第二十八話 手甲
前話同日正午過ぎ
ユーキはクルティスと共に、王都の南街区の繁華な通りにいた。微行で目立たないように徒歩なので、愛馬シュトルツはお留守番だ。出掛けに馬房に寄って人参を一本やると、美味しそうに食べてから嘶いていた。『行ってらっしゃい』のつもりだろうか。
朝から天気が良く涼風が吹いていたためか、昼を過ぎた今はかなりの人出だ。通りは混雑しているが、クルティスが周囲から頭一つ抜け出ているので、離れて付いてきている他の二人の護衛も見失うことは無いだろう。
今日はクーツはいない。気晴らしなのだから小煩いおっさんは抜きで若い者だけで行ってこい、ということらしい。クルティス以外の護衛も、当直の第三大隊の近衛兵の中から口煩さそうな年長者は避けて若者を選んでくれたようだ。
南街区に来るのは滅多にないことだ。いささか風紀のよろしくないと思われるお店が固まって立ち並んでいる街、つまり花街通りが近いとのことで、ユーキが成人する以前は来ることを禁じられていた地域だ。大人となった今でもなんとなく避けており、殆ど来たことがない。
クルティスは迷う様子もなく先に立ち、するすると人波をすり抜けて歩いていく。なぜそんなに良く道を知っているのか以前に尋ねた時には、王都の街路を憶えるために時間があるときにあちこちを歩き回っているからと言っていた。楽しそうだと羨ましがったら、『道を歩いているだけなので特に楽しくはありません、面倒の種がぶつかってくることもありますし』と、澄まし顔で答えられてしまった。
こんなことでも自分よりも先を行っていて癪に障る。でも、道案内をしてくれるのだから文句も言えない。
今日はこの付近にある武器屋に、剣を見に行くことにした。近衛兵たちの間で最近評判になり始めている店をちょっと聞き付けたのだ。クルティスに店の名を言うと、『ああ、あそこですね。俺は入ったことはありませんが』と言っていた。そこで剣を見て、その後にどこか近くでお茶でも飲んで帰ろうという予定だ。
『なぜ剣を?』とクルティスに不思議がられたが、そこは内緒だ。
勿論、ユーキに剣が必要なのであれば、出入りの武器屋に使いを出せば済む。王族に相応しい選り抜きの銘剣を何本でも持参してくるだろう。いくら高価でも、家つまり王家が払えば済むのだから。
だが今ユーキが欲しいのは、自分で帯びる剣ではない。いや、実の所、剣でなくてもかまわない。短剣でも小刀でも構わない。自分の財布で払える範囲で、クルティスに贈れる武器が欲しいのだ。
クルティスは彼の成人の儀の際に、我が家の当主である母のマレーネ王女殿下から良い剣を授かり、それをいつも帯びている。それはそれで構わないのだが、ユーキとしては自分のために日夜修行に励んでくれていたクルティスに感謝の印として何かを贈りたいと思ったのだ。
いろいろと負けているのは癪だけど。
武器屋が持参してくる折り紙付きの銘剣は、ユーキ個人に与えられている王族費では手が届かない。王族費と言っても、自分で家を成していない部屋住みに与えられるのはお小遣い程度の額だ。そうは言っても、庶民の子供が欲しがる駄菓子なら、一生分が一度に買えてしまうような途轍もないお小遣いだが。
それで自分から武器屋に足を運んで、手の届く範囲の武器を探すと同時にクルティスの好みを観察して選ぼうと、まあそういうわけだ。
目的の店は表通りから横道に少し入った所にあった。
間口が小さく、目立たない店だ。出入口には用心棒と思われる体格が良い店員が椅子に座っていた。クルティスと二人で入ろうとすると、すっと立ち上がり油断のない目付きで「いらっしゃいませ」と挨拶し、「失礼ではありますが、お名前を」と台帳に氏名の記帳を求められた。
危険な刃物を大量に扱っているのだから、当たり前のことだろう。こういう時のために準備している仮名を書いたら訝しい目で見られたので、王族の印である王家の紋章が彫られた指輪を人目に付かないようにさり気なく見せる。
