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彷徨のアリツィヤ  作者: 谷口由紀
第六章
30/50

 ――アリツィヤは、何故か、奇妙に落ち着いていた。

 まるで、それがあらかじめ知悉(ちしつ)していた、定められた筋書きであるかのように。


「どういうことなんだ、アリツィヤ!」


 その違和感に、たまらず誠は叫んでしまう。

 だが、アリツィヤは振り向かずに、虚空に向けて、こう言った。


「――王よ、わが主よ。私は御身を……お待ちしていました」


 なにもない空間、キアラの結界によって閉ざされたこの閉鎖空間に、アリツィヤの声は、ひどく場違いなものとして響いた。動揺する誠をよそに、アリツィヤは、戦いも、ありうべき混乱さえも放棄して、ただ、誰もいない筈の空間に呼びかけた。


 いちはやく平静を取り戻したのは、敵手であるルーカだった。

 かれは、ひとたびは消え去った炎の柱をふたたび召喚しながら、アリツィヤに強く問うた。

「魔女! さっきから何を言っているんだ!? 何の……誰の名を呼んでいるんだ!」


 だが、アリツィヤはルーカの詰問に答えようとはせぬまま、ただ、王よ、と呼び続けた。


 王。

 誠には、幾度か聞いた覚えのある言葉だった。アリツィヤのかつての主君。そして……ロートラウトを犠牲にして、アリツィヤを「完成者」たらしめた、すべての原因を作った者。


 だが、その者が、何故、いま、ここに。


 その疑問を解きうる者は、誠の知る限り、アリツィヤの他にはなかった。

 アリツィヤが、何度目かの呼びかけを終えたとき。

 遠く隔たった闇の中より、ひとつの騎影が浮かび上がってきた。


「あれが……」

 誠は呟いた。


 小雨の降りしきる闇の中、常人ならばけして破れぬはずの結界の中に、その影は茫洋と現れる。そして、誠達に騎首を向け、一音も発することなく、ゆっくりと迫る。


 ルーカは身構えている。キアラは地に膝を落としたまま、必死に詠唱を続けているが、もはや「楯」を新たに生成する余力はないようだ。


 誠は、必死にこれからの方策を探る。己の皮膚感覚と知識、そしてアリツィヤの豊富な魔術知識を、いっせいに総動員させる。だが、この異様な状況に対処するための有効な手立ては、まったく見つからなかった。


 アリツィヤから十メートルほども離れたところで、騎影は止まった。

 月明かりはなく、結界の外でまたたく街灯の光が、騎士の姿をおぼろに描き出す。


(こいつが……「王」か)

 誠の認識したその姿は、まさしく騎士の姿だった。強烈な違和感をもたらす、重厚な甲冑。身に纏う外套はぼろぼろに破れている。跨乗する騎馬は、一声のいななき声もあげず、ただ静かに主の重みを支えていた。この時代、この場所にはけして有り得ない筈の姿を、誠は凝視した。かれこそが、アリツィヤの主――。


 騎士は、ただ静かに佇んでいる。左腰に提げた長剣を抜くこともなく、(かぶと)目庇(まびさし)を通して、今し方まで戦っていた、アリツィヤとルーカの姿を見ているようだった。


 アリツィヤは、騎士に語りかける。

「……私は、御身のみ心を鎮めるために、これまで永らえて参りました」

 その言葉は、まるで老女の溜息のように、彼女の過ごした年月を感じさせた。


 騎士は返事をしない。


「御身は……血に、ひとの嘆きに、溺れておられました。私は、御身を……御身を、助けてさしあげたいのです」

 助けたい、とアリツィヤは言った。その響きは、誠の知らない彼女の思いが込められているようだった。だが、その言葉にさえも、騎士は答えなかった。


(……様子がおかしいぞ。あの騎士は、アリツィヤの言葉をまるで聞いていない)

 その思念を、誠はアリツィヤに伝えた。


(……ですが、私は、他に伝えるべき言葉を、術を、……知りません)

