第20話 マザーテレサ
「…………え?」
空気が凍る。
というか、時間が止まった。
おかしいな。
俺の特殊能力って、時間操作系だったか?
だとしたら、一刻も早く巻き戻してこの学園に入らないことにしたいんだけど。
「……この状況で断れるのは凄いわ」
『凄いね。こんなに簡単にプライドを捨てられるのは』
綺羅子と寄生虫の言葉。
何だお前ら。
プライドで自分を守ることはできない。
「えぇ!? ちょ、この状況で断るの!? ぼ、僕が言うのもなんだけど……」
「あー、いいのか、それで?」
唖然とする白峰と、いつも面倒くさそうにしているくせに、やけにこっちを気づかわし気に見る浦住。
何だお前ら。
「ええ、もちろん。白峰くんは特殊能力をしっかりと扱えるでしょうが、俺はしょせん最近自覚しただけですから。(白峰くん風情じゃ)相手になりませんよ」
白峰じゃ役不足だ。
『いや、プライド持ってるし高いっ!?』
「ふ、ふーん、ビビりなんだね。僕に勝てないと思って、諦めたんだ」
虚勢を張るように、笑みを浮かべる白峰。
…………コロシテヤル。
『心の中でもすっごい小声ですっごい殺意だ……!』
「やっぱり、鬼を倒したなんて嘘だろうね。君みたいな臆病者が、あんな凶悪な魔物を倒せるはずがないし。ふふっ、ダサいなぁ」
俺が戦わないと分かったため、徹底的に貶めにかかってくる白峰。
正直、こいつの言動にはブチ切れである。
地獄すら生ぬるい。
無間地獄だ。
一生苦痛に味わって、生まれてきたことを後悔しながら死んでほしい。
だが、俺はそれを抑え込んでいる。
なぜか?
白峰が、自分から奈落の底に落ちて行っているからである。
馬鹿だなぁ、こいつ。
俺をこき下ろしたいのだろうが、こいつは自分で墓穴を掘っている。
こんなにも他人を見下して貶めていたら、周りで見ていていい気持ちになるはずがない。
あまつさえ、俺はクラスメイトたちと非常に関係が良好だ。
なにせ、イケメンだからな。
『顔の良さをここで強調する必要はあった?』
学生なんて、顔が格好いいとか可愛いとかでしか考えていない低能だぞ。
俺みたいなイケメンが丁寧に優しく振舞っていれば、簡単に人気者だ。
ちょろいもんだぜ。
そんな俺を、白峰は徹底的にこき下ろしている。
奴もそこそこ整った容姿だが、この高慢な性格もあいまって、俺の方がはるかに人気がある。
つまり、人気者を貶めようとしたら、逆に白峰の評価が地に落ちているのである。
「ちょっと言い過ぎだよね」
「いきなりそんなこと言ったって、梔子くんもびっくりするよ」
俺を貶すことで一生懸命な白峰は気づいていないが、クラスメイトたちはそんな話をしている。
ふっ、ほらな。
周りのことをちゃんと見れていないぞ、白峰くん~?
あと、基本的に悪口を言って評価が上がることはないからな。
だから、俺は決して人前では悪口は言わない。
『心の中でとんでもない罵詈雑言を吐いているけどね』
内心の自由だぞ。
さて、白峰の評価がどこまで下がるのか見ておこうか。
俺はニヤニヤとしながら高みの見物を決め込んでいると……。
「聞き捨てなりませんね……」
そんな言葉が響いた。
もちろん、俺の声ではない。
それは、俺の隣……綺羅子の声だった。
「なに!?」
『なんで君が一番驚いているの?』
驚愕する俺をしり目に、綺羅子はキッと白峰を睨みつける。
「良人は決して臆病者でも、性格が悪いわけでも、実はドクズというわけでも、無気力でも、甲斐性なしでも、悍ましい人間とも思えないようなドブのような性格というわけでもありませんわ!」
「ちょっと待て」
そこまで言われていなかっただろうが!
全部お前が俺に思っていることだな!?
ぶっ飛ばすぞテメエ!
「君は……ああ、梔子くんの幼なじみだね」
「そうです。だから、あなたよりも良人のことを理解しています。良人は、決してあなたなんかには負けませんわ!」
ふふんと、ない胸を張る綺羅子。
はあああああああああああああああああ!?