「失礼致しました。どうぞお入りください」
さすがに心得ていると見え、驚く様子を見せずに静かに扉を開け先に立って招き入れてくれた。後に付いて二人で店の中に入ると「こちらへどうぞ」と狭い通路を導かれ、十ヤードほど進んだところで広間に出た。
どうやらここは実用品を展示販売している場所らしい。手頃な価格の多くの剣や槍が掛けてあり、長めの鎖で棚や壁に繋がれている。評判が良いのは噂だけではないようでかなりの数の客がおり、傭兵らしい者たちが思い思いの武器を手に取ったり、付き従った店員に何事かを尋ねたりしている。科を作って値段交渉をしていると思しき年嵩の美女もいるが、残念ながら若く逞しい美男の店員は全く動じていないようで、涼しい顔で首を横に降っている。
ユーキたちが辺りを見回していると、招き入れてくれた店員が勘定台の中にいた女に合図をした。その女は他の店員がお仕着せの揃いの服を着ているのと異なり、襟に透かし編みの飾りのついた白絹の襯衣に黒革の袖無し胴衣、同じく黒で艶のある織物の長袴を着ている。いずれも相当に値がしそうな上物だ。
女が心得て近付いてくると店員は何事かを耳打ちした後に、店名と同じ名字を持つその女を紹介した。
「この者は売り場責任者のアルマ・グリンダと申します。後はこの者が案内致します。どうぞごゆっくり御覧ください」
そう言って店員が頭を下げ、出入口の方に戻って行くのと入れ替わるように、紹介された女が挨拶した。
「シュトルム様、ようこそいらっしゃいました」
グリンダはいそいそとユーキの仮名を呼んで頭を下げ、そして上げたときには満面の笑顔になっていた。商売用だろうが、それにしても嬉しそうだ。
「御来訪、光栄に思います。少々自慢をさせていただきますと、当商会、近衛内局から御用達の名誉はまだいただいておりませんが、内相閣下、近衛将軍、近衛師範、衛兵局長の皆様方には私的にお取引いただいたことがございます。その他にもいくつかの領の御領主様には御贔屓をいただいております。揃えた品々の質には自信がございます。どうか御信頼いただけますように」
一頻り宣伝文句を並べると声を落とし、小さな身振りで店の奥の方を示した。
「最初にお伝えしておきます。当店の非常口はあちらの奥にございます」
そちらを見ると、奥の方の壁際から目立たない細い通路が通じており、その前に、やはり逞しい店員が立っている。
「何かの際には、あの者が非常口にお通し致します。階段はこことあの非常口の近くの二か所です」
微笑みながら言った『何かの際』がどういうものかはわからないが、武器を扱っているのだからごく当たり前の注意なのだろうとか考えていると、説明を付け加えてくれた。
「当店には貴顕の方々も多く御来店いただいており、暗殺者が入り込むこともありえますので」
なかなかの、有難くもない解説だ。
「こんな所で、暗殺ですか?」
「はい、他国の例ではございますが。値引き交渉がうまくいかずに逆上するとか、万引き犯が露見して逃走するために来店者を人質に取るとか、そのような態で騒ぎを起こし、そちらに気を取られた隙に別の男が貴人を殺害しようとした事件がありました」
「それはそれは」
どういう感想を述べたら良いのかちょっとわからない。さっき店員に首を横に振られ続けていた年嵩の女傭兵の方につい目をやってしまうと、どうやら交渉は纏まったようで嬉しそうにまた科を作っていた。他人事ながらほっとしてユーキが視線を戻すと、グリンダが用件を尋ねてきた。
「本日は、どういったものをお探しでしょうか?」
「これ、と決めているものは無いのですが、護身に役立つ手頃な品があればと。半ば冷やかしで申し訳ないのですが」
「とんでもないことでございます。私どものような目立たない店に御出でくださり、様々な品を御覧いただけるのはそれだけで身に余る光栄です。こちらへどうぞ」
