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彷徨のアリツィヤ  作者: 谷口由紀
プロローグ
1/50

アリツィヤ

 ――深夜の街並みが、歪み始めていた。


 街灯が放つ青白い光は、その清潔な陰影を失い、狂気を誘うような色合いで大地を染め上げる。

 空はその広がりを急速に失ってゆき、異様な密度をもって空間を圧迫する。

 遠景は淀んだ闇の中に埋没し、不規則なうねりと化して外界とのつながりを絶つ。

 内界の異物をおし包むような、圧倒的な断絶。

 それは、まるで。


「……結界、か……」


 アリツィヤは呟いた。

 そのかぼそい声がひとすじ漏れ出ただけで、それに倍する量の鮮血が唇から噴き出し、白く細い咽喉を赤く濡らした。だが、それすらも些細な事に思えるほどに、彼女は深手を負っていた。

 異様な空間のなかにひとり倒れ伏す彼女は、十数本もの槍や剣によってむごたらしく貫かれ、苦痛にあえいでいる。

 その細い身体に余るほど突き立てられた武器は、そのどれもが実体をもたない霊光によって形成されていた。形状や長さはまったく統一されていなかったが、強い輝きのなかに陰影のように浮かびあがる文様は、異様な力感をたたえていた。


 文様を構成する陰の一筋ひとすじが、生物のように脈打ち、そのたびに、アリツィヤの身体が痛みによって跳ね上がる。


「……う、ああ、っぐ……」


 崇高ささえも感じさせるその霊光は、文様の脈動に連動してアリツィヤの身体を灼き、破壊してゆく。


 アリツィヤは、倒れた身体をわずかでも前に進ませようと、両腕で地をかき、身をよじらせる。

その顔は苦痛に歪み、もとは清らかであったはずの白い頬と金髪は、土埃と泥、そして血液によって汚れきっていた。

 ずたずたになった衣服に包まれた肉体もまた、崩壊する寸前だ。

 しかし、それでもなお、彼女は立ち上がろうとした。

 四肢に力をこめ、背筋を天に伸ばそうとする。が、それは果たされず、アリツィヤの身体は、自らが流した体液の泉にびちゃりと倒れ込んだ。


「……苦しいか、『完成者』よ」


 激痛に身をよじるアリツィヤに、そう声をかける者がいた。

 彼女から20メートルほども離れた所に傲然と立つ、男だ。

 彼は、幾本かの短剣を手挟んだ両手を下げたまま、まっすぐにアリツィヤを見据えていた。

「……ここまでに、貴様は数十人にも達する魔術師を退けてきた。かくも多くの魔術師を相手どり、生き残った者は、歴代の魔術師にもそうはいまい。貴様と戦えること、その天の配剤に感謝する」


 その言葉に、アリツィヤは苦しみをこらえながらわずかに笑みを浮かべ、言った。

「……私の魔力も、もはや尽きつつある。この苦しみも、耐えがたいもの。あるいは、この戦いこそが、私の終焉の時なのかもしれない。しかし、今ここで貴方に殺されるわけにはいかない。……邪魔はさせない、『ベルクート』。敵は、退ける」


 その言葉に、ベルクートと呼ばれた男は、ひととき口の端に淡い微笑を浮かべた。が、その笑みはすぐに捨て去った。


「勇ましいな、完成者。……ここまでに、貴様はよく戦った。だが、すこしばかり血を流しすぎたようだな。俺とても、貴様のまことの力と対峙したいとは思っていた。だが、貴様を仕留めることこそが俺の使命。なればこそ、全力で戦おう」

「その言、忘れないことね。……それならば、かかってきなさい」


 アリツィヤの言葉は、まさしく虚言のようだった。

 傷つき倒れ伏し、呼吸することすら困難に思えるような様子での大言壮語。

 しかし、ベルクートはそれを嗤わなかった。

 短剣を構えた腕を左右に構え、ゆっくりとアリツィヤに近づいてゆく。


 隙はない。

 一歩、一歩。その歩みとともに、かれは異様な言葉による詠唱を行う。


「       」


 古代の聖句使いたちが生み出した、神と話すための言葉。

 ひとの耳ではなく、より偉大な「者」に願いを届けるためだけの言葉だ。

 その言葉を、アリツィヤはたしかに捕らえていた。

(……祈り、(こいねが)うための言葉。あの男がいま具現させる力は……)


