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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第四章 若者たちへの試練

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第五十九話 直訴

王国歴223年5月上旬(ユーキ18歳)


 本日、ユーキは閣議を傍聴していた。

 この国では閣議の正式な出席者は国王、摂政、王太子そして大臣であるが、現国王は次官や局長相当の役職者にも列席するよう指示している。

 また成人王族と貴族家の当主には閣議を傍聴する権利があり、伯爵以上の家の継嗣は希望して国王の許可が得られれば傍聴できる。不行跡等、よほどのことが無ければ許可される。


 但し、傍聴者であっても国王は名指しで意見を求め、答えが良くなければ遠慮会釈なく叱責する。貴族の当主や継嗣でも御下問に答える自信の無い者はそれを怖れてあまり傍聴には来ない。本来出席義務がある役職者でも、名誉職である次官以外にも仮病を用いた欠席者が結構いる。「腰痛」の届出が係りの者には見慣れたものになっているほどだ。彼等が不在でも、実際の政策は国王と大臣が殆ど決定するので、国政に差し障りはないのが実情である。


 ここ数年、国王は年齢のため公務を減らしていたが、閣議にはできる限り出席している。偶に欠席しても宰相が取り仕切って結果を国王に報告しその裁可を得るので問題は生じないが、貴族が国王を畏れないようになっては困る。



 ユーキは成人した後は、週に二回の閣議をほぼ毎回傍聴している。

 同年代の王族のうちでは、メリエンネ王女は体調回復がまだ十分ではなく、傍聴に来られていない。スタイリス王子とその異母弟であるクレベール王子は時々しか顔を出さない。

 特に最近スタイリス王子は国王が欠席する時に限って、クレベール王子を伴って出ている。国王の出否をどうやって事前に知るのか、不思議だ。


 それが国王の気に障って出席を命じられたか、今日は久し振りにスタイリス、クレベール、ユーキの若い三王子が揃った。

 議題に関する国王の下問はほぼスタイリス王子とクレベール王子に集中した。スタイリス王子は下問の大半をクレベール王子に受け流し、彼が答えたのちに二言三言を付け加えて我が事足れりという顔をする。結局クレベール王子が全ての御下問を引き受けることになり大忙しであった。ユーキにとっては彼等が矢除けみたいなものとなり、クレベール王子がそつなく国王に返す意見や大臣も交えた活発な議論に耳を傾けるのに専念することとなった。

 もっとも、ユーキとしては国王の質問を良い試練と思っているので、有難いわけでもない。発言する機会が得られずクレベール王子があれこれと答えるのを羨ましく、しかし興味深く慎ましく聴き続ける間に、閣議は終わりそうになった。


 国王が傍らの宰相を見て尋ねた。


「宰相、今日の閣議は、これまでかな?」

「はい、陛下、予定されていた議題は、これで……あ、いえ、もう一件ありました」

「うん? 予が事前に聞いていた件は、全て片付いたように思うが」

「先程使いの者が参って、クリーゲブルグ辺境伯から取り上げていただきたい件がある旨、申し出があったとのことです」

「辺境伯が? 自ら上都してか?」

「はい。今朝、到着された由。急ぎ御審議いただきたいと申されております」

「わかった。何だ?」

「詳しくは御本人から説明されたいとのことで、登城されて控室でお待ちです」

「呼べ」

「承知しました」


 宰相が控えていた従僕の一人に「クリーゲブルグ卿をお呼びするように」と命じて送り出す。居並ぶ面々が訝しげに待つ広い閣議室に、やがて辺境伯が現れた。

 辺境伯は室内に入るなり素っ気なく国王に一礼すると進み出て立ち、出席者一同を見渡した後に視線を国王に戻してその言葉を待った。


「クリーゲブルグ辺境伯、久し振りだな。元気そうで何よりだ」

「陛下におかれましても、御機嫌麗しゅう、恐悦至極に存じます」

「わざわざ上都しての案件、余程の重大事だろうが、いったいどうした」

「契約に関する訴え事でございます。本来は訴訟方で取り扱っていただくべきところですが、急を要すると思われること、また、当領と隣領の双方に関わることから、陛下に報告させていただきたいと」

「隣領?」

「はい、東側であります」

「ピオニル子爵領か。子爵は傍聴しておるか?」


 国王が尋ね一同が傍聴席を見回すが、返事は無い。宰相が「おらぬようですな」と告げると、国王は辺境伯に向いた。


「おらぬのであれば仕方が無い。先ずは聞こう。何があった?」


 問われた辺境伯は、もう一度閣議の出席者や傍聴者を睥睨(へいげい)してから(おもむろ)に口を開いた。


「当領ではかねてより該子爵領と、小麦栽培について契約を結んでおります。子爵領での小麦栽培を抑制するのと引き換えに、当領から無償で小麦粉の支援を行うというものです」

「知っておる。例の件(がら)みだな」

「はい。それだけでは均衡が取れませんので、当領からの荷物については、子爵領では関税を取らぬということにしておりました。実際には、子爵領発の荷物や双方向の通行料も全て無税での運用でしたが」