グリンダは先に立って通路と同じように狭い階段を上り、二階は跳ばして三階へとユーキたちを招いた。後に付いて上りながら尋ねてみる。
「二階には何があるのでしょうか?」
「はい、二階には長剣の他に鎧兜、槍や鉾槍などの長物、斬馬剣や斧などの大物、それに弓など、これらの上物を置いております。何分、これらを最上階まで運び入れるのはなかなか大変ですので。今回のお望みのものとは異なるかと思い、省略させていただきました」
「なるほど」
「もしお時間がありましたら、後ほどそちらもご覧いただければと思います」
「わかりました」
階段を上がり切ったところで、グリンダが向き直って右手を室内の方に向けて案内をする。
「こちら三階には、小型の武器を置かせていただいております。いずれも当店自慢の品々です。もしよろしければあちらのお席でお待ちいただければ、お薦めの品をお持ちいたしますが」
「いえ、差し支えなければ、展示を自分で見て回りたいと思います」
「承知いたしました。控えておりますので、お気になられた品がございましたら、お声をお掛けください」
「わかりました。よろしくお願いします」
頷いて見せると、グリンダは頭を下げて少し引き下がって伏し目がちに立った。
室内を見渡すと一番右の通路には、両側に短剣が奥まで展示されており、一本一本が丁寧に並べられている様子はまるで美術館のようだ。
ひんやりとした空気が気持ち良い。温度が低いと言うより、恐らく錆び避けに湿度を下げるように工夫しているのだろう。
他の客も殆どいない。奥の方に、見たことのある貴族の子弟が三人、連れ立って話をしながら品々を見ているだけだ。向こうもこちらに気が付いたが、軽く目礼で済ませて静かに反対側の階段を降りて行った。あちらも微行なのだろう、なかなかに気分が良い。
ずらっと並べられた短剣の前に進み、本来の目的を果たすためにさり気なくクルティスに尋ねてみる。
「クルティスはどれが良いと思う?」
「殿……シュトルム様が持たれるには、どれも不十分かと。と言うか、そもそも短剣を持たれる必要はあまりないと思いますが」
興味が無いのか、返事が素っ気ない。
「声が大きいよ、クルティス。お店の人が聞いているんだから。お前はどんな武器が好きなんだ?」
「私は特に好みはありません。必要があれば何だって使います」
「そういうものなのか?」
「はい。それは護衛であれば誰でも。例えばアンジェラです」
思いもよらない名前が出てきた。アンジェラはユーキ付きで身の回りの世話をしてくれている女性だ。彼女に年齢を尋ねたことはないが、ユーキより十歳ぐらいは上だろうか。
「アンジェラ? 彼女は侍女だろ?」
「はい。彼女の愛用している銀盆ですが」
「盆?」
「随分と分厚いでしょう?」
「そうだね」
「ここだけの話ですが、あれの中身は鋼板です。純銀や真鍮では軟らかすぎて致命傷を与えられないそうで」
「致命傷って」
「アンジェラが闘わざるを得ないような切迫した局面では、手加減など許されません。曲がろうが割れようが砕けようが気にせずに、力一杯ぶん殴るんだそうです」
「へえ……」
「盆だけに留まりません。他にも食事包丁やら肉叉やら果ては割った皿やら瓶やらを使って戦わせれば、彼女の右に出る者はいないと思います。一撃必殺の食器遣いです。私も以前、彼女に教わったことがありますが、余りに難しくて諦めました」
「食器遣いって、何かこれから給仕してもらうのが怖くなるな……いや、今はそういう話じゃなく、単純に短剣としての使い勝手とか、装飾の美しさとか、聞きたいのはそういうことだよ。僕よりは詳しいだろう?」
「それはそうかも知れませんが」
話が随分飛んでしまった。あまり気の無いクルティスに、並べられたうちの一本を指で示してみる。
「これなんか、どう?」
「感心しません。長さが中途半端です。服の中に隠すには大きく、帯びるには短くて見栄えがしません。こちらは柄と刃の釣り合いが悪そうに見えます。そちらは刃が細すぎて、突くには良いですが、受けに使うと一撃で折れるでしょう。あちらは……」
