022、拉致未遂事件
買い物を終えた頃、ユリシスがむずがった。
「おやおや、どうしたどうしたマイ・エンジェル」
前抱っこしたまま揺すっても効果なし。
まんまの時間か、ミルクか? うーん、おっぱいはマリアさんに貰って直ぐにお暇したから、まだだと思う。
おしめかもと、【母子手帳】で確認。
『健康・起きたて・悪臭不快・おもらし(小)』
やっぱりオムツだ。
しかし悪臭不快って何だろうな……市場の雑臭が不快ってことか……まさか……私か? 私が臭いのか?!
「あーマジでかユリシス、お姉ちゃん臭かったんかあぁ……」
ちょっと涙目になりながら市場の片隅、材木が積み上がっているところが広くて良さげだったので、その上にパンダ籠inユリシスを置く。
ここで、さっさと替えてしまおう。
前世だと買い物するスーパーには必ずオムツ台のある場所があり、デパートやショッピングモールだと授乳室やベビールームもあったものだが、今世ではそんな気の利いた場所は見つからない。
臨機応変に、その辺でするという結論に落ち着いたのは必然だろう。それでも人目を避けて物陰へと移動。
この時、私はかなり焦っていたのだろう。【安全安眠】な絶対安全フィールドを張るのを忘れていた。
替えのおしめを出し、お股を清め……とやっていたら、ドサッ、ガラガラガラガラ────大きな音が背後でした。
ビクッと後ろを振り向いたところ、こっちに向けて長い板材が幾数も倒れて来るではないか──!?
「びゃー!!!!」
このままでは当たってしまう。板材は長いので、私まで届きそうなのだ。
避けよう、ユリシスを連れて──と、ユリシスを抱えようとした時、目の前にいたはずのユリシスが消えた。
「ひえ?! わわわ、ユリシス攫われた……! 待てコンニャロおおぉぉ」
【悪意感知】がブッブーブッブー鳴る。今頃に鳴っても遅い。犯人はベビー籠を持って足早に逃げ去っている。
急いで目、耳、鼻を【五感増強】する。
目耳はピューマのように数百メートル先の獲物を見逃さない視力と聴力を、鼻はクマのように獲物へと執着するよう魔法を発動。
攫われたユリシスを目耳鼻で追う。目はずっと犯人を視界に捉え、耳は犯人の足音を、鼻はユリシスのおもらし臭を逃さない。
倒れてきた木材は、幾本かが己の体に当たってしまったが、大凡は回避できた。でも、その間に犯人は遠くへ逃げてしまう。
「ユリシス、ユリシス……!」
折角、目鼻耳で追えているのに拐かし犯に追いつかない。私、鈍足すぎ。体痛い。おかしいなあ【身体強化】しているのになあ。それに輪をかけて足が遅いということだろうか……。
そういや前世の私は運動音痴だった。能力は上がっても体の動かし方を知らないということかも。
ポンコツか私?!
涙目になった頃、逃げる犯人が何かに弾かれて転んだ。
すってんころりん。
その拍子にユリシスの入ったパンダ型ベビー籠が宙を舞う。
「んぎゃー! ユリシスうううう」
私が叫ぶと同時、地面に落ちる前に、ベビー籠ごとユリシスを受け止めてくれる人がいた。
「無事かのお、お嬢ちゃん」
その人は白金の髪を靡かせ、颯爽と現れた。
私に近づき、ユリシス入りベビー籠を渡してくれる。
「あ、あ、ありがとうございましゅ……」
きょとんとしているユリシスを抱き締めた。自分の身に何が起きたか分かってない顔だねユリシス。いいんだ。それでいい。ユリシス自身は怖い思いをしなかったということだから……。
「追いかけて来て正解じゃったわい。まさか拐かされておるとはのう……て、お嬢ちゃん、怪我をしておるではないか……!」
肩あたりが痛いなあとは思うけど、そんなに目に見えて驚くほどの怪我だったのだろうか?
手当てしてくれようとしているのか、目の前に屈んだ人は……どうやら男性、大人の男の人で、若者だ。
若く見えるのに、何故にお爺ちゃん口調なのだ?
そのことが気になって彼を見詰めている間に、怪我が治った。
肩や腕、それと頬にも傷があったらしく、そこを撫でられ、数瞬後には傷口が塞がる。
これは治療の魔法だ。治療院に行った時に少し垣間見えたので知っている。
この人は治癒術師なのだろうか? ここまで瞬間的に治せるとは相当腕が良い人だ。
「ふむ、これでいいかの。本職ではないからのう……うまいことできておらなんだら、すまんの。明日、治療院に行くじゃろ。ついでに診てもらうと良いぞ」
んんん? 明日、治療院へ行くことを、どうしてこの人が知っているのだ?
「あ、あの」
「うむ、取り敢えず移動しようかの。人が集まって来よったわい」
そう言って、私を抱っこする男性。
私……まだユリシスを抱っこしたままなのだけど……。
彼は、片腕でユリシスごと私の体を持ち上げ、もう片方の腕にベビー籠を提げて、歩き出してしまった。
確かに、騒ぎを起こしてしまったからか、野次馬が集まってしまっている。市場の人たちだろう。さっき買い物した芋煮屋台のおばさんや穀物屋のおじさんまで見学に来ているではないか──!
恥ずかしい。
自然と顔面を隠した。やめて。見ないで。私より可愛いユリシス見て欲しい。天使だから。うちの子やばエンジェルだから。
彼の肩に顔を伏せたまま、私は馬車に乗せられた。
…………あれ? この馬車はラグお爺ちゃんの馬車じゃないか? 治療院への往復に乗せてもらったから、覚えている。
ということは、何か。ユリシスを助け、私をここまで運んで来てくれたあの若者は、ラグお爺ちゃんの知り合いなのだろうか……?
私を馬車の座席に座らせた後、また馬車から降りて、何やら外に居る人達と会話している彼は……何者だろうね。
聞き耳を立ててみるけど細かい会話は聞き取れない。多分、ユリシスを攫ったやつを捕まえたから、それをどうしようかって内容だと思う。
ユリシスは……どうして攫われたのだろう?
珍しいエルフの子ではあるけれど、パッと見でエルフだと見抜いて、即、攫おうとするだろうか?
前から狙っていたとしか思えない……。
もしかして私、気軽に市場を歩いていたの、不味かったのかもしれない……! と、今更ながら己の迂闊さに血の気が引いた。
この世界、エルフは少数民族だ。齢五歳児の私の知識でも、エルフは希少種で友好国でしか見かけない種族だと知っている。
この国だと、エルフの貴族がいるくらいエルフ族とは友好的だ。そのツテで一般エルフが遊びに来ていても不思議では無い。
ただし、珍しい種族を攫って売る悪い輩もいるらしいので、渡航は注意した方がいいと思うけど……。
ユリシスは、そういう悪いやつらに狙われてしまったのだろうか……?
こ、これは、気を引き締めねば……!




