第118話 優しい抱擁
「ぐぇぇぇ……。疲れた……」
「私もよ……」
寮のベッドにうつぶせで倒れ込むと、その背中に綺羅子もうつぶせで倒れ込んできた。
凄い……硬い……。
甘い匂いはしても、硬い……。
普通、こういうときって『柔らかい……(ドキ)』みたいな反応をするんじゃないの?
まあ、疲れ切っていたので、このことを突っ込む余裕もなかった。
今から綺羅子と取っ組み合いなんて、できるはずもない。
こそばゆい吐息を首筋に感じながら、ぐったりとする。
おい、暇だからって首を甘噛みしてくんな。
「まさか、こんな事態になるとはな。もう頭破裂しそう」
『扉を直せたのはさすがだよ。ありがとう、本当に』
寄生虫……もとい、藍田の声。
こいつの要望通り、俺はダンジョンに赴いて、荘厳な扉を【現実改変】で修復した。
激痛で悲鳴を上げながらぶっ倒れた。
護衛として来ていた浦住に抱えて逃げてもらわなければ、命を落としていただろう。
他人のためなら決してそこまでのことはしないのだが……。
「まあ、お前のためというより、完全に俺のためだわ。あそこ開いたままだったら、マジであの化け物レベルの奴が絶え間なく出てくるってことだろ? 無理だわ。死ぬわ。なんで勝てたのかもわからんのに」
尖兵の悪魔だっけか?
あんな化物がまたぞろぞろとやってきたら、平行世界に逃げるどころの話じゃない。
とりあえず、扉を修復して化け物の援軍が来ないようにしつつ、平行世界への逃亡を計画するつもりである。
「本当、何で勝てたのかしら?」
俺の肩に頭をガンガンぶつけてくる綺羅子。
なんで地味に俺にダメージを与えようとしてんの?
あと、重たい。
さっさと俺の上からどけ。
「知らねえ。目が覚めたら廃人になってたし。自動発動の能力でよかったわ」
「無敵じゃない」
「嫌だよ、何回も死ぬの。たまたま苦痛を味わわないで死んでるけど、そろそろそれも無理だろ」
自分でも幸運だと思っている。
死ぬときに、それほど苦痛を味わったことがない。
もしそれだけの痛みがあれば、俺はここまで平常通りではいられなかっただろう。
つまり、一瞬で俺を殺せるような相手とばかり戦っているということだ。
ばかばかしい。ふざけんな。
どっちにしろ嫌だわ。
『それにしても、本当に人の命が戻ってよかったね』
「いや、戻ったって言っても、隠木たちだけだろ。他の犠牲者は生き返ってないぞ」
藍田の言う通り、あの化け物に殺されたはずの隠木や浦住など、クラスメイトたちは生き返っていた。
間違いなく、俺の【現実改変】だろう。
無意識のうちに発動していたらしい。
何勝手にやってんだ。
頭が破裂したように痛いわけだ。
これだけ苦しいのであれば、別に生き返ってもらわなくてもよかったのに……。
とはいえ、さすがに自衛隊員や特殊能力者など、他の戦死者には発動されなかった。
まあ、大騒ぎになるだろうしな。
化け物の近くに生存者がいなかったからこそ、今回は騒ぎになっていないのだ。
死亡が確認された人たちが平然と生き返れば、どういうことかと事態を調べるに違いない。
そして、万が一俺の関与がばれてしまえば……。
モルモット不可避である。
嫌じゃ嫌じゃ。そんな実験動物になりとうない!
