第三話 ケンの不思議の勝利
王国歴218年9月(ケン14歳)
季節が進み、乾いた西風がネルント開拓村に吹いている。
ここネルント開拓村は、ピオニル子爵領の他の地域より高地にある。そのため、平地ではまだまだ暑いこの時期でも村では風は既に冷たくなり始めており、剣術の練習をする子供たちには心地良く感じられているはずだ。
だが子供たちは風どころではなく、頭を寄せて侃々諤々と話し合っている。
「この組分けは、あんまりじゃない?」「これじゃ、勝負にならないよ」
ケンと同じ組になった仲間たちが口々に言う。
最近、マーシーは訓練の最後に模擬戦を一回やらせて終わりにするようになった。素振りやら型やらの基礎練習だけではどうしても子供たちが飽きてしまうので、興味を保たせるように実戦擬きの演習を組み込んだのだ。
齢の近い子供たちを二組に分け、団体で戦わせる。用いるのは怪我をしないように軟らかい木にぼろ布を巻いた模造剣だ。体のどこかを一度でも打たれた者は失格し、最後に一人でも生き残った組が勝ちになる。
ただ、あまりに齢が違い過ぎると実力差が大きくて勝負にならないし、人数が多過ぎてはマーシーの目が届かなくなる場所が生じてしまう。そこで年長組と年少組に分け、それぞれで紅白戦をやらせるようにした。
紅白戦の間はマーシーはできるだけ口を出さず、子供たちの好きに任せている。年少組の紅白戦はじゃれあいのようなものだが、それで構わないとマーシーは思っている。年長組では、それなりに、戦いのような形ができているのだから。
訓練で紅白戦を繰り返し行ううちに、マーシーは不思議なことに気が付いた。
年少組の方はどうということもないのだが、年長組の方は、ケンが入った方の組が勝つ確率が異様に高いのだ。
剣術の腕前そのものを比較すると、ケンは確かに強い方、というか、一番筋が良くて強い。だからケンが入ったほうが勝つ可能性が高くなるのは当たり前ではある。だが、その勝率が尋常ではない。十回に八回は勝つのだ。
ケンが強いと言っても飛び抜けているわけではない。一対一で対戦すると常に勝つが、二人を相手に勝てるほどではない。だから他の子供たちの組分けが少し偏って弱い組に入ったら負けてもおかしくないのに、実際には同じ組の子供たちが少々弱くても勝ってしまう。
マーシーは不思議に思って、今回は極端な組分けにしてみた。五対五で戦うのに、ケン以外は弱い方から順に四人を集めたのだ。
つまり対戦相手は、強い方から二、三、四、五、六番目、ということになる。ケンの組は、ケンは一番強いが、それ以外は七から十番目ということだ。
子供たちも、誰がどのくらい強いかは皆が大体わかっている。だからマーシーが今日の組分けを発表すると、相手の組は「今日は楽勝、楽勝」「ケンさえ倒せばそれで終わりさ」と浮かれている。
一方、ケンの組の子供たちは意気が上がらない、というか、諦めた雰囲気を漂わせている。
「こんなのつまんない」「もうやってもしかたないよ」
そうぶつくさ言う仲間たちをケンは「まあ、こういう日もあるさ」と宥めながら、相手の組から離れた場所に連れて行く。
マーシーはさり気なくケンの組に近付き、彼らの声に聴き耳を立てた。
「こんなの、負けて当たり前だよ、ケン」
「そうだな。当たり前だ。だから、負けたって全然問題ない。だけど、これで勝ったら、すごく嬉しくないか」
「そりゃそうだけど、相手の方が全然強いじゃん」
「ああ、剣術はそうだ。他の事はどうだ? 脚は俺たちの方が速いよな」
「でも、脚が速くても仕方ないよね? 逃げていても勝てないんだし」
「その通りだ。だから、逃げるためじゃなく、戦うため、勝つために走るんだ」
「どういうこと?」
「よく聞いてくれよ。今から言うとおりにみんなでうまくやれば、勝てるかもしれない。でも、みんなが一緒にうまくやらなければ……」
「どうなるの?」
「負ける」
「けど、どうせ、負けて当たり前だよな」「そうよ。だったら、ケンの言うようにやってみようよ」「そうだな、何もしないで負けるより良いよな」「どうやるの、ケン」
仲間たちの目がケンに集まった。ケンは声を潜めた。
「いいか、よく聞いてくれよ」
