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短編置場  作者: もり
4/5

かてきん!

「リラクマ・クリスティ?」

 オリジナリティもパワーワードもへったくれもない、どこかで聞いたことのあるようなV系バンド調の微妙なフレーズが耳をつく。

 しかもサン◯オなるファンシーメーカー臭が爆発寸前。かわいいクマさんのキャラがチラリ見え隠れしているとくれば、はっきり言ってしまえば却下するしかない。

 ボクはそう考えながらも部活ノートに箇条書きで一行記した。

 軽音楽部の部室である第三音楽準備室と入り口に掲げられた、防音設備が整っているだけの倉庫。ここにこもって一時間と十三分三十八秒。ボクとミカ、二人だけの『バンド名決定会議』と銘打った密談めいた放課後はどうにも混沌じみてきていた。

 ミカはボクたちのバンドのフロントマン、いやフロントウーマンで紅一点。彼女の両親が清らかであらんことを願って名づけたであろう清子(きよこ)って安直で古くさい名前が好きではないらしく、バンドメンバーには名字の三上を捩ってミカと呼ばせていた。


「キスなんてオシャレじゃない?」

 チュッって感じのフレンチなキッスは似合いそうもない彼女の腫れぼったく潤んだ唇から不適切発言が躍り出た。

 男女混成バンドはたいてい男と女のただれた関係の下地になってしまうのは、多くの先輩ミュージシャンたちが証明してくれている(偏見)。

 証拠というべきか彼女の元カレはドラムのアツシで、今カレはベースのナベチャンだ。ついでにその前に付き合っていた人っていうのがボクではなく、元学年主任で現在謹慎処分中の中田司(なかだつかさ)先生だ。

 なので彼女の言うキスは、オシャレっぽいわけではなく、かと言って宇宙からの使者をコンセプトにしたアメリカの某有名ロックバンドともほど遠い。どうしてもあんなことやこんなことなど生々しいできごとをかりたててしまう。

 一応これもノートにメモってみたものの、マイ選択肢からソッコーで外す。

 ボクは語尾に小さいバツ印を付けた。


「H JAPANってのはさすがにパクリかー」

 またしても生々しいワードがきた。生牡蠣や生ツブレベルだ。わざとなのだろうか。ボクを誘惑しているのだろうか。パクリって今ごろ言っちゃう?

 パクリ元はお笑い芸人のみつまJAPANではなく、日本人ならみんな知っている某大物V系バンドだってことは明らかだった。しかも元ネタの『X』はギリシア文字で『カイ』と読む。まさしく貝だ。みずみずしくヌメリ気を帯びた貝だ。ミカがそこまで単語のウラを考えているのかは気になるところだけど、だとしたらHはボクの想像しているHの他にハマグリの意味合いもあるのかもしれない。

 ボクは抵抗を感じつつもノートに一行をたして、再びバツ印をつけた。


「古風に同棲時代はどうかなー。フォークバンドみたいでよくない?」

 ミカとナベチャンは卒業したら同棲するなんてケッタイな約束をしたらしい。だから彼女の言うフォークバンド風をよそおったり、ジャニーズ風味にカッコつけて『DoSay JIDAI』と表記にしたりしようが、そんなもんをバンド名にするってのは安直すぎるし、関係ないボクにとって彼女の発想が自己中すぎるとしか思えない。

 なによりフラれたくせにまだミカのことが好きで、彼女がトイレに行った矢先にカバンを物色してしまう元カレのアツシがかわいそすぎるし、ギターはバンドの花形であり女に一番モテるパートだってのに(偏見)、バンド内で唯一ミカとしっぽりとした関係を築いておらず、やむなくアツシと一緒に物色しているボクが空気すぎる。

 ちなみにナベチャンも物色している。まあそこはカレシなのだから当然か。

「同棲したら長続きしないからやめとけ」とは22歳になるボクのお兄ちゃんの言葉だ。ニキビ面でブサイクでつい最近まで童貞だったくせに、同棲した途端、上から目線の態度をとるお兄ちゃんがカンに障るしハナにつく。ふられて久しぶりに家に帰ってきたときはざまあみろと心から思った。

 だけどボクは密かにお兄ちゃんのその言葉だけは信じることにしている。と言うより縋っていた。縋りまくっていた。

 部活中、ミカがトイレに行っているあいだだけのささやかな、それでいて貴重な時間、残った男子メンバー三人でリコーダーの所有権をめぐり激しい口論になったことがあった。そのときボクは気づいてしまった。ミカのことが好きってことに。今、彼女は他の男のものだ。仕方がない。だけどリコーダーだけは誰にも渡したくない。本気だった。

 そんなわけでこの『同棲時代』も同意できない。それでもボクは部活ノートに滞りつつ綴る。棲の字がよくわからないこともボクの抵抗感を後押ししてくれた。

 そのかわりと言っては何だが、バツ印はものすごくスムーズに書けた。

 

「アンタもなんか考えなさいよー」

 対面に座っていたミカが身を乗り出してきた。

 同時にタラコよりも辛子明太子に近い厚い唇が近づく。ボクはその唇に自分の唇をかさねて、むしゃぶりつきたくなる。

 前かがみになった少し開いたムナモト。ボクはミカに気づかれないように覗きこむ。長時間視線を釘づけたい欲求をぐっとこらえながら、何度もいかにもムナモトを見てない風をよそおう。

 残念なことに見たいものはなかなか見えない。ラッキーなんてそうそう転がっているわけではないし、かりに転がっていたとしても見つけられる保証なんてない。そういう経験は貴重である。そして貴重だからこそ尊いのだ。

