第十話 王女の講義
承前
「ユークリウス様、心に想い定めた女性がいらっしゃいますでしょう?」
「えっ」
メリエンネのいきなりの問いに、ユーキは言葉に詰まった。思わず声が洩れる。しまったと思ったが、堅牢に作り上げたはずの無表情があっという間に崩れ、耳まで赤くなるのを止められない。
「ほら、当たり」
メリエンネが嬉しそうに宣言する。そう言われると顔にさらに血が昇る。これだけ分かりやすく狼狽してしまっては、いまさら否定しても意味はない。みっともないだけだ。ユーキは諦めて認めることにした。
「いえ、あの、はい。ですが何故そのように?」
「さきほどから、御自身と女性との話になりそうになると、頑なな態度を取られています。ならばただの朴念仁かと思えば、私の心を思いやろう、労ろうとしてくださっていて、人の心の機微を理解おできにならないわけでもなさそうです。そうすると、という事で、後は女の勘の当て推量ですわね。ですが、半分以上の可能性はあると思いましたわ。図星でしたわね」
「考えが浅く、顔にもすぐ出てしまい、お恥ずかしいです」
「恥ずかしがられることはありません。でも貴族方には知られないようにした方が良いですわね」
「御忠告有難うございます。注意します。このことはどうか御内分に」
「もちろんです」
メリエンネは陪席している侍女に向いて「ドロテア、良いわね?」と命じ、「はい、姫様」という返事を確かめる。同時にユーキも振り返って「クーツ、お前もだ」と厳めしい顔で釘を差した。クーツは表情を変えずに「はい、殿下」と答えながら、「(クルティスめ、黙っておったな。後で確かめんと……)」と心に覚えを書き込んだ。
従者の返事を確かめてから小さく「ふぅ」と息を吐いてユーキが振り返ると、そこにはメリエンネのわくわくと楽しそうな笑顔が待っていた。
今から起こる事態を悟ったユーキが座り直すのを待ちかねて、メリエンネは尋問を始めた。微笑みを絶やさず声の調子は優しいながらも、勢いが強くなる。
「で、どんな方ですの? よろしければ」
よろしくはない。だが、よろしくなくても、王太子殿下の嫡女に答えずに済むわけもない。ユーキは覚悟を決めて正直に話すことにした。両親とクルティス以外は誰にも言ったことのない話である。
「それが、七年ほど前に一度逢った切りで、名前も知らないのです」
「まあ。お尋ねにならなかったのですか?」
「ええ」
「では、お住まいも?」
「はい。ですから、探そうにも術がなく。恐らくは、このまま子供心の儚きものになるのでしょう。仕方の無いことと思い、ただ彼女の幸福を神と四精に祈っています」
「それは……」
ユーキが淡々と語るのを聞いたメリエンネは言うべきことが見付からないというように一度口を閉ざしたが、微笑みは消さずに、今度は静かに言葉を続けた。
「それでも想い続けておられるということは、よほど魅力的な方だったのですね」
「ええ。あの瞳の色を忘れられずにいます」
「何色の?」
「紫青玉の紫色です……これ以上は御勘弁をお願い致します」
「うふふ。ユークリウス様にとってはとても大切な出会いだったのでしょうね。わかりました。これ以上はお伺いせずに置きます。ドロテア、お茶のお代わりを」
命じられた侍女が「はい、姫様」と返事をして二人の茶碗に茶を注いでいる間に、ユーキは深呼吸を繰り返した。メリエンネが相変わらず微笑みながらこちらを眺めていると思うと、なかなか落ち着けない。なんとか気持ちを落ち着かせ、ドロテアに目顔で礼をして茶碗を取り、何口かを飲んでから話を再開した。
「……話を戻させていただきたいのですが、閣議の様子をお伝えすることはできると思います」
「そのお話でしたわね。ユークリウス様は、最近、陛下からどのような御下問を受けられました?」
「一昨日の閣議では、領間の交易をどのように促進するか、について尋ねられました」
「どのようにお答えに?」
「主街道の管理を領から国に移し、整備を進めれば良いのではと」
「まあ。それは……」
ユーキが一度言葉を切り、メリエンネも絶句した。ユーキが顔に苦笑を浮かべて続きを語る前に、成り行きを察したのであろう。
「はい。導師から、街道は領ごとに整備しているため、それぞれで道幅も路面の維持状況も管理体制も異なる、それどころか嵐の後の倒木も放置したままで、撤去は通行する者任せにする所もあると教わりまして。それだったら、国で一括して管理した方が良かろうと思ったのですが。陛下には『ものの見方が浅すぎる』の一言で済まされてしまい、さすがに凹みました。何が悪かったのか、自分ではわからなくて。はぁ」
「ふふ」
ユーキが道化のようにわざらしく両手を拡げて大きく溜息を吐いてみせると、メリエンネは小首を傾げて笑った。そして茶碗を取り少し口にした後に、手の中の紅茶の色を見詰めて少し考えてから真顔で答えた。