 ――やはり、結界だった。


 アリツィヤの周囲のすべてが、さらなる歪みを見せる。

 大気はその密度を不規則に変え、音や光の伝達を狂わせた。

 重力や、熱すらも狂い、肉体に過負荷と破壊をもたらす。

 激変する環境によって、敵対者の全能力を低下させる領域を作る能力。

 これが、目の前にいる敵手の力だった。


「二度目の大世紀末を経て、かくも恐るべき能力に出会えるとは。……長生きは、してみるものね」

 その言葉に、ベルクートは答える。

「この結界。……わが氏族が、千年の時をかけて磨き上げ、子孫へと引き継がせた秘蹟だ。修行の足らん魔術師どもが用いるような、身を守るための結界ではない。貴様ら『完成者』のごとき強大な魔術師を取り込み、その力を殺ぐことを主眼としたものだ。ゆえに、われらはこう名付けた」


 アリツィヤの敵手は、短剣を投擲するための構えをとりながら、言った。


「――『狩猟場(ハンティング・グラウンド)』」、と。


 その言葉とともに、ベルクートの手にしている短剣が急速に霊光を帯び始める。

 すべてが歪んだ閉鎖空間の中で、その清冽な光は、まるで奇跡のような美しさを備えていた。

 放たれる光は、葉脈のように複雑な文様を、ほんの一瞬だけ短剣の周りに描いたが、すみやかに収束してゆき、光の長剣をかたちづくった。


 アリツィヤの身体を貫いているのと同じものだ。


 形成されたかりそめの聖剣は、片手ごとに三本ずつ。

 常人であれば、ただ一本による刺傷でさえ耐えることはできない。輝く刃より漏れ出る霊光は、ひとの心身を一瞬にして破滅させる力を持つ。

 その全てをいちどきに投擲し、敵手を仕留めるのがベルクートのやり方だ。

 かれに対峙するアリツィヤは、幾多もの槍と剣に貫かれた身体を、ふたたび奮い立たせた。


「一度に六本……。私を黙らせるのに、それだけで足るかしら?」

 そう告げながら、残された魔力をふりしぼり肉体の賦活を試みる。


 損傷した箇所を復旧し、失われた体液等を、魔力によって構成した代替物によって一時的におぎなう。

 『急速賦活』。肉体の自己回復力を補助する通常の回復術とは異なり、人体そのものを再構築する、危険な術だ。その膨大な魔力の消費に、アリツィヤは耐えきった。

 同時に、自身の肉体を介して、打ち込まれた聖剣に宿る魔力を解呪する。

 が、解呪という言葉が暗示するような精妙さはどこにもない。

 きわめて強引に。魔力をもって、魔力を打ち消す。

 その強引な干渉により、聖剣の刀身は、まるで破裂するようにして消滅した。

 刀身の消滅によって、さらに創傷が悪化するも、アリツィヤはそれすらも瞬時に処置してしまう。


 その手際を見て、ベルクートは感嘆をこめて言った。

「肉体の再構築か。……秘蹟だ。いま扱える者はそうはいまい。下手を打てば、肉体の変化を制御できずに『増殖する肉塊』と化す、危険きわまりない禁術だからな。よしんば成功しても、魔力消費に耐えられなければ、肉体にやどる基幹魔力を根こそぎ持っていかれてしまう」

「……失敗は、たしかに怖ろしい。だけど他に道はない。そして、私は成功した」

「博打か」

「博打を打たずには貴方には勝てない。ここに至るまでの戦いで受けた傷は、存外に大きかった」

「……傷は、完全に癒えたのか?」

「それは、これから分かること」

 ベルクートは、唇をかたく引き結んだ。

 かれの握る六本の聖剣が、ひときわ強く輝く。

 ……光の刃にこめられた戦意のたかまりを示すように。


 アリツィヤは、足下に散らばるベルクートの短剣を一本だけ拾った。

 その短剣は、先ほどまで己の身体を貫いていた聖剣の核だ。

 光の刃が消えてしまえば、それはただの、儀礼用の小振りな短剣にすぎなかった。

 短い柄を握りしめ、アリツィヤは刀身を直下に向けた。

「……よく魔力を映す短剣だ」

 その呟きののちに、アリツィヤは詠唱をはじめた。



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