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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第二章 揺れる運命

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第三十三話 遣り手婆

承前


 部屋が二人切りになると、ユーキは菫に近付き、真っ直ぐに向いて座り直した。

 黙って向かい合うと部屋の中には物音は無い。どこからか微かに音曲が流れてくる。宴席で奏でられているのか、誰かが楽器を練習しているのか、甘やかな旋律が耳に心地よい。

 菫は相変わらずもじもじしており、顔を少し上げてユーキを見てはまた顔を臥せてを繰り返している。ユーキも(はずか)しくなったが、皆が戻ってくるまで、時間は少ししかない。折角椿さんが気を利かせて作ってくれた時間だ。無駄にはしたくない。こここそが以前に父上に教わった、蛮勇の揮い所だ。もう迷わない。

 心を決めて深呼吸すれば、部屋に漂う香の香りが胸一杯に広がって、勇気と力を与えてくれる。

 ユーキは力強く話し掛けた。


「菫さん」

「ひ、ひゃいっ!」


 予期していた声であっても、菫は腰を浮かす。座ったまま跳び上がらんばかりだ。


「驚かせてごめんなさい」

「い、いえ、大丈夫です」

「とても羞しいけど、時間がないので、はっきり言います」

「あい」

「君が好きです。君は幼かったから憶えていないかもしれないけれど、初めて逢った時からずっと。今日また逢えて一緒に過ごせて、やっぱりそうだとはっきりわかりました」

「……」

「さっきも言ったように、今日これで終わりにしたくない。君のことをもっと知りたい。僕のことをもっと知って欲しい」

「……」

「だから、また会って欲しい。嫌ですか?」


 菫はそこまで息を詰めて何も言わずに聞いていたが、ユーキが気持ちを尋ねると強く首を振り、急き込んで、そして力を振り絞るように答えた。


「嫌だなんて! あの……私も……またお目文字しとうございます」

「本当に?」

「あい。今日、お助けいただいたこと、一緒に踊らせていただいたこと、ありがたく、楽しうございました。このこと、きっと忘れまいと思っておりました。ですから先程、また会いたいと言ってくださった時、とても嬉しうございました」

「うん。僕も嬉しいよ。じゃあ、差配の方に、今のこと、また会いたいってことをお願いしてもいいかな?」

「あい。でも、よろしいのでしょうか」


 菫の声が弱く、(かす)れる。


「何が?」

「私は禿です。シュトルム様は、実は……その……」

「王族であること?」

「あい。ご評判が傷付き、ご迷惑が掛かることになりますまいか」

「そんなこと、構わない。僕にとっては評判より君の方が大切だ。それに、そのことも含めて、僕のことをもっと知って欲しいと思うんだ。今すぐにと言うんじゃない。少しずつ、僕のことを知って、そしてできれば、好きになって欲しいと思うんだ」

「あい。でも……私は今でも……もう……」


 菫が真っ赤になって俯く。それでも懸命に顔を上げ、見詰め合った二人が互いに手を差し伸べようとした時だった。


「入りますよ」


 控えの間から声がして、白髪(はくはつ)の女を先頭に、皆が部屋に戻ってきた。二人は出し掛けていた手を急いで引っ込め、そちらに向いて座り直した。



 白髪の女はユーキの前に座った。その顔を見ると、老いてはいない。四十歳前ぐらいだろうか、顔付き目付きはきつく目も口も細いがすっきりと整った、歴とした美人だ。

 女の後ろに椿と柏、菖蒲が控える。クルティスもユーキの脇に座った。


「菫、貴女もこちらに来なさい」

「あい」


 女に声を掛けられ、菫は菖蒲の横に移る。それを確かめて、女は両手を突き頭を下げてユーキに挨拶した。


「当楼の差配をいたしております、(すすき)と申します。よろしくお願いいたします。本日は菫をお助けいただき、有難うございました」

「シュトルムと申します。おもてなしを頂き、こちらこそ有難うございました」

「お粗末でお恥ずかしうございます。それで、」


 薄は一息入れてユーキの顔を真っ直ぐに見ると、語を継いだ。


「菫との再会をお望みと伺いましたが、まことでございましょうか」

「はい、ぜひ」

「申し訳ありませんが、菫はまだ禿です。本来ならば、お客様のお相手はさせません。今回はご恩があったのでともかくも、お客様のお望みで会わせることはできません。妓女になりましたその後に、それでもお望みでしたら当楼にお上がりくださいますればと思います」


