第三十四話 花園楼その後
承前
ユーキたちが去った椿の間では、薄が静かに菫を諭していた。
「菫、ああはおっしゃっても、殿方のお心はこの国の風のように気儘なもの。徒な望みを持ちすぎないようにしなさいよ」
「婆様、お言葉ではありますが、殿下はほんにご誠実なお方。私は御心を信じとうございます」
「そうね。でも、それでもよ。貴女たちが今習っている、蝶と花の踊りのようになるかも知れないの。男女というのはそうなることも儘あるの。その時の覚悟はきちんとしておきなさい。いいわね?」
「……あい」
「その時は私の順番で」
「菖蒲、貴女は引っ込んでなさい」
「あい。えへへ」
薄は菫にまだ何かを言いたそうだったが菖蒲のせいで気が削がれてしまったのか、もう言わずに柏に命じた。
「柏、殿下は気にされないとおっしゃっても、評判が立っては殿下にも菫にも良くないからね。使いの方にはうちには直接に来ず、隣の楼に一度入り、それから間の木戸を通ってお勝手口を使っていただくように手配りしなさい。両隣の差配にはうまく頼んでおくから」
「へえ、承知しやした」
「全くもう、面倒だねえ」
薄が「ふぅ」と溜息を吐くと、椿が不満げな声を掛けた。
「あの、婆様」
「ん? 椿? 何だい?」
「二人の手紙を本っ当に私も読むのですか? 私信、しかも恋文ですよ? それを? 私が?」
「ええ、そうよ。それが何か?」
そう言ってから薄は口を曲げて皮肉な笑顔を浮かべ、面白そうに続けた。
「ああ、そりゃ楽しみかも知れないけど、菫の気持ちも考えて、度が過ぎなければとやかく言わないようにしてあげるのよ。もしも菫が上手く書けないようなら、色々教えてあげてね。妓女なら恋文なんてお手のものでしょ?」
「楽しみだなんて、あるわけないじゃありませんか。何で私が他人の恋路の交通整理みたいなことをしなきゃならないんですか」
声を高める椿を、薄は薄ら笑いのままで突き放す。
「何言ってるのさ、貴女、他人じゃないでしょ、菫の姐でしょ。頑張って妹の面倒を見てあげてね」
「婆様が自分で読めばいいじゃないですか」
「馬鹿を言うんじゃないわよ、何を好き好んで他人の恋路の交通整理みたいなことを」
「婆様、酷いわ。この人非人」
「遣り手婆なんて、極悪非道じゃなきゃできないわよ。オホホ」
「おほほ」
「菖蒲、あんたはいいから」
「えへへ」
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一方、クルティスは当日の帰邸後に父クーツの部屋をこっそり訪れていた。
「父上、報告が」
「なんだ、クルティス」
「今日、ユーキ様が、例の紫の瞳の君と再会されました」
「なんと! 真か! でかした! して、お相手は、どこの誰か?」
「花街通りの花園楼という妓楼の、菫様という名の禿です」
「花街か、なるほどあそこは盲点だった」
「父上も捜しておられたのですか?」
「そういうわけではないが、外出する度に気には掛けておった。で、どうなのだ、首尾は?」
「上々、と言っていいのかどうか。というか、相手は禿ですが、良いのですか?」
「ユーキ様の想う相手に良いも悪いも無かろう。むしろ何が駄目なのだ? マレーネ様も御前様も相手の出自をお気になさるような方ではないぞ。それともその、菫様と言ったか、そのお方が酷い悪女ででもあるのか?」
「いえ、それならば結構です。菫様は、傍目にも純情可憐なお方です。それで、まだ未成人の禿なので、先方の許しが出るまでは会わずに文通されることになりました。その手紙の往復の使いを私が命じられました」
「それはまた大変な……まあ、頑張れ。ヘレナやアンジェラたちには伝えておく。ついでに適当に遊んで来ても良いぞ。但し自分の金でな」
「……俺の給金で、あんな場所で遊べるはずないだろ」
「それは知らん。ああ、手紙の内容はわからんだろうが、お二人の御様子で大体の状況はわかるだろう。逐次、報告しろ。いいな? 逐次だぞ」
「わかりました。で、マレーネ様と御前様には?」
「儂から伝える。マルガレータ様にもだ」
「そのこと、ユーキ様には?」
「内緒に決まっているだろうが。どうせユーキ様は我々に内緒にされるのであろう? だったらこっちも黙っておらんと、おかしな事になるだろうが。いや、しかしめでたい。よーし、ユーキ様の毎日の御機嫌を見る楽しみができたな」
「うわぁ……」




