87.大神官の罪
アマリリスさんと私だけになっても、もちろんここへ声をかけてこれるような猛者はいないので、私達はしばしの歓談を楽しむ。
すると、そこへ、会場の案内係がおっかなびっくり声をかけてきた。
「お、お話し中に失礼いたします。紫黒の聖女様、カサンディオ侯爵様がお呼びです」
「あら」
心得たようにアマリリスさんは微笑む。
「本当に片時も離れたくないのねえ、早く行ってらして」
「はい、では少し失礼します」
私もにっこりして、中座する。
これは、予想通りだ、問題ない。
案内係の先導に従って、私は会場を出た。
「こちらです」
早足で案内係が進む。緊張しているみたい。
頑張って付いていく私。
何度か角を曲がり、会場から離れてきた所で、その歩みはゆっくりになった。
「この辺りだと聞いているんですが、」
案内係が立ち止まる。
そこは、夜会の休憩室が並ぶ廊下の最奥で、夜会が始まったばかりの今、ここまで来る人は誰もおらず、廊下は薄暗い。
私は背後の、ヒタヒタという足音と気配に気付く。
大丈夫、これも聞いていた通り。
今のところ、慌てなくてもいい。
背後の人物は、私に近付き過ぎる事なく今、手に持ったワイングラスを振りかぶった辺りだろうか。
大丈夫、かかった所で、ジェンキンくんもいるから平気よ。
私が、息を吸って覚悟を決めた時、
「ぐっ、」
背後でうなり声がした。
「なっ、何をする!」
「それはこちらのセリフだ、大神官、何をしている?」
私が振り返ると、そこには大神官の右手をがっしり掴んだグレイと顔を真っ赤にしているワム大神官が居た。
「わ、私は、紫黒の聖女様にお声がけしようとしていただけだ」
「そうか?グラスを構えていたように見えたが」
周囲の暗がりと、休憩室から騎士達が出てきて、案内係が拘束される。
「何だこれは!?」
驚愕するワム大神官。
「たれ込みがあったんだ」
グレイは大神官からワイングラスを奪う。
「おいっ、返せっ」
「いや、返さない。中身をすぐに確認しろ、気を付けろよ」
ワイングラスを近くの騎士が受け取り、そっと運んでいく。
「おいおい、どういうつもりだ?ただのワインだ」
そんな事を言いながらも、ワイングラスを持った騎士を追いかけようとするワム大神官をグレイが押し止める。
「私は大神官だぞ?失礼ではないか!?」
「邪魔するようなら、あなたも拘束する」
「どういう事だ、何の権限で、」
「私の命令だ、大神官」
朗々とした声が響く。
現れたのはフェンデル第二王子殿下だ。
「第二王子殿下……」
大神官が呟き、そして、フェンデル王子の隣の人物に目を見開く。
「ジェンキン副神官」
王子の隣には、悲しそうな顔のジェンキンくんが居た。
「まさか、君が?君が彼らに何かを吹き込んだのかね?殿下、この者が何を言ったか知りませんが、全くの事実無根です。私は聖女様とワインでも飲みながら話そうとしていただけです」
「わざわざ呼び出してか?」
「彼女は、私の事を誤解しておりますからな、こうでもしないとゆっくり話せないと思ったのです」
「大神官、あれは、西部の疫病の感染者の血がはいったワインなのであろう?」
「はっ、なっ!そんな訳ありませんっ」
「調べれば、すぐに分かる」
「調べる必要などないでしょう、ただのワインです」
「紫黒の聖女殿を疫病に罹らせ、苦しめて、治癒魔法の偉大さを知らしめるのだ、と」
「!」
ワム大神官の顔がひきつる。
「大神官様の指示で動いていた神官達が教えてくれたのです」
ジェンキンくんが静かに口を開いた。
「なん、だと?」
信じられない、という風に大神官が首を振る。