 すっぱり断る薄の言葉に、それはそうだろう、とユーキは心中で頷いた。

 だけど、それで引き下がったのでは話にならない。僕の気持ちを何とかわかってもらわないと。


「いえ、そういうことではなく。禿として、妓女としての菫さんと遊びたいというのではなく、人としての菫さんにまた会いたいのです」

「禿でも妓女でもなく?」

「はい。遊びではなく、互いを知り合うために会って話をしたいのです。私は本気で菫さんを想っています。菫さんに私のことをもっと知っていただきたい、そう思うのです。この気持ちは嘘ではありません。本心からの想いです」


 ユーキは言葉に力を込めたが、薄は眉を(ひそ)めた。


「失礼ながら、シュトルム様。商家の御曹司でいらっしゃるとか。その御歳(おんとし)ではまだ商いのご修行中では? 妓楼の女に(うつつ)を抜かしておられてよろしいのでしょうか? 私がお家の主であれば、首に縄を着けても引き戻し、修行に身を入れよと厳しく申し付けると思うのですが」


 叱られた。これもちょっと聞くと、(もっと)もな話だと思う。普通に考えたらそうだろう。

 でも、違うんだ。仕事は仕事、好きな人は好きな人で、別の話だ。仕事に励むためには好きな人のことを考えてはならないなんて、絶対におかしい。仕事は仕事できちんと励む、それで何の問題もないはずだ。それは王族だろうが商人だろうが同じだ。


「薄さん」


 ユーキは少し腰を上げ、座り直して背筋を伸ばした。その気配が変わったのを感じて、薄も居住まいを正す。


「何か?」

「ここに居られる皆さんは薄々、あるいははっきりとお気付きだと思います。シュトルムというのは仮に使っている名前で、私は実はユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティアという者です。国王陛下の大甥に当たり、王姪(おうてつ)マレーネ・ヴィンティア王女殿下の息子です」


 ユーキが身分を自ら明かすと、薄は束の間目を見開いたが、顔色は変えない。


「王子様……商人様と聞かされておりましたが」


 そう首を捻ってから横に並んだ自楼の者たちをじろりと睨んだ。


「柏、話が違いますね。きちんとお聞かせいただけなかったのですか?」

「婆様、隠し立てして申し訳ございやせん。こちらからお名乗りを求めたわけではございやせんが、菫の難儀の時から察し申し上げておりやした」


 柏が事情を述べて頭を下げると、椿が取り成そうとした。


「婆様、殿下はご身分を無理に隠そうとなさっておられません。むしろご身分を知ることで私たちが困らぬかと、お気遣いで隠しておられたのです。御評判通りのお優しくご誠実なお人柄と私は思います」

「椿、貴女の意見は後で聞きます」

「……あい」


 だが、薄は(にべ)もない。毅然としてユーキに向き直った。


「ご微行とあらば、先にお名乗りの無いのは止むを得ません。ですが殿下、王家のお方であらせられれば、ますます妓楼の禿に懸想(けそう)していてはなりませんでしょう。ユークリウス殿下と言えば芯から真面目なお方と、当楼にお上がりになる貴族の方々も口々にお噂しておられます。ですが、ひと目会っただけの禿に『本気で想う』とのお戯れとは、評判違いとしか思えませぬ」


「婆様、実はひと目ではございやせん。殿下が菫に会われた初回は、九年前の()る方の御葬儀の時。それ以来、ずっと想い続けて下すったのなら、こりゃあ菫にとっちゃあ果報ってぇもんじゃあございやせんか」

「柏、お前の意見も後になさい」

「……へい」


 柏が横から口添えしても薄は一顧だにしない。だが、初めて会った者たちが口を揃えて応援してくれるのをユーキは有難く感じた。これですごすごと引っ込んだのでは、椿さんや柏さんにも申し訳ない。ここは僕にとっての頑張りどころだ、と。