その後一頻り、目の前の品々に対するクルティスの評価と言うか、批評と言うか、批判を聞き続けることになった。こいつは普段は口数が少ないのに、武器の事になると良く喋ることがわかった。
聞いているうちに好みもだんだんわかってきた。どうやら、どちらかというと見た目より実用重視らしい。それも、攻撃よりも受けに使える強さを評価するようだ。やはり僕の従者兼護衛だけのことはある。
ただ、厳しい評価が続いて、後ろに慎ましく控えているグリンダさんの雰囲気がどんどん冷えてくるのが怖いけど。
と、隣の列に移った時にクルティスの足が止まった。視線の先をたどると、一対の手甲に留まっている。
それは目の細かい金属製の鎖網で編まれた手筒に、白銀色に輝く甲板がつけられただけのもので、簡素だが形も色も美しい。いわゆる機能美というやつだろう。
ユーキはその手甲を指差してグリンダに頼んだ。
「これを手に取ってみたいのですが」
「承知しました」
グリンダは白手袋を着け、陳列箱の錠を外して取り出した手甲をユーキに渡しながら言った。
「さすがにお目が高いと感服いたしました。これは当方の最も腕利きの職人が手技訓練を兼ねて作成した一品ものでございます」
「素手のままでよろしいのですか?」
「どうぞそのままで、御遠慮なく」
言われたので手に取ってみると、手筒の鎖網はしなやかで、編み目同士が引っ掛かり合うこともなく、微かにしゃらりと澄んだ音を立ててどのようにでも形を変える。
これなら手首の動きを邪魔することもないだろう。試しに右手を通してみると、ユーキには太すぎて緩みがある。
それを見てグリンダが空かさず説明を加えた。
「手筒の部分は鎖網を増減することで、着けられる方に合わせて太さや形状を変えることが可能です」
「それはいいですね。クルティス、着けてみて」
クルティスは黙って手筒を嵌め、留め紐に指を通す。大きさはほぼぴったりだ。
「動きはどうかな?」
「問題ありませんね。というか、とても良くできています。手の甲と腕の部分の継ぎ目も、どう板を細工しているのか、突っかかることもなく隙もできません」
「そこが匠の技でございます。僅かですがミスリル鋼も混ぜており、防御力と柔軟さを兼ね備えております」
グリンダが差し挟んだ言葉を聞いて、ユーキとクルティスは顔を見合わせた。ミスリル鋼とは。急いで聞き直す。
「ミスリル鋼ですか? ミスリル鋼混じりのものは、初めて見ました。お伽話では、ミスリル鉱石から鋼材を造り出すのは、ドワーフしか知らない技術が必要だということになっていましたよね」
「はい。私にもわからないのですが、その職人の言うには、ミスリル鉱石の処理には危険が伴うと言い伝えられているらしいです。彼も鉱石は見たことが無く扱い方も知らないのですが、昔は武器造りの親方が引退する時に、真に認めた弟子にミスリル鋼の用い方を秘蔵の鋼材とともに譲るのが伝統だったとか。その職人も親方の親方、あるいはそのさらに親方からかも知れませんが、代々受け継がれたものをほんの少しだけ持っていて、これと思った品を鍛える時にだけ、僅かに加えると言っていました。ほんの少しでも、仕上がり性能が全く違うそうで」
「そうすると、その職人の方が作られた品には、ミスリルが入っている可能性があるわけですか。この店には他にも?」
「それは、有るとも無いとも申し上げられません。御自分の目で探し当てていただく以外にはないですね」
「なるほど」
「この手甲については、調整や何回かの修理の分も含めて必要なミスリルは取ってあると申しておりましたので御安心ください。因みに今は付けておりませんが、お好みであれば指甲も取り付け可能です。また、腕、あるいは手の部分の甲に紋様や文字を刻むこともできます。その分は別価格となってしまいますが」
