ、何で水着を買ったんだ?」
まったく意味が分からんぞ。
すると、隠木は嬉しそうに近づいてきて、グリグリと胸板を指で押してくる。
こいつ、水着姿で何をしているんだ?
「えー、ウチの口から言わせるっすかぁ? スケベぇ」
は?
「それに、どうにもサイズが……。ウチ、常に成長し続ける女なので!」
気づかわし気に自分の胸部を見やる隠木。
まあ、同年代の平均をはるかに上回っているとは思う。
そんな具体的に平均は知らないけど。
黒いビキニに包まれた白い双丘は、身じろぎがあるたびに重たそうに揺れている。
……邪魔そう。
「ほらほら、出て行ったっす。長くいちゃダメっすよ」
ぐいぐいと背中を押されて外に出る。
は?
『ガチ切れ止めない?』
ブチ切れだわ。
もう許せねえわ……。
嫌がっていた俺を無理やり引き込んだと思ったら、用済みとばかりに捨てるなんて……。
あそこに残されていても困っていたけど、この雑な扱いにはいろいろと思うところがある。
「あ、あの」
この状況の俺に向かって声をかけてくる愚か者がいた。
聞こえないふり……は無理か。
ちっ。
「うん? 何かな?」
笑顔で振り向けば、そこには立花がいた。
彼女も水着を着ている。
ワンピースみたいな、露出度の少ないものだ。
隠木の下品エロティック黒ビキニを見ているから、なおさらそう思う。
おこちゃま体型の立花にはぴったりだ。
「たちばなの水着、どうかな?」
「ああ。(貧相なお前には)とても似合っていると思うよ」
おずおずと問いかけてくるので、満面の笑顔で頷いておく。
というか、何でこいつも俺に聞いてくるんだ。
自分のことだろ。
自分で決めろよ。
「そ、そうかな。じゃあ、これにするかも」
どっちだよ。
言いたいだけ言って、立花はシャッと試着室のカーテンを閉じた。
良かった、引きずり込まれなくて。
やっぱり、隠木が非常識だったんだなって。
……と思っていたら、今度はドン! と横からタックルされた。
悪質だ……!
「ねえねえ! お姉ちゃんの水着、これが一番似合うと思うんだけど、どう!?」
目をキラキラと輝かせて見てくるのは、行橋(妹)である。
普段は冷静というか冷めた感じなのに、やけに興奮している。
正直、うっとうしい。
そんな彼女がこんな状態になるのは、姉の関係しているときだけである。
「ちょっと面積がぁ……」
試着室でもじもじとしているのは、行橋(姉)である。
普段はぼーっとしているくせに、今は顔を赤らめていた。
一丁前の女みたいな反応をしやがって……。
しかし、行橋(姉)の言う通り、彼女の来ている水着は隠木よりも大胆だ。
というか、ほとんどヒモだ。
痴女じゃないか。
「君の大事な姉を刑務所にぶち込みたくないんだったら、控えた方がいいかな」
「ふぅ、やれやれ。お姉ちゃんの良さを分からないなんて……」
水着の問題だっつってんだろ!
絶世の美女でもヒモみたいな水着を着ていたら引くわ!
喜ぶのなんて、性欲に頭が狂ったチンパンジーくらいである。
「この子にもっと言ってあげてぇ」
救世主を見るように、すがるように俺を見てくる行橋(姉)。
こいつがこんな困った顔と懇願するような目をするなんて思ってもいなかった。
やっぱり、他人が追い詰められて苦しんでいる姿を見るのは面白いな。
よし。
「……二人のことは二人でしっかりと話し合えばいいんじゃないかな? じゃ」
「見捨てられたぁ」
「お姉ちゃん、この貝殻ビキニも……!」
手を上げてクールに去る。
絶望の姉の声と、とんでもないことを言っている気がする妹の声を背中に。
……貝殻ビキニってマジ?
そんなばかばかしいものも売られてあるの?
さて、つまらんラッシュもここまでだろう。
誰もいない今がチャンスだ。
さっさと帰ろう。
「……梔子さん」
としていたら呼び止められた。
……最悪の誘拐犯になあ!




