第14話 鬼
「まだですかね……」
男の教師が、浦住の隣で心配そうにつぶやいている。
ダンジョン体験のレクリエーション。
毎年恒例の、新入生が魔物の怖さを体験する、一種の洗礼だ。
今年も順調に進んでいき、ほぼすべての生徒がダンジョンから戻ってきていた。
そう、一組のグループを除いて。
それが、あの有名な隠木家の娘と、入学前から日本中で有名になった駆け落ちカップルである。
「今更何を怖気づいているんですか、先生。こういうことをしていたら、不測の事態も起きるでしょう」
「いやいや! 実際に起きたらダメなんですよ! 私たちの首が本当に飛びますよ!」
「それは困りますね」
「他人事!?」
驚愕する同僚に、浦住は視線を向けない。
もちろん、彼女もこの職を失うわけにはいかない。
浦住にも、人生の夢というか、目的もあるのだから。
だから、殺されるのはもはや論外である。
それは、絶対に避けなければならないことだ。
「想定時間になりました。すぐに自衛隊がダンジョンに入り、救出作戦を行います。万が一のため、学生の皆さんと共に避難してください」
「す、すみません。よろしくお願いします」
浦住たちに話しかけてきたのは、自衛隊の男だ。
彼らが管理するダンジョンなのだから、当然出張ってくるだろう。
多くの自衛隊員は、装備を整えている。
それは、まさしく戦争に、紛争地帯に向かう臨戦態勢であった。
同僚は頭を下げているが、浦住は気だるそうに手を上げる。
「あー、面倒くさいけど、あたしも行きましょうか? そこそこ戦闘では役に立つと思いますが」
自衛隊は優秀だ。
あの魔物が氾濫した大事変。
世界中のいくつもの国が滅んだ大事件も、彼らは多大な犠牲を払いつつ国民を守り、日本という国家を守り抜いたのだから。
そんな自衛隊に、浦住はそう売り込んだ。
それは、彼女自身がそれほどの能力を持っていると暗に伝えることだった。
「連携が取れなくなるからご遠慮ください……と言いたいところですが、特殊能力開発学園の教諭であれば、我々よりも強いでしょう。我々がどうしようもない魔物が現れた時のため、ご同行いただけますか?」
訓練された部隊の中に異物を紛れ込ませるのは、むしろ不利益である。
鍛えられた軍人が力を発揮できず、魔物に飲まれることになりかねない。
警察官や他の部隊の自衛官などの鍛えられた者が名乗り出ても、彼は拒否していただろう。
しかし、特殊能力開発学園の教諭は別だ。
彼らは皆等しく優秀。
調子にのった、出来立てほやほやの特殊能力者を相手取り、導かなければならないのだから。
「分かりました。……これであたしの首は飛ばないな」
「!?」
唖然とこちらを見る同僚。
気だるそうな表情のまま見返す浦住。
沈黙が痛かった。
「よし、素早く準備をしろ! 学生を助けに行くぞ!」
自衛官たちが慌ただしく動き出す。
彼らはダンジョンを管理しているからこそ、ダンジョンの恐ろしさを正確に理解している。
ここから先は、戦場である。
この救出作戦でどれだけの犠牲が出るか分からない。
しかし、未来のある子供たちを、守るべき国民を救うため、彼らは決死の覚悟でダンジョンに赴こうとして……。
「いやー、その必要はないっすよ」
「なっ!? ど、どこから……?」
突然聞こえた声に、自衛官や同僚の男が慌てて周囲を見渡す。
しかし、そこに自分たち以外の人間はいない。
浦住は頭の中に入っていた、こういうことができる特殊能力持ちの名前を言った。
「あー、隠木か?」
「そうっす。戻ってきたっす」
朗らかな声音の焔美。
苦しそうで疲弊している様子でもないので、本当に無事なのだろう。
だが、彼女は3人グループで行動していた。
今は、焔美しかいない。
「お前だけか?」
「いやいや、もちろんそんなことないっすよ。ほら、二人の英雄のご帰還っすよ!」
焔美は、なぜか誇らしげな声音である。
彼女の言葉に誘導されてダンジョンの入り口を見ると、ゆっくりと歩いてくる二つの人影があった。