 辺境伯はそこで言葉を切った。後は言わずともわかる。それでも国王は眉を(ひそ)めながら確かめた。


「それが破られた、ということか」

然様(さよう)です。小麦の栽培についても、関税についても、通告もなしに一方的に破られております」

()しからぬな」


 そこまで聞いて、内務を預かるゲルプ侯爵が口を挟んだ。


「畏れながら、陛下」

「何だ、内相」

「契約が破られたというのは辺境伯にはお気の毒に思いますが、これは当事者同士の話し合いで決着すべきものかと思います。話し合いで収まりが付かなければその時には、卿が仰せの通り訴訟方で取り扱うべきかと。いきなり閣議に持ち込むべき案件とは思えません」

「私もそう思います。領と領の揉め事に陛下の御威光を借りようとは」「その通り、辺境伯とも思えぬやり方。如何(いかが)なものかと」「然様然様。貴族の面目が立たぬのではないか?」


 内相ゲルプ侯爵に続いて出席していた貴族たちが口々に反対し、場がざわつく。国王はそれが静まるのを待たずに、自分の身近にいる宰相に素っ気なく尋ねた。


「宰相、どう考える?」

「諸侯の意見には一理あるかと。ただ、契約が一方的に破られているというのであれば、当事者同士の話し合いが纏まらないことは容易に予想できます。またピオニル子爵領の事情も鑑みれば、速やかに決するために陛下に報告して御裁断を求めようとした辺境伯のお考えもまた、理解できます」


 国王は「ふむ」と洩らして辺境伯に向けて目を光らせた。


「辺境伯、どうだ? 諸侯は取り上げるのに反対の様だが、言いたいことはあるか?」

如何(いか)にも、単に領主同士の争い事で留まるならば、ここへ持ってくるまでもない、その通りでありましょう。当方にも辺境伯としての矜持(きょうじ)というものがあります。陛下の御裁断に縋らねば何もできぬと思われるのは業腹(ごうはら)です」


 辺境伯は国王の強い視線にも動ぜず、平静に応じる。そして徐々に声を高めながら反論を続けた。


「しかしながら、主街道の関税は、単純な隣領間の争議で済ませてよろしいでしょうかな? 主街道上にある、他の領にも影響するのではありますまいか? 現在、ピオニル領は百分の四の関税を課しておるのですが、諸侯もそれで良いと思料されていると、そういうことですな?」


 辺境伯が言葉を切り再び一同をゆっくりと見回すと、諸侯の間に「四分」という呟きとざわめきが、敷波のごとく二重、三重に広がっていく。

 辺境伯は視線を国王に戻し、強い口調でさらに訴える。


「さらに申し上げますが、訴えたきはこれだけではありません」

「申してみよ」

「はい、子爵領のある村の住民から、当方に訴えがございました」

「ある村とは?」

「それは御決裁の後に。村民は領主の報復を恐れておりますれば」

「ふむ、まあいい、聞こう」


 国王は一瞬歪んだ表情をすぐに戻すと、体を背(もた)れに預けて辺境伯を促した。


「はい。暫く前に前領主と住民らが税額について交わした契約が未だ有効であるにも関わらず、それを一方的に破棄して増税を突きつけられたと。訴訟方に訴えたいが、方法が分からず、取次を願い出てきたものです」

「ありがちな話だな。村の発展の状況が当初の想定と異なれば、税の多少の調整は仕方なかろう」

「はい。多少であれば」

「ん? 変更の内容は?」

「項目は地租です。従来は一エーカー当たり四十リーグだったものを、二ヴィンドに上げるとのことです」


 辺境伯が告げた税率を聞いて国王が矢庭に体を起こした。眉根に皺を寄せて不快そうに問い質す。


「齢のせいか耳が悪くなってな。予の聞き違いであろうと思うのだが、もしや、四十リーグを二ヴィンドに上げると言ったか?」

「はい。間違いございません。五倍の増税です」

「確かか?」

「村民の申すには」

「いや、何かの間違いだろう。村民の思い違いとか」

「畏れながら、そうではなさそうです。代官から署名するようにと渡された書類もあるとのことです」

「確かな書類か?」

「村に保管してあるとのことで、領印の押されたものとのことです」

「残念ながら、間違いなさそうだな。五倍とはな」


 国王は首を振り振り、慨嘆した。その嘆きに辺境伯はさらに言葉を被せた。


「当方の調べでは、子爵領の他の町村にも、増税を申し付けているようです。地租に関しては、一律エーカー当たり二ヴィンドにするようです」

「小麦粉の価格はどうなっておる?」

「今のところ、卸、小売り共に特段の変化はございません」

「物価も変わらんのに増税か。ピオニル子爵は何か事業でもしようとしておるのか?」


 誰に尋ねるでもなく発された国王の疑問に、席を占めた大臣の中で農政を預かっているローテ侯爵が「おほん」と咳払いをしてから言葉を挟んだ。


「畏れながら陛下、他の領では二ヴィンドも例が無いわけではありません」


 農相が唱えた異に、しかし辺境伯は動ぜず反論する。


「農相閣下、御存じのようにピオニル領の地は元は大半が荒れ地でした。それを先代が苦労して少しずつ肥やしてきたものの、それでも途半ばの筈です。元から地味の肥えた豊饒な地と安易に比べて同じように扱うべきではないでしょう」

