第15話 お前のせいだからな
「いやー、お疲れっす。まさか、あの鬼を倒せるなんて……。さすが、駆け落ちカップルっすね!」
彼らには見えないが、ニコニコと笑って焔美は話しかける。
すると、彼らは照れ隠しか、心底嫌そうに顔を歪めて口を開く。
「「カップルじゃないから」」
「息もぴったりっす……」
焔美が話しているのは、もちろん同じグループでダンジョン探索を行った、良人と綺羅子である。
もともと、学園にすんなりと入らず脱走した駆け落ちカップルとして有名な二人。
加えて、特殊能力もかなり強力なものであることが判明し、焔美の好奇心はくすぐられっぱなしだ。
すでにレクリエーションは終了しているにもかかわらず、彼らと一緒にいるのはそういう理由である。
「でも、皆先に帰っているなんて、なかなかひどいっすよね」
すでに他のクラスメイトたちは、学園に戻っている。
鬼との激しい戦闘を考慮、また事情聴取をする必要もあったことから、彼らはゲストルームを与えられていた。
今は、そこに向かって敷地内を歩いている。
「まあ、本当に俺たちが魔物にやられていたら、ダンジョンから魔物があふれる最悪の事態があったかもしれないしな(でも、俺の肉壁にならないで逃げたことは許さん。クラスメイトって、やっぱいらないわ)」
笑みを浮かべる良人。
内心を知らない焔美は、本当にお人よしで人がいい男なのだと、改めて思う。
鬼との遭遇時でもそうだ。
普通、我先に逃げ出そうとするはずなのだ。
なのに、この二人はお互いを思い、過酷な道に望んで進もうとするのだから。
なお、実際は普通に該当し、彼らは必死に逃げようとしていたが。
他の人々と違った点は、お互いを蹴落とし合って結局二人そろって奈落の底に落ちていった点である。
「ねえ」
「ちっ、仕方ねえな」
ぼそっと呟かれた言葉に、良人が反応する。
少しかがむと、そこに綺羅子が覆いかぶさった。
おんぶである。
彼女は少し身じろぎしていい体勢をとると、満足そうにむふーっと息を吐く。
そして、すぐにスヤスヤと眠り始めた。
具体的な会話をしていないのに意思疎通ができることに驚愕する焔美。
「彼女さんもお疲れみたいっすね」
「彼女? いや、それは違うけど、綺羅子も体力はないからな。今日は彼女の力が必要とはいえ、無理をさせた。ゆっくりしてほしいよ(俺もクタクタなんだけど。誰か俺を労われよ馬鹿)」
まあ、疲れているのなら、多少は手助けしてやろう。
殊勝な良人はそう思った。
すっかり寝入った綺羅子を後で放り投げてたたき起こすことを、嬉々として計画しているが。
「彼女さんじゃないにしても、だとしたら随分と気にかけているっすね」
「幼馴染なんだ。大切な、ね(大切な生贄要員だ)」
「ほほー。うらやましいっすねー。ウチなんて、そんな大切に思える人はいないっすから」
軽く言う焔美だが、言っていることはなかなかヘビー。
良人、ここに突っ込んだら色々と面倒くさいと判断し、無視する。
焔美は、そもそも人好きのする性格だ。
誰にでも臆することなく気楽に話しかけることができる。
だが、隠木家の人間として、大切に思える人は作ってはいけないのだ。
裏に生き、影で暗躍する人間。
だからこそ、それを揺るがすような人は、作ってはいけないのだ。
「しかし、レクリエーションは大成功でしたね」
「は?(大失敗の間違いだろ)」
ガチで怪訝そうな声と顔をする良人。
「こうして、ウチと仲良くなれたじゃないっすか! よかったっすね」
「ははっ(ギャグかな?)」
彼の整った顔は愛想笑いも完璧である。
人の動向を伺うことにたけている焔美でさえも、気づかないほどなのだから。
「あ……」
そんな時、ポツポツと彼らの身体に水滴が当たり始める。
空を見れば、黒い雲が覆っていた。
「雨、っすね」
◆
「……濡れすぎて寒いわ」
雨のせいでビチョビチョに濡れた綺羅子が呟く。
とくに、彼女は背中などの背面が濡れている。