「でも、陛下は『浅すぎる』とおっしゃったのですね? 『誤っている』ではなく。それでしたら、悲観されることはないと思います。……ユークリウス様は、もし国が一括して管理したならば、主街道の全てが同じように整備されるとお考えになりますか?」
「はい。それはそうかと」
何が言いたいのだろうか。ユーキが訝しげに答えると、メリエンネは間髪を入れず尋ねた。
「通行量の多い所も、少ない所も?」
「……」
「平地も、山地も? 荷馬車が多い所も、歩行の旅人が多い所も?」
年上の王女が積み重ねた問いに、ユーキはその意図を覚った。こちらの考えを知りたいわけではなく、見落としていた点を指し示してくださったのだ。
「それは、違うやり方になるでしょうね」
「そこに用いられる国の資金が領ごとに異なれば、領主たちから不平不満が出ませんこと?」
「出ますね。なるほど、その地その地によって必要な整備は異なるのだから、その地域を治める領に任せた方が、実情に合わせられるのか」
「それと、今、各領で街道を整備する資金は、どうやって捻出されていますか?」
「えっと、主に、街道を使用する者たちから得る通行料や、関税の一部を充てている領もある、でした」
「街道が国の管轄に移れば、その資金源はどうなりますか?」
「当然国に移すべきですが……領主は猛反対するでしょうね。他の財源としても用いられていますから。確かに私の見方は浅すぎました」
ユーキが頷くとメリエンネは笑顔に戻って話を続けた。
「今のはまだまだごく一部、他にも考えるべき要素はありますわ。例えば軍事であるとか、そもそも国に権限を移したとしてそれが公平に発揮されるかどうかとかも」
「責任者とその派閥の領主の優遇ですね。そうですね、国に移したから正しく治められるとは全く限らない。勉強になります。軍事については良く分からないのですが、お教えいただけませんか?」
ユーキも身を乗り出して応じた。メリエンネ様は未熟な自分に様々なことを教えようとしてくださっているのだ。有難いことだ。御好意を、折角の学びの機会を無駄にしてはならない。
「街道が整備されれば、大軍の移動が容易になります」
「良いことでは?」
「味方も、敵も」
「あ、そうか。一度奇襲を受けて侵攻を許すと、王都やその他重要拠点に速やかに到達されてしまう」
「そうなりますわね。経済振興に良いからと何も考えずに整備を進めると、敵に利することになりかねません。今は平和でも、それは一時のものと考え、常に有事に備えなければなりません。街道整備もその一部として捉えないと。敵は常にこちらの油断を待っています」
メリエンネの言葉に、ユーキは腑に落ちたと、さらに大きく頷いた。
「『トロールは村人が眠るのを待っている』ですね。メリエンネ様、凄いですね。閣議の傍聴をされていないのに、私の答えの問題点をこんなに沢山、いとも容易に見出されるとは。どのようにしてこのような知識を得られたのですか? やはり導師から?」
「もっぱら書物ですわね。この部屋で暇を持て余していた間、読書しかすることがありませんでしたので。読んでは考える、読んでは考える、の繰り返しです」
「なるほど。読んでは考える。やはりそうやって、書物の内容を御自分のものとされるのですね」
「『やはり』ということは、ユークリウス様も?」
「はい。読んだこと、導師に教わったこと、見聞きしたこと。自分で考え直すようにしています。やはりそれが大事ですよね」
「そうですわよね。でも、私は所詮は知識倒れ。実践が伴いません。ですからせめて閣議の傍聴に出席して、私も陛下の御下問を受けてみたいのですが、体が思うに任せませんの。国に何の貢献もできないこの身が切なくて」
メリエンネは悲しそうに自分の両肩を抱く。それを見て、ユーキは居ても立っても居られなくなった。
「それでしたら、また私が参ります。そして閣議で聞いたこと、わからなかったことをお話しさせてください。……その、勿論、詰まらぬ噂にならない程度に。手紙でお知らせすることもできますね」
「嬉しいですが、ユークリウス様の御負担になるのでは?」
「いえ、私にも学びになりますので。あ、ですが、逆にメリエンネ様のお体の御負担になりますか」
「私でしたら、構いませんわ。日がな一日暇を持て余してうつらうつらしているよりはよほど有意義ですし、それに昼間起きている時間が長くなれば、ドロテアも喜んでくれますし」
メリエンネが控えている侍女の方に視線を流す。釣られてユーキも同じ方を見ると、しかつめらしい顔が満足そうに縦に振られた。彼女としても仕える王女が生き甲斐を得ることには賛成なのだろう。それでも、体調には気を付けてもらわなければならない。