『頑張ってみる?』
「無理。頭破裂する」
捕まって実験されるというよりも、それ以前の副作用が怖い。
それだけ多くの人を一気に生き返らせたら、頭がパーンとなりそう。
そんなことを藍田と喋っていると、上に乗っかってくる綺羅子がグリグリと額をこすりつけてくる。
「もういいわよ、そこまでしなくて。私たち、いっぱい頑張ったんだし、ちょっとはゆっくりさせてもらいましょうよ」
「それはそうだよな」
そう、俺たちは頑張ったんだ。
少しくらい、休憩させてもらっても文句は誰も言えないだろう。
言った奴は殺す。
目を閉じようとしていると、ふと面白いことを思い出したので、綺羅子に伝えてやる。
「……でも、そういや厳寒が死んだって聞いたんだけど」
「……マジ?」
「マジ」
紫閣 厳寒。
英雄七家筆頭の紫閣家の当主が、今回の騒動で命を落とした。
まあ、英雄七家は現在の日本で特権階級だし、こういう時こそ戦わなければ、人々からの批判は免れない。
だから、それぞれの当主が前に出ていたようだが……。
といっても、前線とはいえしっかりと多くの護衛に守られながらだったようだが。
しかし、あの渦の魔物が現れ、平行世界からやってきた今までにない強力な魔物が突然瞬間移動して襲い掛かってきたこともあって、その混乱の中で命を落としたようだ。
とくに、それらが現れた時は、魔物を押し返せそうになっていた時だったから、格好いい姿を見せようと指揮をしていたようだ。
もしかしたら、あの化け物の強烈な爆発で、甲部隊と共に消滅したのかもしれない。
まあ、何にせよ、現当主がいなくなった以上、次の当主が求められる。
そして、それは生前正式に最有力候補だと明言されていた、俺の上で顔を真っ白にしている綺羅子である。
俺は優しく彼女を抱擁し、ささやく。
「頑張れよ、紫閣家御当主様♡」
「嫌よ!! 何があっても絶対に嫌!!」
暴れるな暴れるな。
はっはっはっ。
「でも、お前しか適格者いないじゃん。厳寒が何か仕掛けていたら、もう逃げられないだろうなあ」
「国外……ダンジョン……」
『平行世界に逃げるっていうのも、一つの案かもね』
「どんな案だよ」
俺は逃げるけど綺羅子が逃げることは許さん。
俺だけ悠々自適に過ごして、綺羅子だけが地獄を見てほしい。
これ、変わらない。
『知性ある魔物を倒してくれた君に言うのもちょっとあれなんだけど、ああいうのがまだほかにもいるし、あれのボスもいるんだ』
「……で?」
何か藍田が不穏なことを言い始める。
『正直、大元を断たない限り、また今回みたいなことが起きると思う。同じことの繰り返し、しかも先制攻撃ばかり仕掛けられるのは、じり貧だしいつまで経っても終わらないよね』
「誰かやってくれるだろ」
「そうそう、誰かやってくれるわよ」
俺と綺羅子は一致団結して答える。
他力本願。
俺の座右の銘にしよう。
とてもいい言葉だ。
『……君たちって割と不幸体質だから、そう簡単にうまくいかないと思うんだよねえ』
余計なことを言う寄生虫め。
扉の修復という主目的が果たせたんだから、さっさと俺の中から出て行くか消滅してほしい。
しかし、眠い。
眠くてたまらない。
ここ最近は、ありえないくらい勤勉に働いたからな。
一刻も早く休養が必要だ。
「とりあえず、もう寝るか」
「現実逃避ね。好きだわ」
さっさと出て行けと、綺羅子に言う力も残っていなかった。
魔物の大氾濫。
知性ある魔物との死闘。
平行世界からの侵略者を防ぐための扉の修復。
死んだクラスメイトたちの復活。
……色々ありすぎだろ。
俺、マジで頑張りすぎじゃない?
とにかく、もう寝よう。
こうして、俺と綺羅子は、もう何をされても決して起きないほど深い眠りに落ちて行くのであった。
◆
『しかし、あの異常な世界は何だったんだろう……』
藍田は二人が寝てから、ポツリと呟いた。
彼は、尖兵の悪魔が引きずり込まれた、あの悍ましい世界をのぞき見していた。
恐ろしくてたまらない。
あの倫理も道徳も、そして常識すらも通用しない世界は何だったのか。
あれは、良人の中に広がる世界なのか?
それとも、特殊能力【現実改変】に関係するものなのか?
あの世界の住人たちは、良人の味方なのか?
しかし、言動を聞いていれば、良人が何とか抑え込んでいるような世界にも見受けられた。
憎い知性ある魔物とはいえ、見ていられなくなって世界から逃げようとしたとき、藍田は心の底から恐怖を覚えた。
『あいつら、僕のことも認識していたよね』
あの世界の住人たちが、一斉に無表情で藍田を見ていた。
喜怒哀楽、どの感情も浮かんでいなかった。
観察である。
実験動物が投薬されて、どのような反応をしているのかを確認する化学者かのような。
『……梔子 良人。君は、いったい何者なんだ?』
それに応えてくれる人は、誰もいなかった。
なにせ、良人すらもまったく理解していないのだから。
次回で最終話となります。