「そうではあるかも知れんが、領内の税は、領主の裁量範囲であろう。これに陛下が関わられては、他の領主たちも安心して領政を進めることが難しくなるではないか」


 農相が不快そうに声を強めると、国王が眉を上げて口を挟んだ。


「ローテ侯よ、それで国民が困窮しても、国王は知らぬ振りをせよと?」

「いえ、そのような事は申し上げておりません。私は、領の政の主体は領主にあることを申し上げているだけです。その主体を揺り動かすようなことがあっては、領政は立ち行きません。何卒(なにとぞ)御高察を願わしゅう」


 あくまで領主の権限を主張するローテに、国王は声を硬くした。


「侯よ、何か勘違いしてはおらぬか?」

「は?」

「領政の主体と言うたが、では国政の主体は何だ? 領政の主体という領主の合議か?」

「いえ、とんでもないことでございます。国政の主体は陛下にあらせられます」

「では、領政を領主に任せておるのは誰だ?」

「陛下にあらせられます」

「その予が、領政を監督して、何が問題なのだ?」

「いえ」

「良いか、予一人の目ではこの広い国の隅々までは届かぬ。それゆえ、国を分割して諸侯に領政を任せておる。もし目に余る悪政が行われ、国民が苦しむようなことがあれば、予は座視せぬぞ。皆、然様心得よ!」

「……恐れ入りましてございます」


 ローテ農相は声を低め、頭を下げた。議論で熱くなっていた場の空気が一気に冷える。それを救おうと宰相が取り成した。


「陛下、諸侯は陛下の御威光を陰らさんとしているわけではございません。陛下を些事に煩わせてはならじと気遣うばかりにございます」

「宰相、そうか。予には然様とは思えんかったが、まあよかろう。いずれにせよ、本件は調査の必要がある。監察使をピオニル子爵領に送ることとする。異論はあるまいな」

「御意」


 大臣一同が一斉に頭を下げた後に、宰相が国王に尋ねた。


「監察使には誰を選ばれますか? 本来は訴訟方から送るべきかと思いますが」

「訴訟方は、直ちに監察を送ることができるのか? ブラオン伯、どうだ?」

「はい、既にかなりの数の案件を抱えており、相応の日数が必要かとは思いますが、いずれ適当な人選を行い派遣できるかと考えます」

「いずれとは、いつか?」

「はい、この場で日付を挙げることはできませんが、遠からず。勿論、他の件とも調整が必要ですので、まずは十分に検討させていただきたく。その後、然るべき時機に間違いなく報告させていただきたく存じますので、こちらにお任せ置きください」


 のらりくらりと応えるブラオン伯に、国王は苛立ちを隠せなくなった。

 不快感も露わに、疲れた声で応じた。


「どういうことだ、ブラオン。聞いておると、本件の解決を先に延ばそう、予に関わらせまいと懸命だな。速やかに解決したくはない理由でもあるのか?」

「お言葉ではございますが、(いたずら)に解決を急ぐのは如何かと。それがために判断を誤るようなことがあってはなりません。時間を掛けてでも正しく裁いてこそ訴訟方の責任を果たせると考えます」

「そしてその間は予の民が苦しもうとも構わぬ、とでも言うのか?」

「いいえ、とんでもないことでございます」

「それとも他に存念があってか?」

「決してそのようなことは」

「もう良い、存じておるぞ。ピオニル子爵は新たにシェルケン侯の寄子になったのであったな。お前もシェルケン家の遠縁であるし、訴訟方には他にも派閥の者を何名か抱えておるな」

「は、それはそうでありますが」

「過剰に身内を庇えば、痛くもない腹を探られることになるとは思わぬか? それとも何か痛みがあるのか?」

「いえ、そのようなことはございませんが」


 ブラオン伯はまだ不服そうだったが、国王はもう気に留めなかった。


「ではもう控えておれ。宰相、シェルケンは今日もまた欠席だな?」

「はい、例の腰痛でございます」

「わかった。もう良い。本件は、複数の領が関わっておる。また、(くだん)の増税率は見るからに高い。仮にこれが不当である場合、長く放置しては係る民を(いたずら)に苦しめることになる。監察使は予の裁量で選任し、速やかに子爵領に送ることとする。皆、良いな!」

「ははっ」


 一同が平伏すると、国王は辺境伯に向いた。


「辺境伯、監察の結果が出るまでは、王都に滞在するように」

「承りました」

「宰相、本日はこれで終わりだな?」

「はい」

「では、皆御苦労であった。宰相、共に来い」

「はっ」

「スタイリス、クレベール、ユークリウスはまだおるな? 控室で待機しておれ」

「仰せのままに」「御意」「承知しました」


 三人の王子、そして場の一同が一斉に立ち上がって頭を深く下げる中、国王は席から重々しく腰を上げ、険しい顔のままで宰相を引き連れて閣議室から去って行った。

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