「承知しました。ですが、どうか御無理のないようにお願い致します」
「ええ、もちろん。ユークリウス様も御無理はなさらないでください」
「はい」
「ありがとうございます。何だか、励みと楽しみができて、少し気分が軽くなったように思います」
「そう言っていただけると、お見舞いに参った甲斐があります。嬉しいです」
「何だか、同志ができたようで私も嬉しいですわ」
「同志、ですか」
「ええ。国の将来を考える、若い王族の同志。救国の志士のような」
「志士とは、物語の登場人物になった気分ですね」
「ええ、そういう物語も暇に飽かせて読んだもので」
「そのお話もお聞かせくださいますか?」
「ええ、よろしくてよ。私が一番好きなのは……」
その日、二人はかなり長い時間、話し込んだり一緒に書物を調べたりした。
ユーキが王女の部屋を辞した後、ドロテアはユーキを送っていった。近衛の哨所の近くまで来ると立ち止まって振り返り、ユーキに「殿下、有難うございました」と話し掛けた。
「姫様がどなたかにあれほどに打ち解けられ、楽しそうに時を過ごされたのはいつ以来か憶えがありません。姫様の心からの笑顔を久方ぶりに拝見できて、私もとても嬉しうございました。姫様はああはおっしゃいましたが、どうか今後も御訪いを下さいますよう、お願い申し上げます」
そう言うと王女の忠なる侍女はユーキに向かって深々と頭を下げた。
「わかりました。私としても学びの場となります。機を見ては来られるよう心掛けます」
ユーキが頷いて答えると、ドロテアは「ありがとうございます」と礼を言った。そして哨所まで来ると、去っていくユーキたちの姿が消えるまで見送っていた。
その夜、久しぶりに来客と長く接した疲れからか、メリエンネ王女はぐっすり眠り、翌朝は早くに目覚めることができた。
結局、王女に足りなかったのは、刺激だったのだろう。その後もユーキからの手紙や訪問に応じて議論し、質問に答え、教えを示すうちに、昼間に眠ることはなくなった。歩けるまでには至らなかったが、少しずつ、ほんの少しずつ、体調も良くなっていった。またユーキにとっても導師とは異なった視点からの新たな教示を受けることができ、大きな学びの機会を得ることになった。
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「シェルケン閣下、姫様がユークリウス殿下と頻りに書簡を交わされています。来訪もほぼ毎週です」
「何? どんな話をしているのだ?」
「わかりません。姫様は会席にはドロテアしか陪席させませんので」
「では、送られてきた書簡を持ち出してこい。知られぬようにだ」
「ドロテアの目が厳しいのですが」
「一通で良い。上手く目を盗め」
「承知しました」
「閣下、お持ちしました。最新のものは姫様がお手元から離されず、少し前のものを文箱から持ち出して参りました」
「見せてみよ。もし王女への恋慕の情を匂わせるような文でもあれば、脅すなり、賺すなりして、殿下を取り込むのに使えるかも知れんからな。青い小僧は往々にして年上の美女に憧れを抱くものだ。……何だ、これは。ハインツ、見てみよ。どう思う?」
「拝見します。……ほう。これは、閣議での議論がなかなかに整然と纏まっております。疑問や考察も未熟ながら着眼点は良いですな。殿下は御齢十五歳でしたか。その御年齢としては及第点を軽々と超えておりましょう。お噂通り、如何にも学び好きの真面目な若者と、微笑ましくすら感じられます」
「そうではない。殿下に付け入る隙はないか、弱みはないかと聞いているのだ」
「弱みですか。その目で読み直しますと……、ふむ、ごくありきたりの時候の挨拶に始まって、閣議を簡潔に纏めた本文、そして体調が改善するようにという普通の励ましの結句。それだけですか。いや、男が妙齢の未婚女性に送る手紙としては、これはいくら何でもあんまりではないかと思われます。お前は役人か、報告書でも書いているつもりか、と問い詰めたいです。殿下には浮いた噂は皆無と聞いておりますが、さもありなんと思えます。民心を惹き付けるべき王族としては、女性の歓心を買えないというのは弱みと言えるのでは。閣下、まずは男女の機微について一から教授することで恩を売り、取り込むための手掛かりしては如何でしょうか。女を送り込んで誑し込めるまでに何年を要するかはわかりませんが」
「もういい、下らん! 馬鹿馬鹿しい話は沢山だ。この手紙は露見しないようにそっと戻しておけ。このような内容であれば、今後報告は不要だ。糞真面目の堅物殿下め、これでは取り込んだところで使い物にならん。もう相手はせん。好きにやらせておけ」
「御意」