ケンたちが頭を寄せ合い、マーシーには彼らが話していることが聞こえなくなった。ケンが小声で何かを伝えている。じれったいが、変に近付くと邪魔になると思い我慢していると、ケンの声がまた大きくなった。
「みんなが気持ちを合わせるのが大事なんだ」
子供たちも声を大きくして口々にしゃべる。
「難しいなあ。うまくいくかなあ」「誰かが失敗しちゃうかも」
誰かの不安そうな声に、ケンが笑顔で応える。
「そりゃあ、練習もせずに、いきなりみんなで動くんだ。難しいし、失敗するかもしれない。だけど、みんなが頑張れば、勝てるかもしれないんだ」
「そうよね。可能性はあるよね」
「そうだ。うまくいくかどうか考えてたら、それに気を取られて、みんなの動きがずれてしまう。そうなれば、台無しだ。だからどうなるか考えずに、みんなで頑張ろう。そして、みんなで勝とう」
「それ、ケンが良く言うよね」「そう、『みんなで勝とう』って、ケン、いつも言うよね」
「そうか? でも、俺、確かにみんなで戦うのって好きだな。一対一の勝負より、考える事がたくさんあって面白いし」
ケンが力を込めて言うと、一人がくすくす笑ってから答えた。
「ケン、作戦考えるの好きだよね。いつも作戦を考えてくれるよね」
「ああ、それも面白い。それで勝って、みんなで喜ぶのはすごく楽しい」
「今日も勝てるといいね」
「ああ、だから、みんなで頑張ろう」
「そうだね、負けてもともとだし。その分勝てたらもっと嬉しいよね」
「そうだ。みんな作戦はいいな?」
「……ちょっと不安だから、もう一回、いい?」
「ああ、いいよ。よく聞いてくれよ?」
そこでまたケンの声が小さくなり、皆の頭が集まる。マーシーは彼らの作戦が聞きたくて堪らなくなってきたが、ぐっと堪えた。折角皆が集中しているのに、邪魔をしてはいけない。それにケンの組が勝つことが多い理由は、少しわかってきた気がした。
マーシーは聞き耳を立てるのを止めて、もう一方のホルストたちの組の方に歩いていった。彼らはケンたちを遠目に見ながらだらだらと話をしていたが、マーシーが近付いてくるのを見て、ひとりが話しかけた。
「マーシーさん、あいつら、まだ、相談がまとまらないんすか?」
「そうみたいだな」
「きっとまた、ケンが何か作戦を考えてるんだろうさ」「あいつ、普通に戦えば強いくせに、頭を使って戦うのも好きなんすよね」
彼等は待ちくたびれたのか、それを切っ掛けにがやがやと雑談を始めた。
「マーシーさん、俺、前にあいつが畑仕事を手伝ってくれたことがあって、その時にいろんな話をしたことがあって、団体戦の話もして。作戦って、何を考えて立てるんだって尋ねたことがあるんだ」
「へえ、ホルスト、お前、樵の手伝いだけじゃなくて畑仕事もやってるのか。偉いな」
「えへ。どうも。でも、うちは大きい子は俺だけで、お袋が畑をやってるんだけど、チビたちの面倒が大変で、何でも手伝わないといけなくって、でないと、親父やお袋にどやされちゃって、怖くって、それで畑も手伝ってて」
「それで、ケンは何て言ったんだ?」
「え? あ、そうそう、作戦って、どうやって考えてるんだって、尋ねたんだ。そしたら、あいつ、『黒狼だ』って言ってて」
「黒狼?」
「うん、黒狼だって、自分が狼だったらどうするかって考えてるって言ってて」
「なんで狼なんだ?」
「ああ、あいつ、狼が好きなんすよ」
横からこの組の一人のライナーが口を挟んだ。
「黒狼はこの村の守り神だからか? そりゃ、みんな、好きだろ」
「それもそうなんすけど、あいつは特別に好きみたいなんす。なあ、ホルスト」
「うん、そうらしくって、秋から冬はしょっちゅう物見台に上がってって、黒狼の狩りを見てるのが好きだって」
「……そりゃ物好きなことだな」
「うん、それで、狼の狩りに当てはめて、どうやったら勝てるか考えてるって、言ってた」
「へえ、面白いことを考える奴だな。あいつ、俺にはそんな話はしないぞ」
「うん、大人には、気味悪がられるからって、言わないようにしてるって、言ってた」
「じゃあ、俺に言っちゃ、駄目だろ」
「あ、そうだった」