 アリツィヤの返した答えは、ひどくかたくなに思えた。


 敵か、味方か。アリツィヤの知己であれば……味方か。だが、あの騎士が現れたときに感じた根源的な恐怖は、かれが「敵」であることをありありと示していた。


 その感覚は、誠たちにとっての「敵」である、ルーカとキアラも感じているようだった。


 動かぬ情況に激しい苛立ちを示したルーカは、ただ一言、叫んだ。

「――横あいから邪魔をするな!」

 その言葉とともに、両脇に従えた火焔を、殺意と共に騎士に叩き付けた。


 暴れ狂う轟炎の二柱が、騎士を灼こうとする。

 だが、その炎は、騎士に辿り着くまえに、不意にかき消えた。

 一瞬後、その理由が明らかになる。ルーカの火焔は、騎士の眼前に展開した、あの漆黒の空間に「飲まれた」のだ。


「…………!」

 一瞬、絶句するルーカ。だが、かれはひるむ事なく次なる火焔を放つ。球形の火焔は、騎士の眼前で大きく炸裂し、その全身を灼くかに思われた。が、それすらも効きはしなかった。同様の漆黒が、騎士の全身を一瞬にして包んでいた。


 さしたる反応も見せぬまま、騎士は身に纏った暗闇をほどき、その甲冑に包まれた姿を見せる。


 そして、さらに近づく。


 騎士に相対するアリツィヤ。彼女がこれからどう動くのかは、誠にさえも知覚できなかった。


 不意に、騎士の前進が止まる。

 そして、かれは声を発する。

 ただ一言、「戦え」と。


 それは、ひどく古い言葉のようだった。アリツィヤの意識を通して、誠はその言葉の意味を知った。同時に、それがアリツィヤの遠い祖国の言葉であることも。


 騎士は、再度、言う。

「戦え。先の一戦、狩るに値する」と。


 戦いを、狩る。そんな言葉があるのだろうか、と、誠は一瞬だけ混乱した。だが、その言葉が意味するものを、アリツィヤの記憶に触れることで知った。



 ――あの騎士は、その理由は分からないが、戦いを憎んでいる。



 アリツィヤの記憶の深奥(しんおう)に触れることはできなかった。だが、彼女の心の表面に浮かび上がっているのは、はるか昔の、アリツィヤと「王」がともに過ごした一時期の、断片的な映像だった。かれとアリツィヤの共有する、遠い記憶。


(思い出か。……だけど、そいつをいちいちアリツィヤに訊くだけの時間はない)


 戦え、と言われたところで、もはや再びルーカを相手にする余力などはない。

 ルーカもまた、突如として現れた得体の知れない敵に、注意を奪われているようだ。

 手詰まりの拮抗状態というには、「王」はあまりにも圧倒的過ぎた。


「戦わぬか。ならば、去るがいい」

 王の言葉は、なんの気負いもなく、ただ、死を告げる天使のような自然さに満ちていた。


 ルーカがみたび放った炎が王に退けられたとき、王はゆっくりと長剣を抜きはなった。


「……来るか!」

 ルーカが言う。だが、彼の消耗も著しい。

 かれの傍らのキアラは、精一杯上体を起こすことで、「王」に相対している。


 「王」のしずかな詠唱とともに、かれの剣が黒い空間を纏い始める。そして、剣に宿した空間を、かれはためらわずにルーカへと放った。


 ルーカの正面には、キアラがかろうじて生み出した「楯」が展開していた。ルーカはキアラを信じ抜くかのように、一切の回避をせずに、よたび火焔を放った。


「王」の防御は、剣による攻撃に注力したためか、一時的に皆無となっている。

 だが。

「――兄さん!」

 襲い来る空間に対峙しようとするルーカを、キアラは渾身の力を込めて押し退けた。


「キアラっ!」

 横合いからの不意の一撃に、ルーカは倒れ伏す。「王」の空間は、ルーカ達に接近するにつれて大きく広がり、その面積を増していく。キアラの楯に達したとき、そこには予想されたような魔力同士の衝突はなにも起こらなかった。空間は、キアラの楯を一瞬にして呑み込み、その勢いは全く減じられることはなかった。


 そして。


 もはや一つの「門」のように広がった空間は、ルーカのいた位置を占めていたキアラの身体を捕捉した。

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