良人の背中でスヤスヤ眠っていたからである。
雨よけ(綺羅子)がいて助かったわ、とは彼の言である。
ブチ切れた綺羅子が彼のつま先を執拗に踏みつけたのは余談である。
すでに、彼女たちの姿は自衛隊の管理する建物にあった。
今は多くが訓練やダンジョンの警備を行っているため、ほとんど人はいない。
もともと、気が優れない学生が少しの間滞在できるような、簡素な建物であった。
そして、すでに良人の姿はない。
一足先にお風呂に直行しているのである。
「うぅ……ウチもビチョビチョっす……」
そう言う焔美は、やはり姿は見えないので、何もない場所に水たまりができている。
彼女の特殊能力のことを知らなければ、普通に怖かった。
「隠木さんは、透明化ですり抜けることはできないんですか?」
「透過と透明化は違うっすよ。ウチの場合、見えづらくすることはできても、すり抜けることはできないっす」
「そうなんですね(出来損ないの幽霊みたいね)」
めちゃくちゃ失礼なことを考える綺羅子であるが、表面はニコニコとしているので気づかない。
彼女の面の厚さはかなりのものである。
少なくとも、人の内面を見抜く観察能力が高い焔美をしても、まったく気づかせることはなかった。
「とりあえず、お風呂に入りたいっす」
「そうなんですね。じゃあ、私もそうしようかしら」
「あ、じゃあ一緒に行きましょう! ガールズトークっすよ。梔子さんとの関係を教えてくださいっす!」
「ただの幼なじみですよ(兼生贄要員ね)」
同じようなことを考えているところが、彼女たちの腐れ縁を強くしているのではないだろうか。
そのことに気づかず、一瞬嫌そうに顔を歪める綺羅子。
「ところで、隠木さんはお風呂の時も透明になっているんですか?」
「いやいや、さすがにそこでは解除するっすよ。本当はできる限り人に正体を見せたくないっすけど、黒蜜さんなら……いい、っすよ?」
可愛らしい声音で言う。
しかし、姿が見えないからあまりそそられないし、そもそも同性である綺羅子はまったく心が揺らがない。
「私にそっちの気はありませんよ」
「ウチもっす」
けろっと声音を変える焔美。
じゃあしょうもないことをするな。
綺羅子は内心でいらだった。
「あ、でも浴場がどこか聞いていなかったっすね」
「それなら、私と良人で聞いておきましたよ。こっちです」
「おー、助かるっす。鬼の時からそうっすけど、至れり尽くせりっすねぇ」
スタスタと廊下を歩く綺羅子の後を追う。
彼女の言う通り、すぐに浴場にたどり着いた。
もちろん、旅館やホテルのような豪華なものではないが、冷えた身体を温めるだけなら十分だ。
大勢の人が入れるように、脱衣室は広かった。
「じゃあ、早く脱衣してお風呂に……」
「準備ができましたので、先に行きますね」
「はやっ!?」
ギョッとして見れば、すでに綺羅子は制服を脱ぎ去り、身体の前面をタオルで覆って歩き出していた。
彼女が横を通り過ぎる際に、改めてじっと観察する。
綺麗な黒髪は、あまり長くはなく、肩にかかるくらいに切りそろえられている。
しかし、雨でぬれたそこは、艶やかに輝いていて、同性だからこそなおさら美しく感じられた。
整った顔つきは言わずもがな、スタイルも均整の取れた美しいものだ。
凹凸は乏しいかもしれないが、スラリとしていてモデル体型。
ある意味正反対の、凹凸がはっきりとしたスタイルの焔美は、どこか羨ましく感じていた。
そんな彼女が、スタスタと歩き、先に浴場に入って行った。
「ま、まあ、ウチの正体を見られる心づもりができていなかったから、別にいいっすけど……。そんなに興味ないっすか? 結構大きい秘密だと思うっすけど……」
ちょっとショックだったのが、自分が透明化を解除すると宣言していたにもかかわらず、一切注意を払うことなく浴場に向かったことである。
いや、分かる。
寒いのは分かるし、早く温まりたいのもわかる。
しかし、ちょっと立ち止まって確認するくらいはしないだろうか?