「おいおい。まあ、いいや。俺も村の連中には言わないようにしておくか。みんなも、大人には内緒にしておいてやるんだぞ」
「わかった」
マーシーはひとつ頷くと、皆を見回して尋ねた。
「で、お前らは作戦はいいのか?」
それでもホルストたちは雑談の続きのような調子で、半ば笑いながら適当に相談するだけだった。
「今日は、いくらケンが相手にいても楽勝っすよ」
「そうそう。ケンさえやっつけりゃ、他は相手にならないよな」
「ケンに二人ぐらい行って、後は追い散らしてばらばらにしようぜ」
「そうするっすか」
「俺がケンに行って、後、ジーモンも行って」
「それでいいか」
「あっちも、終わったみたいっすよ」
見ると、ケンの組の五人が、三十ヤードほど向こうで横一列に並び、互いに少しずつ距離を取り、膝を曲げ伸ばししている。
「こりゃ都合がいいや、元からバラバラになっててくれりゃ、追い散らしやすいや」
ホルスト組の五人は笑い合いながら、立ち上がった。
マーシーは両方の組から離れ、大人しく待っていた年少組の子供たちの所に行って立った。
「お前たちも、良くみてるんだぞ」
「わかってるよ」「早くやっちゃってよ」「すぐおわるんじゃない?」
小さい子供たちも、勝敗は明らかだ、やるまでもないと思っているようだ。まあ無理もないかもしれない。
マーシーは声を大きくして、向かい合って立っている両方の組に尋ねた。
「両方とも、用意はいいか?!」
「ああ!」「いつでもいいぞ!」
ケンとホルストが答える。
「それでは、始め!」
マーシーの合図と同時に、ケンたちの組は一斉にホルスト組の方に走りだした。それを見てホルストたちもゆっくり走って迎え撃ちに行く。
逃げ回られるかと思いきや、向かってきてくれるとはホルストたちには都合がいい。すぐに方が付きそうだ。ケン以外を追い散らしてやろう。
ホルスト組は舌舐りをした。
互いに近付いて行き、距離が半分くらいに詰まった時、ケンがいきなり「逃げろ!」と叫んだ。途端にケン組の全員が反転して声を上げながら逃げる。
「うわー!」「逃げろー!」「早く、早く!」
「待て!」
追い付けばこっちのものだ。ホルストたちは全力で追い掛ける。ケン組は最初に立っていた場所をかなり通り過ぎたところで追い付かれそうになる。途端にケンが「今だ!」と合図の叫び声を上げた。すると、ケン組はいきなり振り返って戻り、ホルストたちを取り囲んできた。
気が付くと、ジーモンとスミソンがまだ遠くに取り残されている。この鍛冶屋の二人の息子たちは体が大きくて力が強いが、他の者より足がかなり遅いのだ。
その隙に残りのホルストたち三人をケン組の五人が取り囲んで一斉に打ち掛かった。
ケンがホルストをあっさりと片付け、残りの四人がライナーとマットを襲う。体のどこを打たれても失格というルールでは、取り囲まれたらそれまでだ。一人は返り討ちにされたが、その間にライナーとマットを討ち取った。
残ったケンたち四人は、やっと追い付いてきたジーモンとスミソンを迎え撃つ。今度は四対二だ。ケンの模造剣が右側からジーモンに打ち掛かる。ジーモンが受け止め、横からスミソンがケンを打とうとするが、その隙をミシュが逆に突こうとしてきて、スミソンは慌てて守りに回る。その間にベノとフリーデは反対側に回り込んだ。完全に取り囲まれたジーモンとスミソンは背中合わせになって、互いの死角を守ろうとする。
状況は膠着するかと一瞬思われたが、そうはならなかった。
ケンがもう一度ジーモンに打ち掛かる。ジーモンはまた受け止める。そこで左側からミシュがジーモンを打とうとしたが、スミソンがその剣を払ってミシュを打って失格させた。三対二になったが、その瞬間、ベノが捨て身でスミソンに襲い掛かり、肩を打った。直後にジーモンに打たれて失格したが、いわばスミソンと相打ちだ。これで二対一になった。
こうなるともう、形勢は完全に傾いた。
ケンが右から左から、続けざまに木剣を揮う。ジーモンは必死にそれを受けるが、脚を狙われた三振り目に態勢が崩れた。
「今だ!」
ケンが言うのと、フリーデがジーモンの背中を打つのが同時だった。
「勝負あり!」
「やった!」「勝った!」「やったよ!」