「指甲も付けるとおいくらになりますか?」
「刻印抜きで四ヴィンドでございます」
「安いですね」
「御覧のように、この階の他の武器と異なり装飾の類が一切ございませんので、この価格で提供させていただいております。飛び抜けたお値打ち品ですが、貴族の方々には無装飾は受けがよろしくないようです。ごく最近に展示に加えたということもあるのですが、実は御興味を示されたのはシュトルム様方が初めてです」
「ですがシュトルム様、御自身がこのような武具を付けて戦いに出られる機会は無いと思いますが。これはとても良い物とは思いますが、宝の持ち腐れになりかねません。活用されなければ武具にとっても不幸です。お止めになった方が」
クルティスが割って入って反対したが、ユーキは「いいんだ」と気にしない。
「グリンダさん、文字は小さく、『クルティス』と刻んでいただけますか?」
「承知しました」
「殿下! ……シュトルム様」
「いいから」
慌てて詰め寄ってくるクルティスを左手で制しながら、ユーキは背筋を伸ばして笑顔でグリンダと話を続けた。
「グリンダさん、貴女は僕……私が誰だか、わかっていますよね」
それを聞いてグリンダは慎ましい笑みを顔に浮かべ、右手を胸に当て恭しく頭を下げながら応じた。
「はい。畏れながらユークリウス殿下であらせられると」
「はい。ここに来たこと、話した事一切を内密にしていただければ、それで構いません」
「元より心得ております」
「殿下、勿体ないです。お止めください」
「クルティス、これは私が好んですることだ。止めずに受け取ってもらいたい」
何とか止めようとするクルティスの方に真っ直ぐ向き直る。
友達みたいな存在のクルティスにこんなことを言うのは、もう、物凄く羞かしくて躊躇われるが、思い切って言ってしまうことにした。
「……今日は心無いことを言って済まなかった。努力を続けることが難しいことは私も知っている。ましてや自分でない者のための努力を、酬われる約束もなく続けることが如何に難しいか。お前が私を護るために隠れて努力を続けてくれていたというのに、私は気付くことができなかった、それが恥ずかしい。私は自分の事しか見えていなかったんだ。お前はそれを教えてくれた」
「殿下……」
「私自身にできる事は少ない。王族の末として、国民の将来のために学びに励み体を鍛えることしかまだできないが、その事はこれからも怠らないようにしたい。この手甲はその誓いの証として、お前に持っていてもらいたいのだ。今の私にはこれくらいの事しかできないが、お前にはこの先長く、私の側にいて護ってもらいたいと思っている。そのために、どうかこれを活かして欲しい」
クルティスはユーキの言葉の途中からは頭を下げて聞いていた。そして聞き終わると、震える声を絞り出すように応えた。
「……私などに勿体無いお言葉。身に余ります。……確と、確と承りました。私も必ず励み続け、きっと最後までお護り致します。殿下、クルティス・ダンナー、この手甲に懸けてお誓い致します」
そして片膝を突いて胸に手甲を付けたままの右手を当てた。誓文を声を励ませて述べる。
「我、主より授かりし此甲に誓う。此甲ある限り、我、主の盾となり甲となりその身を護らん。もし違うことあらば、此甲必ずや我に仇為し、最早我が身を護ること無からん」
「うん、よろしく頼む。立って」
ユーキはクルティスの誓言を聞き終わると立ち上がらせ、顔を赤くしたままでグリンダを振り返った。
「というわけで、彼に合わせて大きさの調整と刻印をお願いします。指甲付きで。調整後の届け先は……グリンダさん?」
グリンダは俯き、取り出した布で目元を強く抑えていたが、何かを呑み込むとこちらを向いた。彼女の頬も赤くなっている。
「……失礼いたしました。お届け先は承知しております」
「そうなのですか?」
「はい、王都で店を構え栄華を目指す商会で、王族方のお邸を知らぬようでは『潜り』と言われても仕方ございません。もちろんマレーネ殿下のお邸も存じております」