当然だが、自分が身に着けていないものは、透明化は解除される。
脱ぎ捨てられた制服は、その姿を現す。
綺羅子が置いていったものよりはるかに大きなブラなども置かれると、焔美は透明化を解除した。
「よし、準備オーケー! 黒蜜さん、仲良くお話ししましょうっす!」
ガラガラと音を立てて浴場に入る。
すでに温かいお湯で満たされている大浴場なので、湯気で見えづらい。
ピチャピチャと濡れた地面を踏みしめながら歩く。
お湯に浸かっている人影が、二つ見えた。
よし、彼女の元へ向かおう。
……二つの人影?
「ええ、私だけじゃありませんけど、構いませんよね?」
「……んん?」
綺羅子の声。
彼女がいるのは確かだが、もう一人はいったい誰だ?
目を凝らし……そこにいた人物に驚愕する。
「えーと……俺が悲鳴を上げたらいいのか?」
頬を引きつらせ、温かいお湯に浸かっているにもかかわらず、顔を青ざめさせているのは良人だった。
その隣で、綺羅子は蕩けるような表情でお湯に浸かっている。
何リラックスしてんだ、この女。
どうして男がここにいるんだ。
色々な感情で、焔美は頭がいっぱいになる。
「はふぅ……」
暢気なため息を漏らしている綺羅子。
実をいうと、彼女が良人とお風呂に入るというのは、それほど珍しいことではないのだ。
綺羅子の特異な事情もあり、いつも逃げ出して彼のところに飛び込んでいっていた。
めちゃくちゃ嫌がられていたが、彼女自身も嫌々だからセーフ。
つまり、綺羅子としては、いつも通りの動きしかしていないのである。
そこに焔美という部外者が乱入してきたことが、色々と問題になるのだが。
混浴でも何とも思わないのは、二人がお互いのことを空気のような存在だと思っているからだろう。
お互いに奈落の底に落とし合おうとするくせに。
性欲を完璧に支配下に置いている二人がそういった目を向けることはないし、何とも思わない。
もちろん、その域に焔美は達していない。
いくら隠木家という特異な家で生まれ育ったとはいえ、彼女は思春期の女子なのである。
数百年生きた怪物のような精神状態の二人がおかしいのだ。
「……いや、悲鳴はウチが出すっす」
「えぇ……?」
とっさに悲鳴を上げなかったのは、焔美のプライドか。
確かに大きな要因となったのは、良人がまったくもって情欲に濡れた目で自分を見てこなかったことだろう。
焔美は、透明化を解除している。
彼女本来の姿が、良人の前にさらされているのだ。
非常に長い黒髪は、臀部を覆い隠して余りあるほどだ。
前髪も長く、彼女の目は完全に隠れたメカクレ状態である。
身長はそれほど高くないが、身体の凹凸がかなりはっきりしている。
少なくとも、つい先日まで中学生だったとは思えないほど。
そして、そんな彼女は、ここには綺羅子しかいないと油断しきっていたため、隠すことを一切していない。
ありのままの姿をさらしているのである。
思春期の少年少女にとって、異性の裸体なんてどれほどの魅力があるだろうか?
それも、かなり整った容姿だとしたら。
目を大きく見開いて凝視するに違いない。
加えて、焔美は普段姿を完全に透明化させているので、そういった意味での魅力もあった。
「…………」
だというのに、目の前の男は心底嫌そうな顔をしているのである。
人の裸体を見て嫌そうにするとは何事か。
羞恥とか以前に、強い怒りがわいてくる。
しかし、良人からすれば、見たくもないものを見せられている感覚である。
そもそも、この男は思春期にも関わらず、性欲を完全に支配下に置いているメンタルお化けだ。
性欲の暴走で人生の取り返しのつかないミスなんて、絶対に唾棄すべきことだ。
よって、今の良人の頭にあるのは、どうやって自分の評価を下げずにこの場を切り抜けられるかというだけである。
焔美に劣情を抱いたり彼女とお近づきになりたいなんてことは、微塵も考えていなかった。
「ふー、いいお湯ね」
「これ、お前のせいだからな」
まったく気にせず、肩が触れ合うほどの距離でリラックスしている綺羅子を睨みつける良人であった。