何言っちゃってんの、こいつ!?
馬鹿なの? とんでもないバカなの?
知ってたけども!
しかし、まさかこの女がこの状況で、この俺を庇うなんて……!
『いいことじゃん。こういう中で味方してくれる人は、かけがえないと思うよ』
馬鹿やろう!
こいつが純粋に俺のことを思って言葉を発したわけじゃないのが分からんのか!
ただ単に、俺が戦うことを嫌がっているのを見て、だからこそ戦わざるを得ない状況に持ち込もうとしているだけだ!
見ろ、こいつに庇われたせいで、『ここで男を見せないとだめだよね』的な雰囲気が広がり始めている……!
悪……この世すべての悪だ……!
「きゃあ! やっぱり、彼氏の悪口を言われたら我慢できないわよね!」
「駆け落ちカップルよ。当然じゃない!」
クラスメイトたちの姦しい声が聞こえてくる。
先程白峰の評価が下がっていた時はとても聞きたい声だったのに、今ではまったく聞きたくない死神の声だ。
そ、そうだ。
俺は、綺羅子がこの状況で妨害してくるとは想像していなかった。
その理由がこれだ。
これだけ多くの目があり、その中で俺を庇うようなことをすれば、こうなると思っていたからだ。
遺憾ながら、本当に不愉快ながら、俺と綺羅子はそういう関係だと思われている。
そして、嫌がっているのは彼女も同じ。
その勘違いをさらに強固なものにする行為をするとは、思っていなかった。
きゃあきゃあと騒いでいる今がチャンス。
俺はこっそりと綺羅子に話しかけた。
「正気かお前! こんなことをしたら……」
「ええ、分かっているわ。こんなことをしたら、私が苦しむことくらい」
人と恋人関係と思われることで苦しむって、なかなかひどくない?
しかし、綺羅子もしっかりとリスクを把握していた。
馬鹿な……。
それだったら……。
「だったら、どうして……!」
理解できないものを見る目で、綺羅子を見る。
彼女は俺を見て、にっこりと笑った。
それは、慈愛に満ち満ちた、優しいもの。
マザーテレサでも、これほど優しい笑顔はできないだろう。
「あなたが苦しむからよ。あなたが苦しむのであれば、この程度の苦しみ、私は引き受けるわ」
「き、貴様……!」
前言撤回。
何がマザーテレサだ。
悪魔そのものじゃないか。
『えぇ……。君たち、本当にどういう関係なの? どうしてこんなことになっているの……?』
寄生虫が知る必要はないことだ。
「……そこまで、他人のために思いやることができるのか」
「ん?」
綺羅子に戦々恐々としていると、白峰がポツリと呟いていた。
お、どうしたどうした?
「僕の周りにはいなかった女性だ。凛々しく、気高く、そして慈悲深い」
「ちょ、ちょっと?」
何やら不穏な雰囲気を感じ取り、綺羅子が慌てだす。
一方で、俺は期待感に胸を膨らませる。
頼む、頼む……!
白峰、決めてくれ……!
「ああ、決めたよ」
本当!?
「梔子くん、彼女――――黒蜜 綺羅子さんをかけて、僕と勝負しろ!」
俺に指をビシッと指して、宣言した。
誰に指さしてんだ、クソが。
しかし、今は許してやろう。
『きゃああああああああああ!!』
漫画やアニメなどで使い古された展開。
だが、だからこそいい。
そんなクラスメイト達が歓声を上げる中、綺羅子は目を白黒とさせていた。
「なっ、なっ……!?」
非常に慌てだす。
冷や汗も凄いことになっている。
そんな彼女は、救いを求めるように俺を見てくる。
ついでに、俺の袖まで掴んでいる。
だから、俺はそんな彼女を安心させるように、優しい笑顔を浮かべるのであった。
ニチャァ……。
「いいだろう。綺羅子も巻き込むと言うのであれば、俺ももう我慢の限界だ。彼女は渡さないぞ」
「ッッッッッ!?!?!?!?!?!?!?!?」
『うっわ、こんなあくどい笑みを見たことがないよ……』
マザーテレサ並みに慈愛に満ちていただろうが。