それは、まさしく焔美と共に行動していた駆け落ちカップル、梔子 良人と黒蜜 綺羅子であった。
「戻りました」
「遅くなったみたいで、申し訳ありません」
二人も大きなけがを負っている様子はない。
焔美と違って多少疲れは見せているが、小さなころから特殊能力と共に鍛えられていた隠木家の娘と一般人を一緒にするのはできないだろう。
浦住は尋ねる。
「まあ、確かに遅かったな。何があったんだ?」
「魔物に襲われまして……」
「慣れていない戦闘になったので、遅れてしまいましたわ……」
ザワザワとどよめきが起きる。
魔物と遭遇するようにはしているが、襲われないように細心の注意が払われていたはずだ。
それが覆されたということ。
そして、魔物に襲われたにもかかわらず、初陣であろう二人に大きな傷などが見受けられないことが衝撃的だった。
一方で、浦住は気だるそうな表情を崩さないが。
「(なに平然としてんだ、このクソ教師!)」
「(こいつら全員文科省と教育委員会とマスコミにチクってやりましょう!)」
内心魔物と遭遇して戦わされたということで、怒り狂っている二人である。
的確に教師がされたら面倒くさいことを選んでいるところが狡い。
「襲われた? まさかそんな……」
「……それで、倒したのか?」
信じられないと言う同僚。
浦住は真偽を確かめるように、じっと隈の濃い目で二人を見る。
「ええ、まあ。俺のおかげ……」
胸をそらして口を開いた良人の足先に、綺羅子のかかとがねじ込まれる!
「お、俺と綺羅子、そして隠木の力を合わせて、なんとか……」
「そうか」
プルプルと震える良人。
初めて魔物と遭遇し、しかも戦えばこうなることは当たり前だ。
むしろ、勝って無傷で戻ってきたことを賞賛されるべきだろう。
実際は痛みにもだえ苦しんでいるだけだが。
ニコニコと隣で笑う綺羅子には気づかなかったようだ。
「私は初めて魔物を見たけど、あんまり大したことのない魔物だったのね」
「だな。俺たちでも倒せたし」
綺羅子と良人が会話する。
のど元過ぎればなんとやら。
二人はさっそく恐怖を忘れていた。
ろくに鍛えていない自分たちでも倒せる程度の魔物だったのだ。
しょせん、見掛け倒しだったのだろうと判断する。
「そうなのか。だとしたら、少しほっとするな……」
「……いや、そんな生易しい魔物じゃなかったっすけど」
「隠木、こいつらが倒した魔物は何だ?」
苦笑の混じった声音で焔美が言う。
ほっとしていた同僚を差し置き、浦住が尋ねると、彼女は喜色をにじませながら答えた。
「鬼っす」
「……なんだと?」
「鬼っす。正真正銘の鬼。ウチと白峰のお坊ちゃん以外だったら、たぶんぶっ殺されていたんじゃないっすかね?」
けろっと言う焔美。
しかし、周囲は唖然とする。
鬼。
その魔物の名は、非常に悪名高く有名だ。
多くの国を滅ぼした際、先頭に立って猛威を振るったのが鬼だ。
生半可な武器では傷つけることすらできず、人外の怪力で人や建造物を粉々に破壊する悪魔。
焔美の言う通り、小さなころから特殊能力に触れて鍛えていなければ、太刀打ちできない。
先ほど救出作戦に向かおうとしていた部隊だが、その3割は命を落としていただろう。
そんな化け物を、最近特殊能力が発現したばかりの子供が、倒した?
「お、おおお鬼を倒したぁ!?」
大きな騒動になる。
……あれ、これなかなかやばいことをしてしまったのではないか?
悪目立ちするのは大嫌いな良人と綺羅子は、お互いをちらりと見て……。
「ええ、綺羅子が」
「ええ、良人が」
「「(何面倒事を押し付けようとしてんだ!!)」」
誰にも見えない位置でつねり合う二人。
お互い涙目である。
「鬼を、ねぇ……」
お互いを痛めつけることで精いっぱいだったため、自分たちを見て意味深そうにつぶやく浦住には気づかないのであった。
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