「ええ、あなたの子飼いの神官達です。孤児の時からあなたが拾い、育て、導いてきた子達です。西部の疫病の収拾から帰り、それが都で流行った後に、僕に相談がありました。これはひょっとしたら意図的に広げられた流行かもしれない、と」
ジェンキンくんは悲しそうななまま、ひたりと大神官を見つめる。
「僕は信じられなかった。軽微な症状を直したふりして放置して、疫病を広げたなんて……いくら神殿への寄付の為にでも、大神官様がそんな事をするなんて、と。でも、同時に大神官様ほどの方が騎士達の症状を見過ごすはずもないと思いました。それで、カサンディオ団長に相談したんです」
そう、ジェンキンくんは、お箸の特訓でグレイの元へ通っていた訳ではなかった。
ワム大神官の事を相談に来ていたのだ。
図書室へ律儀に挨拶に来ていたのも、あくまでも、お箸の特訓だと周囲に知らしめるためだったらしい。
「そ、そんな、もの、証拠も何もないではないか!?あの疫病の初期症状は見過ごしやすい、こちらだって見落とすし、気付かない騎士だっていただろう!」
「ええ、そうです。なのでこれは疑惑のままでしょう。そこに、今回のアンズ様を害する計画があると再び相談があったんです」
「…………あいつら」
ぎりぎりと大神官が歯を噛み締める。
「大神官様、あなたは彼らを真っ当に導いて育てた、だからこそ、彼らは僕に相談したんです。僕もあなたに導かれた1人です。今回も、ここにあなたが現れないで欲しい、と何度も思いました」
ジェンキンくんが目を涙を溜める。
「ジェンキン副神官は、最後まであなたを信じようとしていた。実際にアンズ殿を害そうとするまでは信じたい、と。こちらとしても、あなたを拘束するには、現行犯でないと難しいからな、アンズ殿には無理をお願いして、囮となってもらったのだ」
フェンデル王子の言葉に頷く私。
私はこれを、泣きはらしたジェンキンくんを見かけたあの晩、グレイから聞いたのよ。
「くそっ、くそっ」
地団駄を踏む大神官。
「そしてワム大神官、あなたはアンズ殿を誤解している、此度の夜会では、アンズ殿は与えられる褒賞の半分を神殿に寄付すると発表される」
「……………………なんだと?」
大神官が呆然と私を見る。
「私は、治癒魔法は素晴らしいと思っています。前の世界にはなかった、奇跡の魔法です」
「うそだ、そんな」
「国が与える褒賞の半分だ、神殿の財政状況はかなりよくなるだろうな」
「そんな、じゃあ、じゃあ、私は、なんの、ために、」
大神官は、へなへなと床に座り込んだ。一気に老け込んだように見える。
「大神官様、どうしてこんな事をしたんですか?相談してくれた神官達は涙ながらでした、僕もこんなに悔しくて悲しい事はありません」
ジェンキンくんが、震える声で言う。
大神官はひどくぼんやりとしていて、その言葉は届いているのかどうか分からない。
「とりあえず、騎士団へ連行する。ジェンキン副神官、よければ付いててやれ」
グレイが静かに言って、騎士達が大神官の両脇を抱えて連れていく。
ジェンキンくんは、その後を追うようだ。
「アンズ」
ジェンキンくんの後ろ姿を見つめていると、グレイがそっと私の肩を抱く。
「囮にしてすまない」
「そんな大袈裟なものじゃなかったですよ。それより、行かなくちゃいけないんじゃないですか?」
私は大神官が連れて行かれた方を指差す。
「ああ、少し席を外す、帰りには間に合うようにするから、それまで会場から出るな」
「はい」
「私が責任を持って、側にいよう」
フェンデル王子が宣言した。
「では殿下、くれぐれも、妻を頼みます」
グレイはフェンデル王子に礼をすると、大神官達の後を追って、暗い廊下へ消えた。