マーシーの声に、ケン組の既に失格していた三人が躍り上がり、ケンとフリーデに走り寄った。五人は模造剣を投げ出して互いに抱き合い、肩を叩き合い、大声を上げて喜んでいる。大騒ぎだ。
それを見て、ホルスト組は頭を抱えて座り込んだ。
「あーあ、負けちゃったよ」「今日は間違いなく勝てるって思ってたってのに」「まさか、負けるとは……」「油断しちまった……」「悔しいっす」
マーシーは口々に嘆いているホルスト組に近付いて声を掛けた。
「どうだ。相手が弱くても、油断したら負ける、というのがわかっただろう?」
「わかったっす」
「もう一回やったら、今度は勝てる、だろう?」
「うん。もう、何やってくるかがわかってて、同じ手には、もう引っ掛からないって」
「その考えが、そもそも間違いだ」
「え……」
絶句するホルストたちに、マーシーはきっぱりと宣言した。
「相手は弱い、次は油断しない、同じ手には引っ掛からない、その考えが間違いだ」
「何が間違ってるって?」「そうだ、その通りじゃないか。次は勝つ」
「そうじゃない。お前たちの方が強いけど負けたんじゃない。負けたお前たちは、弱いんだ」
「そんな」
「お前たちが油断したんじゃない。相手がお前たちを油断させたんだ。ましてや、次も全く同じ手を使ってくる訳がない。同じ手には引っ掛からないとか、そんなことを言っている時点でもう、お前たちは相手の次の手に引っ掛かっているんだ」
「……」
ぐうの音も出ないホルストたちに止めを刺すように、マーシーの言葉は続く。
「あいつらは、弱いなりに、一所懸命考えた。お前たちはどうだ? ろくすっぽ考えもしなかったよな? そして負けた今も、悔しがってるだけだ。これじゃあ、次も負けるぞ。勝ちたかったら、悔しさを堪えて、どうやったら勝てるか、どう戦ったら負けないか、考えることだ」
あまりに厳しい言葉に凹んだのか、ホルストたちは黙り込んでしまった。それを見て、さすがに言いすぎたかと、マーシーは慌てて慰めに回った。
「まあ、戦力差が大きいほど、油断しやすいのは確かだな。思い切った計略が嵌り易いのも、そういう時だ。そのことをきちんと覚えていれば、大丈夫だ。あまり落ち込むな」
「落ち込んでないっす!」「そうだ! 考えてたんだ! 次は、こっちから動く!」「ケンを釣り出すか、他の四人を怯ませるかして、ばらばらにすればいいんだ!」
「方法は?」
「これから考えるって!」
五人は口々に意見を言い出した。どうやら落ち込んで耳を塞いでいたのではなさそうだ。
「その意気だ。作戦を考えるのはケンだけの特権じゃない。お前たちも考えろ」
「そうするっす!」
「よし。おーい、ケン、そっちも喜ぶのはそのぐらいにしとけ。今日はここまでにして、帰るぞ」
マーシーが呼ぶ声を聞いて、ケンたちや年少組たちも、にこにこしながらホルストたちに加わる。そしてお互いに今日の対戦について、ああでもない、こうでもない、と話し合いながら家路に就いた。
マーシーはそんな彼らの中にいたケンの肩を抱くと、「良くやったな」と声を掛け、歩調を緩めて集団の後ろ、皆に声が聞かれない所に連れ出して尋ねた。
「勝てると思ったのか」
「銀鹿が黒狼に勝つこともあるから。いくら弱くても、負けると決まったわけじゃない」
「でも、力の差は大きかったよなあ」
「ああ。それでも、やる以上はできるだけの事をして、ちょっとでも勝ちに近付けたら、もし負けてもあいつらも少しは嬉しいだろうと思ったんだ」
「作戦を相談するとき、みんなが何を言っても否定しないようにしていただろ? あれは何でだ?」
問い掛けられて、ケンは首を傾げた。
「否定しない?」
「『違う』とか、『そうじゃない』とか、『駄目だ』とか、一言も言わなかったよな?」
マーシーが尋ねたいことを説明すると、ケンは『ああ』というように首を振って答えた。
「『駄目』とか言われると、気持ちが萎えるから。『負ける』って考えると、逃げたくなるし」
「そうだなあ。剣を捨てて敵に背中を見せたら、勝てるわけがないなあ」
「そう。今回の俺たちは弱かった。でも、『弱い』と『負ける』は違うと思う。弱いなりに何とかしようとしないと、戦う意味がない。わざわざ狼の口の前に首を差し出す鹿はいないんだ」