「椿さん、柏さん、有難うございます。薄さん、柏さんがおっしゃったように、私は九年前からずっと菫さんだけを想い続けてきました。このようなことに、嘘は言いません」

「それは大層有難いことですが、やはりまだご修行中の筈。惚れた腫れたの懸想事をなされていては、(おん)務めやご評判への影響は計り知れませぬ」

「御心配には及びません。勿論、(いま)だ修行中の身ではありますが、務めを(おろそ)かにするつもりは毛頭ありません。評判など、何と言われても構いません。そんなものよりも、私には菫さんの方が大事です。人に知られても構いません。他に言い()らしていただいても結構です」

「そのような事ができる筈もございません。当楼の者が王家のお方を(たぶら)かしているとでも噂になったら、楼の一大事でございます。それに、他の方々が何と言われるか。お聞きしたところでは殿下にお嬢様を嫁がせたいと考えておられる貴族方、お妃様に上がりたいと望まれている令嬢方も、おひとりやおふたりではないそうな。そのようなご縁談への差し障りにもなりましょう」

「……そのような話は初めて聞きました」


 知らなかった。そんな話、両親から聞いたことも貴族から直接言われたことも一度も無い。

 ユーキが困惑している様子を見て、薄の顔と声が少し緩む。


「失礼ながら、殿下のお身持ちのあまりの堅さに、お話の持って行きようがないと、皆様嘆いておられるとのお噂です」


 そうなのか。だが、それは余所事(よそごと)だ。今この場では関係ない。

 ユーキはもう一度声に力を込めた。


「そうであれば、私にはむしろ甲斐があったというものです。他の人ではない、菫さんにもう一度逢えた時に胸を張って向かい合いたい、ただその一念で過ごしてきたのです。菫さんを想っていればこそ、只管(ひたすら)務めに励めたのです」

「ですが……」

「勿論、今はまだ将来の事をどうこう言えません。何より、菫さんはまだ未成人です。それに菫さんは今日の私しかまだ御存じない。他の部分も沢山知っていただきたい、私も菫さんのことをもっと知りたい、そしてこの想いを確かめたいのです」

「……」

「薄さんは、王族であれば妓楼の禿に恋をしてはならない、とおっしゃいました。なぜですか? 妓楼に勤めておられる方々の、何が他人より劣ると言われるのですか? 今日こちらへ来る道すがら、菫さんは、自分の務めを、自分が学んでおられることを、胸を張って嬉しそうに教えてくれました。妓楼勤めであることに誇りを持たれているのだと思います。私はそれを聞いて、より一層菫さんが好きになったのです。自分の仕事に誇りを持ち一所懸命励んでいる人を好きになったことを、私も誇りに思います。それで落ちる評判なら、いくら落ちても私は気にしません。どうか、お願いします」


「はぁ」


 ユーキが途中で遮らせず誠心誠意で紡いだ言葉をそこまで聞いて、薄は大きな溜息を吐いた。


「お噂通り、どこまでも真面目で一途なお方だこと。菫本人のみならず私どもも並み居る前で羞しげも無く、よくまあ、そこまでお気持ちを堂々と。聞かされたこちらの方が気羞しくなります。ええ、ただの遊びではないとのお話はわかりました」


 薄が静かに頷き、ユーキの顔がパッと明るくなる。


「それでは!」

「いいえ」

「え?」

「今のお気持ちは承知しました。ですが、失礼ながら、王族はいざ知らず貴族では、その場では熱い思いを語りながらもあっという間に冷め果てて、妓女を(むご)く捨て去る方々を何人何度も見てきております。今のお気持ちのみで信じ参らせて、菫をお任せすることはできませぬ。菫はまだ幼く、悲しい思いをさせとうはなく」

「ですが、」

「お聞きください」


 反論しようとしたユーキだったが、薄はぴしゃりと遮った。


「はい」


 言われたユーキが大人しく口を閉じると、薄は満足そうに続けた。


「しかれど、貴方様のお言葉には、そのような貴族方とは違う何かを感じさせるものはございました。また、菫も貴方様を憎からず思っている様子」


 薄が振り返ると、菫は頬を染めて頷く。


「ですので、お(ふみ)のやり取りならお認めしたく思います」

「文。手紙ですか?」

「はい。本来なら禿に対してはそのような事も許さぬもの。貴方様ならではの特別であることをご承知おきください」

「はい」

「椿に気付でお願いいたします。貴方様の、そして菫の気持ちが心底からのものならば、会えずとも想いは通じましょう。そうでなければ、そのまま綺麗にお別れいただければ共に傷付かずに済みます。何か月、何年掛かるかはわかりませんが、お文のやり取りを姐である椿が読ませていただき、貴方様と菫のお心根の誠は疑いない、二人は芯から通じ合っていると納得したならば、会うことをお認めいたしましょう。いかがでしょうか」