 ミカはボクの想い ──いやもう願いと言っても過言ではない── を知ってか知らずかノートを見ようとさらに顔をよせてきた。彼女の息を頬に感じた。グッジョブ。

 とたんにボクの回路は熱暴走をおこす。電圧上昇、電流増加。コンデンサーも膨張気味。

 パトスが行き場を失う。そして解放を求める。

 ボクは無意識に立ち上がり両腕を前へと差し出していた。ボクの無意識がボクに彼女を抱きしめさせようとしているのだ。

 買いかぶりかもしれない。けれどビッチなミカならボッチなボクでも受け入れてくれるんじゃないかなんて信頼みたいなものがあった。だけどこのままだとボクはナベちゃんからの怒りとアツシからのヒンシュクとを買ってしまうだろう。そうなるとバンドを追われかねない。それだけならまだいい。おおやけに広まって先生の耳に入ってしまったなら、不純異性交遊なるお題目で停学、坊主頭にされて自宅で反省文を書かされる羽目になってしまう。問題はその反省文だ。正直に『ムナモトがチラチラしてムラムラしたからついつい……』なんて文章は通用するはずもなく、それでも先生は事件の真実を残酷なまでに要求してくるであろう。嗚呼、なんたるパラドクス。いっそ退学になってしまったほうが楽かもしれないと思ってしまう。

 否、退学も考えものだ。

 高度経済成長期なら中卒は金の卵ともてはやされたときく。だけど今や長期経済停滞期。高校退学になった傷物の青年に社会は厳しいし冷たい。就職戦線は異状をきたし、やさぐれニート一直線。親から勘当されたボクは経済的社会的地位を失ってしまう。そんな人間の行きつく先なんてたかが知れている。アウトローの世界に足を踏み入れる。たぶんそれしかないのだ(偏見)。

 ミカとのハグやキス、あんなことやこんなことは確かに魅力的だ。しかし対価は己の人生。正直つりあわない。

 ボクはショート寸前の理性で必死に抑えこむ。なのにミカはボクの苦悩と煩悩とを知ってか知らずか、ボクシングだったならガッチガチのインファイターのごとき至近距離で、某大手ハンバーガーチェーンのメニューにもあったスマイルなるものを向けてきた。ああ、プライスレス。

 その瞬間、ボクの頭の中では「今日、ボクは、大人になります」と自分の声で何度もリフレインしていた。

 

「おつかれーッス」

 戸ががらがらと音を立てて開いた。その音は思いのほか大きく感じて、ボクはビクっと動きが止まった。ミカはひょいっと振り返る。

 つかの間の情事が強制シャットダウンされる。あぶなかった。あやうく路頭に迷うところだった。

 生徒会と委員会を終えたアツシとナベチャンがきたのだ。

「ミカ、トイレ大丈夫?」

 高校生のくせに某プロ野球チームの元オーナーによく似ているナベチャンは、ボクとは違いとても気遣いのできる男だ。

「んー、平気ー」

 なんだか新婚のようなノリの二人をアツシが凝視していた。いたたまれない。

「ハイ、これ。おみやげ」

「んー、ありがとー」

 ナベチャンはミカに紙パックの烏龍茶をやさしく手わたした。お茶に含まれる成分、カテキンの利尿作用を利用しようという魂胆なのである。そしてこれは彼の常套手段であった。

 彼は気遣いのできる男である。

「バンド名も大事だけどさ。おまえのそのアーティスト名やめたほうがいいって」

 逆に気遣いのできない男、アツシがボクに指摘する。

「うんうん、そう思う。言いにくいし、なんか人前で言うの恥ずいもん」

 ミカが追随した。

 ボクは助けを求めるかのように、ナベチャンに視線を送った。

 彼は困ったように笑っていただけだった。気遣いのできる男である。


── ギター、ミヒャエル・シェンカー・タダシ。私の最愛の人です ──


 敬愛するギタリスト、マイケル・シェンカーにちなんだボクのかっこいい名前を、ステージ上でミカが紹介する。ちょっと照れくさい一言を添えて。

 頬どころか耳まで赤くするミカ。

 スポットライトの中、ボクたちはみつめあい、そして口移しでお互いのアドレサンスをわかちあう。

 そのときボクはしっかりと彼女のリコーダーを握っていることだろう。

 それがボクのささやかな夢であり目標だ。

 それまではこのくだらない、だけどちょっと居心地のよい軽音楽部を続けていこうと思う。


 ちなみに難航して座礁しかけていたバンド名はアツシの「カテキン様」という不用意な発言にヒヤヒヤさせられたものの、ナベチャンの「あのさ、ミカバンドでよくね?」とのパクリ臭がビシバシする一言であっさり決まった。

 ミカはホッとした様子でボクたち三人をおいてそそくさと部室を出て行く。

 ボクは彼女を目で追ったあと、誰にも気づかれないように小さく黙礼をした。

 カテキン様、今日もおつとめごくろうさまです。ご相伴にあずかります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました。 終始ニヤニヤしまくりでした。 ボクの妄想っぷり? 渦巻く思考? が見事に残念でかわいかったです。 高らかにコメディとうたうというより、真顔で淡々と繰り出される感じが…
[良い点] もり様は重厚な物語から軽快な物語まで守備範囲が非常に広いですね。羨ましい限りです。 青春のパトスが溢れる作品でした。 淫靡な中にあって溢れる知性を感じさせる掌編でもありました。 [気になる…
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