「あっはっは。そりゃそうだ。じゃあ、作戦を立てるとき、どんな事を考えるんだ?」
今度はケンは頭を掻きながら、考え考えして話す。
「うーん、まず、みんなを見る、かなあ」
「見る?」
「そう。味方も相手も両方。それで、両方の特徴を考える。今回は、味方のみんなは剣術は得意じゃないし力も弱いけど、すばしっこい。鬼事では殆ど負けないやつが揃ってた。相手は、ジーモンとスミソンは、真っ先に捕まる二人だろ?」
「そうなのか」
マーシーは感心した。これまでずっと子供たちを見てきたが、そんなことは気にもしてこなかった。
「ああ、そうなんだ。だから、その差をどうやって使うかを考えたんだ」
「なるほど。見事に嵌ったな」
大したもんだ。味方の長所を活かして相手の短所を衝く。戦いの要点そのものだ。こいつ、狼の戦いぶりを観察しただけでこんなことを身に付けていたのか。
大したもんだ。だが、それだけでは危うい。
「但し、いいか、良く覚えておけよ。今回のやり方は実戦では通用しない。なぜなら、」
マーシーは一言釘を差しておこうとしたが、ケンは彼が言おうとしたことに自分の言葉を被せて遮った。
「みんな、自分の命は惜しいからだろ。わかってる。誰だって怪我はしたくないし、ましてや死にたい奴はいない」
「お、おぉ」
マーシーが驚いて言葉を飲み込む。
ケンはその様子を気にせずに模造剣を一度、二度と振り回した。風を切ってヒュッ、ヒュッ、と鳴る音を聞きながら淡々と話し続ける。
「今回は、みんな勝ちたいから、自分がやられても良い、相打ちか、自分がやられる隙に誰かが相手を打ってくれれば良い、そういう気持ちで一つになれた。相手も、自分がやられても誰かが俺を討ち取ればそれで良いと思って追い掛けてきた。実戦では、そうはならない」
「そうだな」
「相手を倒しても、自分が殺されては元も子もない。実際の戦いでは、みんな、そう考えて動くと思う」
「そこまでわかっているのか」
「黒狼も銀鹿も、そういう風に戦っていたんだ。狼は、鹿を倒しても自分も倒されてしまっては意味がない。鹿も、仲間を守れても自分が餌食になったんじゃあ、ただの馬鹿だ。狩る方も狩られる方も命懸けだけど、命を失ったら何にもならない。戦いも同じじゃないかなと思うんだ」
「そうだな。無駄死にする奴が出ないように、その危険が少ないように、そういう戦い方でないと誰も付いてこない」
「うん、そう思う」
「なるほどな。俺もそう思う。ケンは良く考えてるなあ」
「ありがとう。黒狼を見ながら、そういうことを考えるのが好きだから」
そう言ってケンは照れ臭そうにまた頭を掻いた。
「だが、次からはそうはいかないかもな。みんな、これからは色々考えてくるぞ?」
「それでいいんだろ? みんなが考えて、勝ったり負けたりした方が楽しい。訓練だし」
「そうだな」
気が付くと、皆が道のかなり先で振り返って二人を待っている。二人は小走りで皆に追い付いた。
「もうすぐ日が暮れる。少し急いで帰ろう」
マーシーが声を励ませると、ケンがニヤッと笑って返事をした。
「うん。『マリアが待ってるから』だろ?」
「……うるせえ!」
皆は大声で笑いながら、赤くなった陽の光を浴びながら村へと帰って行った。
その後の訓練では、皆が頭を使うようになり、ケンの勝率は落ちた。それでも六割以上は勝つのだが。
そのことについてマーシーが尋ねると、ケンはやはり喜んでいた。相手の考えの、さらに上を行って勝てた時の方が楽しいから、らしい。こいつはこういうことが向いているんだろうな、とマーシーは改めて思った。
だが、山奥の農村の暮しでケンのこの才能が何かの役に立つことがあるのだろうか。役には立たない方が良い。ケンは普段は村長の手伝いをして村人のために寡黙に働いて過ごしている。彼の年月が平和なままに過ぎるに越したことは無い。それでも、例え無駄に終わるにしても、楽しみが少ない暮らしをしているケンが、夢中で打ち込めるものになれば悪くはない。
マーシーはそう考えて、ケンにはまともな木剣で剣術を教えることにしたのだった。




