第二十二話 ピオニル子爵の死
王国歴222年6月(ケン18歳)
話は戻り、南の風の中で執り行われたケンの実父の葬儀の後のことである。吹いていたのは緩く蒸し暑い風だったが、その暑さが、人知れぬうちにこの物語をゆっくりと進めつつあった。
ケンは知らなかったが、葬儀の後にクリーゲブルグ辺境伯はケンの兄のアルフとネルント開拓村の村長を相手に、深刻な話をしていた。
「ここだけの話だが、ピオニル子爵の体調が優れない」
「本当ですか」
「うむ。それだけではない。継嗣の娘も同じ病らしい。数年前から頭痛、腹痛を訴えていたのだが、暫くして関節痛や眩暈も言い出して、次第に床から起きられなくなったそうだ」
「流行り病ですか? 最近はあまり聞きませんが……」
「いや、二人だけだ。奥方や長男、それに従僕など家の他の者にはその兆候もない。ずっと良くなかったのだが、ここのところの蒸し暑さで、頓に悪化したようだ」
「妙ですね。同時に二人だけが同じ病とは」
三人は顔を見合わせた。考えていることは同じだが、はっきりと口に出すのは憚られる。
「子爵様は閣下の寄子でいらっしゃいますよね」
「うむ、それ以前に私の親しい友人でもある。大事なければ良いとは思っている。だが、子爵に万一の事があれば、何かと厄介なことになる。二人とも心しておくように。この話は内密にな」
「心得ております」「承知致しました」
三人とも表情が暗い。中でも村長の顔色は良くない。自分の領主である子爵の息子はまだ若い上に、良い噂を聞かない。
今の子爵は聡明な人物で、自らは貴族として侮りを受けない程度の質素な暮らしをする一方、領内の開発には熱心で領民を大切にしている。
例えばネルント開拓村の開設は子爵の肝煎りで行われた。
開拓村の領域は、元々は人の手が全く入っていない未開の地で、帰属する領も決まっていなかった。わざわざ山奥へ行かずとも、平地にも拓ける土地はまだまだある。それを子爵が国王に開拓を願い出て、領の一部となったのだ。人口はともかくとして、新たに領となった部分は、その広さでは領の約四分の一を占めている。
村の開拓初期には、子爵が道の敷設や住居の建築等に資金補助を行い、現在でも税率を領内の既存の他の町村と比べてかなり低くなるように村と契約している。子爵自身も以前の元気だった頃には、継嗣の娘を連れて何度も開拓村にやってきて、畑や森の状況を確認したり馬で周辺の土地を調べに出かけたりしていた。またネルント村以外でも頻繁に領内を自ら視察し、農村の作付けや作柄や町の商店の繁盛具合を確認して、状況に合わせた施策を打っていた。
そのように子爵の治政が良いお蔭で、子爵領は規模が大きくもなく土地柄も豊かではないが、領民はそれなりの暮らしができている。
子爵の継嗣である長女も父親似で穏やかな性格だが、末子である長男は領や領民に興味を示さず、華美を好むという噂だ。自領内を自分の目で見て回るどころか領都から出たことすら数えられるほどしかない。寄親のクリーゲブルグ辺境伯の領都は南部一の大都市だがそこにも寄り付かず、行きたがるのは王都の社交界だけという有り様らしい。
村の開拓は当初予期したようには進んでおらず、まだまだ先が長い状態だ。もし、この時期に子爵と娘が亡くなって子息が後を継ぐようなことになれば、村の未来はこれまで思っていたような明るいものではなくなるかも知れない。村長はそのことを考えると気が重くなった。
ピオニル子爵の娘と子爵自身が相次いで死んだのは、その年の後半の事だった。娘が夏の暑さに耐え切れず亡くなると、子爵も気落ちしたのか翌月に息を引き取った。