 薄の語りに自分の名前がいきなり出てきた椿が(いなづま)に打たれたように、「えっ、私?」と驚いて自分の顔を指差しながら薄を見るのを余所(よそ)に、ユーキと菫の顔が輝いた。


「有難うございます! 勿論それで結構です。嬉しいです。さっきまでの、もう二度と会えないかもしれないという不安に比べれば。手紙で何度でも気持ちを伝えることができるのですから」

「菫もそれでよいですね? 貴女も修行を(おろそ)かにしてはなりませんよ?」

「あい! 婆様、ありがとうございます。必ず今以上に励みます」

「椿も」

「婆様、私? 私が読んで決めるのですか? 私が?」

「それが何か? 姐でしょう? 当たり前です」

「……あい。承知しました」


 椿は納得し(がた)い表情をしたが、不承不承に首を縦に振った。薄はその様子を無視してユーキに向き直った。声はさっきまでとは別人のように柔らかくなっている。


「では、決まりですね」

「はい。薄さん、有難うございます。椿さん、よろしくお願い致します。柏さん、菖蒲さんも、皆さんのお蔭です。また、本日のおもてなしを有難うございました」

「お粗末様でございました」


 ユーキは一同に礼を言ってから、菫に向かって声を弾ませた。


「菫さん、できるだけ早く手紙を書きます。文章が下手なんだけど、頑張ります」

「殿下、お待ちしております。あの、どうかご無理をなさらぬようにお願いいたします」

「いえ、大事なことですし、楽しみでもあるので大丈夫です」

「嬉しうございます。では私も楽しみにしてお待ちいたします」


 ユーキはほっとした。取りあえず、一歩前進だ。暫く会えないと思えばもう少し話をしたくもあるが、しつこくするべきではないだろう。それに、いつまでも馬車を待たせておくわけにも行かない。


「はい。では薄さん、今日はこれで失礼致します」

「あい。お出まし、有難うございました。柏、御案内を」

「へい。では殿下、こちらへ」



 柏に導かれて廊下に出ると、クルティスがユーキに尋ねた。


「あの、殿下」

「クルティス、何?」

「普通に手紙をお家に届けていただくと、母君様に知られますが、よろしいのですか?」

「別に構わないけど、こちらにお手間を掛けることになるね。ああ、そうだ、お前が行き来して運んでよ」

「へ? 俺?」


「ああ、それ、若い頃にあっしもやりやした」


 クルティスが呆けた声を出したところに、柏が口を挟んだ。澄ました顔をしているが、目と口元がニヤニヤと笑っているのを隠そうとはしていない。


「まだここに勤める前でやすが、旧主が、愛しい妓女の所に親に内緒で手紙を届けてくれって」

「そうだったんですか」

「へえ。それがもう頻繁で三日にあげずと言うやつで、まるであっし自身が廓通いしているようにあっしの親に思われて、大層叱られやした。本当のことを言うわけにもいかず、随分と苦労しやした。クルティス様も頑張っておくんなさい」

「あー、はい」


 クルティスは単調な声で返事をした。表情も消えたその顔をちらりと見れば『面倒臭いから親父にはぶっちゃけよう。御前様にも言っちゃった方が良いか』と書いてあるのがユーキには読み取れる。


「クルティス、何を考えているのかわかるよ。母上や父上に知られても、僕は全然構わないから。こっちから報告しようかと思っているぐらいだから」


 そう言うと、また柏が「いえ、殿下」と口を挟んだ。妓楼の若い衆らしく少し媚びた、それでいて仲間に悪巧(わるだく)みを持ち掛けるような楽しそうな口調だ。


「禿とは言え、菫も一応花街の娘なんで。ちっとは隠した方が御体面がよろしかったり、それに何と言うかこう、暫くの間は親に隠れてとかの方が、心の内に燃え上がるものもあったりはしやせんでしょうかい?」

「……柏さん」

「へい?」


 ユーキは真剣な声で答えた。


「いろいろと有難うございます。隠します」


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