「そうですか。送料も含めていくらになりますか?」
「刻印と送料は当店で負担させていただきたく思います」
「それは良くありません」
柔らかく断ろうとしたが、グリンダは断固として引き下がらなかった。
「いえ、この度は主従の絆を結び直される尊く神聖な場に畏れ多くも立ち会わせていただいたこと、このアルマ・グリンダ、感激いたしております。僭越ながら、刻印と送料は当店からのこの良き日のお祝いとさせていただければ、光栄です。真におめでとうございます」
「よろしいのですか?」
「はい、これを機会に、当グリンダ武器商会を御贔屓にしていただけると、なお一層有難く思います」
「わかりました」
折角の好意を無にしても悪いと受け入れると、まだ顔が赤いグリンダは満面の笑みを向けてくる。営業用かどうかはわからない。ユーキは照れ臭くて苦笑いだ。
こちらも顔が真っ赤になっているクルティスの両手の大きさと型を測ってもらって会計を済ませた後、グリンダがユーキに申し出た。
「当店では、実用品であれば数量が必要な場合にも対応可能です。何かの際には、私に御連絡いただければと思います」
「グリンダさんに、ですか?」
「はい。殿下、よろしければ、アルマとお呼び捨てください。私は当商会の主の娘で、実際の差配のかなりの部分を担当しております。お任せ下さい。他ならぬ殿下の御用命であれば、何を差し置いても品を揃えてみせます」
「アルマ、有難いですが、そのような機会があるかどうか……」
「いえ、今すぐの話ではございません。御心の隅にでも御留め置きいただき、いつの日か、何かの折に思い出していただければ。その際には、是非ともお役に立たせていただきたいと思います」
望み通りに名を呼ばれたアルマは嬉しそうにしながらもさらに話を押し込もうとする。単なる営業とは思い難い。
「なぜそこまで言っていただけるのでしょうか?」
あまりの熱意にユーキが訝しげに尋ねると、アルマが「うっ」と詰まって俯いた。それでも上目遣いでユーキを見る。
「それはその……殿下のお噂はかねがね伺っておりますし……本日の御様子を拝見して……感動したというか……(意気に感じたというか)……((惚れたというか……))」
だんだんと小声になって、もぞもぞと何か言っていたが、突然大声を出した。
「あの!」
「はい?」
「もし、もしできればでいいんですが! 失礼とは承知していますが!」
「何でしょう?」
「握手してくださいませんでしょうか……」
掠れ声になり、俯いて恐る恐る右手を出してきた。
「いいですよ」
ユーキがその手を取ると、アルマは「クヮ……」と声にならない声を出し、両手で握って力強く振った後に、バッと手を引いてまた顔を赤くした。
「わ、私ったら! 大変失礼いたしました!」
「いいえ。アルマ、今日はお世話になり、有難うございました」
「は、はい! こちらこそ! 今後とも御贔屓に!」
アルマが先に立ってギクシャクと歩き出し、出入口に着くと、二人は最敬礼で送り出された。
「またの御来店をお待ちしております!」
ユーキたちが出て行った後、アルマは頭を上げるとユーキ達の消えゆく後ろ姿を見詰めながら小声で呟いた。
「殿下、内相閣下や近衛師範、その他の方々からも弛まぬ御修行のお噂を伺っておりました。御自分でない者たち、すなわち国民のための御努力を、真面目に、酬われる約束もなく続けておられるのは貴方様御自身です。殿下、有難うございます。我々国民は、敬愛すべき王族を頂くことができて幸せです」
もう一度深々と頭を下げた後に自分の手を見てさらに呟いた。
「握手してもらっちゃった……会えたのは陛下の御誕生日の参賀の場以来……笑顔がすっごく可愛かった……噂以上にかっこいいし……『アルマ』って名前も呼んでもらえちゃったし……何て良い日……どうか殿下にも良いことがありますように……」




