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第48話 素材

 










 中国大陸の東部。

 昔、中華人民共和国という名前だった時代、上海と呼ばれた場所。


 重厚な造りの建物の中を、一人の男が歩いていた。

 ちょっとしたミサイル程度なら何ら問題なくはじくことのできる、要塞ともいえる場所に現在の混乱真っ只中の中国でいられるのは、相当の限られた人物である。


 そのうちの一人が、この男なのだ。

 でっぷりと太った腹を揺らしながら、ゆっくりと歩く。


 そして、一つの部屋に入って行った。


「ふう、疲れるなあ」

「お疲れ様です、黄少将」


 部屋の中で待っていた軍服を着た女が、丁寧に頭を下げる。

 軍の高級将官である黄と、護衛もつけずに一緒にいることを許される、稀有な人材だ。


 それだけ信頼されているということである。

 秘書的な役割を担う彼女だが、護衛の役割も担っていた。


「ああ、君か。まったく、愚かな北部の連中には困ってしまうよ」

「ゲリラ戦が得意な連中です。消耗戦を仕掛けてきていますね」


 黄が対応を求められているのは、敵対している北部の軍閥である。

 現在、中国では中央集権的な組織はなく、いくつかの軍閥に分かれて内戦状態にあった。


 黄はその中でも東部軍に属している。

 そして、もっぱら戦闘を行っているのは、北部軍であった。


 大規模な攻勢を仕掛けてくるわけではないが、少数が浸透してきて消耗を強いる戦いを仕掛けてくるので、なかなか対応に苦慮するのだ。

 何せ、拠点を潰して終わりというわけではないのだから。


 終わりの見えない戦いの一つである。


「まあ、それに我々が乗ってやる必要もないんだがね。しかしまあ、数は多いよ」

「中華ですから」

「それもそうだ。魔物の氾濫で随分減ったと思っていたが、それでも世界最多の人口数は変わらんね」


 世界各地に同時多発的に現れたダンジョン。

 中国でもそれは発生し、大規模な魔物の氾濫を引き起こした。


 圧倒的な軍事力でそれを抑え込んだ中国であったが、その被害もまた甚大である。

 しかも、その混乱に乗じていくつもの軍閥が乱立し、遂には当時の体制が崩壊してしまったのだから、抑え込んだとは言えないかもしれない。


「今では、国家の形態を保てている地域も少ないですから、なおさらですね」

「ああ。生き残っているところが、わが国と敵対的な国ばかりというのが、何とも悲しいものだが」

「米国と日本は相変わらず目の上のたん瘤ですか」


 魔物の氾濫により、世界中の多くの国が滅びた。

 それを抑え込みに成功した数少ない国は、日本とアメリカである。


 中国と違って体制が変わったということもないので、完璧に成功したと言えるのはその二国だけかもしれない。

 決して中国と良好な関係とは言えない国だった。


 とはいえ、今は状況がかつてとは大きく異なっている。


「いやいや、ダンジョンが生まれる前ほどではないさ。今では国家間交流もそれほど活発ではないしね。とはいえ、逆に日本の自主独立の機運が高まったのは面倒だ。我が国の工作も通用しづらくなっている」


 かつては国防の多くをアメリカに頼っていた日本。

 しかし、現在ではそうすることもなくなっている。


 日本が危機感を抱いたというよりも、アメリカの余裕がなくなったという方が大きい。

 日本に駐屯していた軍もほとんどが国内に引き込んでいる。


 必要に迫られてのことだが、こちらからの工作が通用しづらいのは厄介なことだ。

 と言っても、今はそれほど日本に影響を及ぼす余裕はない。


 まず、自国内の敵をどうにかする必要があるのだから。


「ですが、相変わらず甘さはあるようですが」

「それは当然だよ。人はもちろん、国もそう簡単に変わることはないのさ。それこそ、我らが祖先が行ったような革命を起こさない限りはね」


 どうにも秘書の彼女は日本を侮っているようだ。

 まあ、アメリカのように苛烈な反撃を仕掛けてくることがないだけ、甘っちょろい国であることは間違いないのだろうが。


「しかし、北部の連中が調子に乗ってテロや破壊工作をしてくるのは困るな。実験体の様子はどうだね?」


 東部軍……というよりも、黄が個人的に力を入れて研究していることだ。

 その実験体を戦場に投入することができれば、一気に戦況は変わるだろう。


 そして、その功績でもって、少将に過ぎない黄は一気に名声を集めて出世するのだ。

 だが、残念なことに秘書は首を横に振る。


「やはり、異形と言うべきでしょうか。ほとんど我らの支配下に入りません」

「ふーむ、困ったものだ。あれを自在に扱えるようになれば、我が東部が中華を治められるというのに」

「申し訳ありません」

「君を責めているわけではないよ。なにせ、世界のどこの国も成し遂げたことのない、前例にないことをしようとしているのだ。うまくいかないのは当然だよ」


 鷹揚に頷く黄。

 長い目で見なければならない研究だ。


 それに、その研究以外に北部との戦争での手段がないというわけではない。

 いくつもの策を用意するのが、将というものだ。


 あの実験体がダメなら、すでに実用化している道具を使おう。


「とはいえ、このまま北部の連中に好き勝手されるのも困る。ならば、人間を使うしかあるまい」


 化け物と違い、人間の洗脳手段なんて、古代より研究されてきて成果もあげられている。

 比較することすらおこがましいほど、容易なことなのだ。


「中国製を使いますか?」

「特殊能力者の数は素晴らしいものがあるが、やはり品質がな。むやみに潰すわけにもいくまい。後々、国家と私を支える土台となるのだから」


 中国大陸の特殊能力者は多い。

 母体となる人口が単純に多いことが影響している。


 しかし、どうにも諸外国と比べると、特殊能力が弱い。

 無論、絶対的な差があるわけではないが、明確に違いはあった。


 それらを使いつぶすわけにはいかない。


「では……」

「うむ。こういうのは、他国の駒に限る。使いつぶしても、こちらの懐は全く痛まないのだからな」


 自国の民を使うわけにはいかないが、他国の人間なら何ら問題ない。

 人権問題?


 そんなものを真剣に取り組めるほど、今の世界は余裕がない。

 もちろん、特殊能力者の拉致と洗脳は、それこそアメリカに対してやれば報復に戦争を仕掛けられてもおかしくないほどだ。


 それは困る。

 だから、そこまでしない甘い国を狙うのだ。


「少将、通信が入っております」

「おお、彼女か。タイミングが素晴らしい。ぜひつないでくれ」


 秘書に対して、機嫌よく答える黄。

 速やかにセッティングされ、サウンドオンリーの通信が始まった。


「やあ。元気かね?」

『……そのようなことはどうでもいい。用件は?』


 心底不機嫌そうな声が返ってくる。

 敬語も使っていないが、黄は特に咎めるつもりはなかった。


 なにせ、彼女は純粋な中国人でもなければ、望んで部下になったわけでもないのだから。

 秘書は嫌そうに顔を歪めているが、許容範囲である。


「おお、すまないね。北部の連中を黙らせるために、都合のいい『素材』をいくつか回してほしい。活きのいいのはいるかね?」


 加えて、黄が彼女に対して寛容なのは、仕事をしっかりとしてくれるからだ。

 でなければ、とっくに切り捨てている。


 今も、問いかければすぐに答えが返ってくる。


『……そうだな。二人ほど』

「ほう」


 先を促すと、彼女は冷たく言い放った。


『梔子 良人と黒蜜 綺羅子だ』



第2章完結です!

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